こんばんは。YOKKAです。流れ星

 

突然ですが、皆さんはギリシャ神話ってくわしいですか?

私は全くくわしくありません。ニコニコ晴れ

 

星空を見上げるのが好きなので、星座の由来とか、ちょくちょくとかいつまんで断片的には知ってますが、それほど自分の中で取り立てて勉強しようとは今まで思ったことはなかったりで。。。

 

でもやっぱり星が好きっていうのもあるんでしょうか。。。今回のことで、なんかやっぱりご縁はあるんだろうな。。。と思うようになりました。

 

今日は徒然なるままに、この間夢の中で出てきたギリシャ神話に出てくる英雄、ヘラクレス様についてです。

 

。。。で、もちろんこのヘラクレス(HERCULES)も名前はうっすら聞いたことある程度だったんですよ。だからいつもの夢うつつメッセージで、“ヘラクレス”って出てきた時は、最初のリアクションは“誰だっけ?凝視はてなマーク”でした。ディズニー映画にもなってたことも今回調べるまで知りませんでした。

 

こんなふうに、誰かの名前が出てくる時は、ご縁のある神様、仏様、天使様、とかその他もろもろの高次の存在であることが多く、今回のように全く知らないことも結構あるのでもちろん調べたのですが、最初にググった時には、「ふ〜んギリシャ神話に出てくる方ね。。。」ぐらいでいつものようによくわからんな〜。。。って感じでピンとこなかったんですよね。なんでまた今頃ギリシャ神話なんだろう。。。って。

 

でも数日前また、偶然にもネットでヘラクレスのこと書いてる記事を見つけまして、どうして私の夢に出てきてくださったのかわかった気がしました。

 

ざっくりと説明しますとこんな感じです。

 

ギリシャ神話最大の英雄。全知全能の神ゼウスと人間アルクメネの子で,ゼウスの妻ヘラの嫉妬、憎しみを受け,様々な迫害を受ける。ヘラからコントロールされ狂気して子を殺し,その償いのために12の難業を果たし,猛獣・怪物を退治。死後,天上で神に受け入れられ不死となり,ヘラとも和解。オリンポスの神々の一人となる。

 

これだけ聞くと、「そうなんだ。。。」って感じですが、彼が最大の英雄と言われる所以は、彼の人間離れした圧倒的な力やそれによる功績だけでなく、彼の生き様にあったようです。

 

幼少の頃からゼウスの妻ヘラからの考えられないような苦難を弱音も吐かず、恨み言の1つも言わず、何度も乗り越え、嫌がらせの結果起こしてしまった過ちも人のせいにせず、逃げることなくそれを償うべききちんと責任を果たし、12の功業を残した男の中の男と人々から愛された。。。。んだそうです。

 

スピリチュアルの教えの中に、自分の人生で起きていることに責任を持つ、っていうことができて初めて変化していくことができる、っていうのがありますが、まさにヘラクレスは大変な苦難に見舞われながらもそれが当たり前のように出来ていた。。。っていうところがきっとすごいところなんですね。

 

神話って元々本当にあったことだって言われてますよね。私は普通に信じてるんですが皆さんはどうですか?私は最初に日本に帰ってきて最初に住んだ場所の一番近くにあったのが八坂神社で、それもあってか最初に強く惹かれたのがスサノオノミコトだったんですが、古事記のお話をざっくりと読んだ時から、人を殺めたことがあったり、兄弟をいじめたりとか、醜いから嫁にいらないと追い返すとか、何とも人道(神道?ニヤニヤ)に反するようなことを平気でやってる日本の神様達を見て妙に笑えて親近感が湧いたと言いますか。。。。本当にあったことなら余計納得できるニコニコビックリマークと思ったりしてました。

 

時を同じくして、「あ〜それならギリシャ神話があんなに嫉妬とかでドロドロしてるのも納得できるな〜ニコニコビックリマーク」なんて思ったんですよね。ゼウスの浮気の回数が数百回ってバレてる、っていうのまで神話になってるわけですし。ニコニコ晴れ

 

それにしても、私の場合、スサノオ様にしてもヘラクレス様にしても、何かしら過ちを犯した後に、そこで終わらずちゃんとそれを受け止め責任を取ってその後功績を残している神々や、もしくは鬼だとか悪名高い面があるとか、ひどい仕打ちを受けたとか、ある意味ダークな面も知っているとされる神々とご縁を頂いてるケースが多いような気がしています。

 

これは私が日頃から言っている、陰と陽の統合、すべてのものは白黒では片付けられない、という信念のもとでのことなのかもしれません。こんなふうに、今回もヘラクレス様の存在など、私が気づくべきこと、知っておいたほうがよいだろうことを夢の中で教えてくださるのは本当にありがたいことです。

 

あ、ギリシャ神話で言えば、アメリカにいた時、一度、“イカロス”の天使が夢に現れたことがありました。おそらくあの“勇気一つを友にして”のイカロスだと思います。多分ですね、ヘラクレスが死後神様に昇格したように、イカロスも死後自分の奢りを反省しちゃんと天使になってたみたいですよ。羽もついてたしめちゃめちゃ金色に光ってましたから。キラキラびっくりキラキラ

 

ヒンドゥー教の神話はまだほとんど知らないのですが、この先またご縁や機会があれば、一度勉強してみたいなとは思いますね。

私が若い頃一時期メッセージを受け取るようになってた頃、名前を教えてくださったスピリットがいたんですが、(その時はハッキリ覚えてたのにご縁が切れたせいか不思議なくらい名前を完全に忘れてしまっている)のその方の名前、私の持った印象では、サンスクリット語とかそっち系のものじゃないかな。。。って感じがしたんですよね。春先に咲く花のような優しい響きだったことだけ覚えてますが。。。

 

またこれから楽しみです。照れ愛

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これはまた別の日に見たちっちゃな虹。虹

 

許します!ありがとう!感謝します!嬉しい!楽しい!大好き!愛してる!よかった〜!幸せ〜!ついてる〜!

そして私は決断する!!真顔キラキラ

 

それではまた〜UMAくん音譜

 

YOKKA流れ星

こんにちは。YOKKAです。流れ星

 

今回は、最近私の中でやっぱりそういうことなのね。。。と確信が持てたことがありましたので、そのことについてお話ししようと思います。

 

それは『祈りの力』The Power of Prayerについてです。

 

え〜これについてはもう普通に皆さん色んなところで耳にしているサブジェクトではあると思います。

 

今日皆さんにお伝えしたいのは、祈りと時々耳にしているであろう未来に起こりうると言われる災害やその他諸々のネガティブな出来事、不安に感じてしまうような情報との関係性です。

 

私は去年辺りから夢や瞑想中にメッセージやビジョンを受け取ることが増えてから、2023年末辺りからPrayer Serviceを再開しているわけですが、それを実行していく中で気づいたことがあります。

 

今日ここでお伝えすることの一部はは以前にも他のブログでお伝えしたことはあるのですが、その時のお話は一応もう一度ここでしようと思います。

 

所謂、“祈りの力”に助けられた、っていうお話です。

私が受け取るメッセージやビジョンは受け取った瞬間は何のことだかわからないこともよくあります。この時もそうでした。

ある日私は、誰かの右足のヒザ下がぐしゃっと潰れるビジョンが見えました。それは酷い状態で複雑骨折、下手したら切断かな。。。と思えるぐらいの状態だったんですね。それが見えた時はそれが誰の右足か、っていうのはわからなかったんですよ。

 

ビジョンが見える時っていうのは、通常俯瞰的に受け取る場合が多いので、怖いとかそういう感情は起きないんですよ。でも見えたもの自体は気持ちいいもんじゃないですよね。だからいつもの祈りの時に、このことを加えました。“私を含め私の知っているすべての人にこのようなことが起こりませんように。。。”って。

 

そして、そのことも忘れて数日だったかたったある日の夕方、私がお店から出てきて普通に歩道を歩いてると、右手から“ドーン!”っていう大きな音がしましてね。私、ホントにびっくりして年甲斐もなく悲鳴上げて耳を塞いでました。(私は滅多なことではきゃ〜とか言いません真顔ビックリマーク

見ると、白い車が歩道と車道の分離帯に突っ込んできて、分離帯にぶつかった音だったんです。多分よそ見運転だったんだろうと思います。幸いその分離帯って結構高さが在りまして、車はそこで止まって、その車も大したダメージもなかったようで、30メートルぐらい走ってそこで私の方を少し伺って大丈夫そうだと判断したのかそのまま走り去っていきました。

 

。。。でその時辺りを見回たところ、あと数秒、あと数メートルズレてて、分離帯の無い部分を歩いてたら私完璧に車に突っ込まれてたな。。。ってわかったんです。つまり、私が見たビジョンの右足は私のものだった、ってわかってそれと同時に“あ、祈ったから数秒ズレた”っていうことも直感的に入ってきたんです。

 

そのビジョンを見てからその事故未遂が起こる間、私、自分を含め誰にもこのような惨事が起こらないようにと祈ったっていうのと、後、私が無料で行っているPrayer Serviceのエネルギーのアップデートもしてたんですね。この出来事は、私がしみじみと祈りの力、それも自分だけでなく他の人のためにも心から祈るその力のパワーを感じることができた出来事となりました。

 

前回他のブログでお伝えした時はここまでだったんですけど、その後起こった2つの出来事から私は祈りの力が未来に起こりうるだろう出来事に影響を与えている、ってことを確信したんです。

 

今回はその2つの出来事についての内容はちょっと他の方々に影響するものもあるので割愛させていただきますが、つまりは前回と同じく、夢や瞑想中のビジョンでネガティブなものが見えて、その後祈ったら、一つは災難が再度回避でき、もう一つはビジョンの中では大難だったものが明らかに小難の規模で収まった。。。というものでした。

 

私は若い頃から、予知夢のようなものは時々見てて、それらはほとんどがネガティブなもので、そしてそれらって実際に起ってたんです。その頃は起こってから「あ、これ夢で見た同じ景色だ」とわかることが多くそれに対してどうすればいいかもわからなかったんですね。えー?

 

でも、最近いろいろなソースからの情報やこれらの自分の体験を照らし合わせて考えてみて、一つの結論にたどり着いたんです。

 

“現時点で受け取っている未来のビジョンは好ましくないものであれば祈りによって大きくその具現化に対して影響を与えることができる”

 

ということです。立ち上がるスター

 

これは以前この事故未遂の出来事をお話しした時も言ったんですけど、少し前から2025年に起こりうる良くない出来事などについてや、いろいろ警告的な予言があったりするというお話を聞いたりします。心配になる方も多いと思いますが、ある意味未来の警告が今の時点で受け取れてるってことは、その情報を受け取った人々の思念がかなり影響されるということです。

 

パラレルワールドがもう科学の世界でも計算上では証明自体はされている以上、後は私達が大難が起こる世界線を恐れながらそれを選ぶのではなく、大難が小難に、小難が無難になる未来の世界線を祈りにより作り出し、それをを選べばいい、ということになりませんか?

 

人間の思念は例えば、天気予報を大きく外すぐらいの威力が元々あるものですし、いろいろなところで耳にする情報に対しても気持ち自体が左右される必要は本来ないぐらい皆さん一人ひとりパワフルなはずなんですよね。

 

日本は元々地殻変動の多い土地で、この先避けられない動きもあるかもしれませんし、今いろいろ言われている警告的な情報も私は可能性自体を否定しているわけではありません。でも、その災害一つにしても、ご自身の祈りが影響する、と知っていればどうでしょうか?多くの人はまだそれにどう対応するか、っていう部分でお話ししてますが、少しでも多くの人が祈る習慣を持つようになるだけでも、大難は小難に、小難は無難にという状態を作り出せると私は思います。おねがいキラキラ

 

最近絶望的な未来のビジョンが見えている子供達が増えてる、とか聞いたことありますが、これもですね、その子供達の霊能力的なものは実際にあるものだとしても彼らが家族や環境からのネガティビティを受けている場合は、起こってもおかしくない現象なんですよね。私自身も今思えば子供の頃は怖い思いばかりしてましたし。それに対して大人がその情報に振り回されるのではなく、ちゃんと光のある方向へまず導いてあげなくてはならない状態ではないかと私は考えています。

 

私が実行している『祈り』の方法や、私が行っているPrayer Serviceについてなどくわしくは、また近々このブログ上でもお伝えしますね。ニコニコ音譜


ラッキークローバーをあなたに。。。クローバーラブラブ


許します!ありがとう!感謝します!嬉しい!楽しい!大好き!愛してる!よかった〜!幸せ〜!ついてる〜!

そして私は決断する!!真顔キラキラ

 

それではまた〜UMAくん音譜

 

YOKKA流れ星

こんにちは。YOKKAです。流れ星

 

今日は最近起こっているちょっと不思議な出来事をお伝えします。

 

皆さんは虹を1日に何度も見たことありますか?

 

数日前の投稿で最近虹をよく見るのよね〜ってちょっとお伝えしましたが、少し前、いつもの夢うつつVision & Messageの中で、“虹”っていう言葉が漢字で一文字浮かんできました。

 

こんな感じに私が受け取るメッセージの中には「は?凝視!?さっぱり訳がわかりませんが。。。」と思われる内容のものもよくあります。

 

で、それ以来、普通人生で人が虹を見る回数分ぐらい虹を見たんじゃないかな〜というくらい尋常でない頻度で虹を見ています。取り留めないこと。。。と言えばそうなんですが、アートのモチーフにも虹をよく取り入れてる虹好きの私にとっては、見つけるときゃ〜立ち上がるスターぐらいの一大事のごとく、一人静かに心の中ではしゃいでいます。ニコニコ虹

 

私、9月末には1日に、3回(3個)自然に空に出る虹を見ました。目!?アップアップアップ

3つとも違うタイプ。今日はそれらをご紹介しましょう。

 

一個目は、朝焼けのピンクの空に架かるダブルレインボー。これは今まで見た虹の中で一番綺麗な色でした。。。

 

2個目は最近よくこういうタイプの色だけちょこっと雲の中に浮かんだように見える短い虹。電車の中から見えました。

 

3個目はこの短い虹が消えた後、ぼんやり弧を描いて夕暮れ近くの雲のなかに浮かぶ普通のタイプのもの。


一個目はこちら。

朝焼けのピンクの空をバックグラウンドにしたダブルレインボー。。。虹虹虹オエー

朝焼けに浮かんだ虹はそれはそれは可愛くて綺麗でした。

とにかくおそろしく色が綺麗でした。

 

写真ではイマイチ色が微妙に違うんで残念です。。。(ちょっと赤みが強く出てしまうようです)

でも十分綺麗じゃないですか?(ちなみに写真は修正してませんニコニコ)

 

最初はダブルレインボーだと気づいてなかったんですけどね。

うっすらですがダブルレインボーでした。

 

 

 

2個目はこのタイプ。

このタイプの虹を見るとすごく不思議な気分になります。

この日もそうですが、地上では雨とか全然降ってないこと多いですから。

去年辺りからちょくちょく見るようになったんですけど、これすぐに消えます。

 

真ん中辺りに見えるの、わかります?

これも虹の光の青みの部分が写ってないんですけど、実際はもっとちゃんとした虹色で、これが青空にいきなり見えるとすっごい綺麗で感動します。

私は俗に言う“見える人”ではないのでわかりませんが、この間たまたまネットを見ていたら、“虹龍様が現れてくださいました”と私が最近よく見るこういうタイプの虹の写真を載せてらっしゃいました。

 

最近は簡単な祈りや心の中で私が何かしらのメッセージを捧げた後、見上げるとその場で虹が現れる。。。なんてこともありますから、何かしらの高次の方であることは確かかと。。ニコニコ虹

 

3つ目はこれ。

写真ではほとんどわかりづらいかもですが、これは2個目の虹が消えた後、ちょっとしてから雲の中に現れました。

 

 

今回みたいに本物の虹もそうですが、例えばネット上の情報とか、道歩いてたらおじさんが車洗ってた水飛沫で一瞬虹が出来たのが見えたり、おもちゃのおまけが虹だったり。。。おもしろいでしょ?にやり晴れ虹

 

スピリチュアル的にも、虹は見ようと思っていつも見れるものじゃないからいろいろいい意味があるらしく、ダブルレインボーや虹を一日に2回目にすることなど、ほとんど奇跡に近いことなんだそう。

 

自然現象で1日3個の虹、それも一つはピンクの朝焼けの空のダブルレインボーなんて。。。やっぱりなすごいことなのかもです。立ち上がるスター

 

ついでに最近見た他の虹はこちら。

カフェの窓からふと顔を上げると低ーい位置に平たい虹。。。

 

こちらはこの間久しぶりにお参り出来た京都の稲荷山からの景色。

左上辺りに見えますか?

 

この時はこの後この虹は消えて、今度は太陽の反対側にもう一つ現れました。思えば、稲荷山にある神寶神社の御朱印は虹龍様🌈なんですよね。ニコニコ

 

何がいいこと起こるといいな。。。と期待しない程度に期待しておくことにします。照れ

 

許します!ありがとう!感謝します!嬉しい!楽しい!大好き!愛してる!よかった〜!幸せ〜!ついてる〜!

そして私は決断する!!真顔キラキラ

 

それではまた〜。UMAくん音譜

 

YOKKA流れ星

こんにちは。YOKKAです。流れ星


前回の小話に続きまして、今日はそのお話の内容の深掘りをしながら、私なりに今現在理解しているOnenessやCompassionについて考えてみたいと思います。(少し、いやかなり長くなりますがお時間ある方はお付き合いください。昇天)


このブログの冒頭やプロフィールなどでもお伝えしましたが、このブログは今まで30年間ほどの私のスピリチュアリティーの学びの中で、今私がお伝えできることをまとめてみようと始めたものです。そして、今回のこのお話は、妙に私の中で最近引っかかってしまった出来事とそれによる自分自身の中の葛藤からおそらく徒然なく生まれたものだと思ってます。


前回の投稿の最後でもお伝えしましたが、今回の心優しいサラちゃんのお話は子供向けのように思われたかもしれませんが、このお話には私の葛藤から生まれただけあって、かなりシニカルな要素も含まれております。イヒ合格


でも基本的には、これから地球の次元が上がってきてそれに伴い人々の意識も高まっていき、そして自分らしい生き方ができる人がどんどん増えていく中で、サラちゃんがお話の中で経験したことは、今スピリチュアリティに携わっている人々の子供達、そしてお孫さん達が通っていくことが多い道なのかな〜なんて思ったりしてます。そして、このニーナ的な役割をある意味、私達世代のライトワーカーやスターシードの人達が担うべき役割なのかなぁと思うんですよね。


言うなればこのお話は私の祈りでもあるわけです。キラキラ


で、葛藤から生まれたシニカルな部分、ですが。。。にやり。。。そうですね。。。

サラを睨んだサラと年も変わらないぐらいの男の子ですが、あの男の子が言った言葉、「商売の邪魔しないで欲しいんだけど」について、皆さんはどうお考えになりますか?


"商売の邪魔"っていう部分、単にサラがジャムを買いもしないで彼らの前に来てウロウロしてきたからその場で何となく言った言葉だったと思いますか?そう受け取るのが普通かもしれません。


でももし、あのジャムがあの男の子達の家にいる病気がちの母親が作ったもので、本当に美味しいものであり、商品としても優れている上、あの日あの男の子達はあのジャムを売ったお金で夕飯を買わなければいけないような状態だったとしたら。。。どうでしょう???


サラの善意から行ったパンをあげるという行為は、サラの中にどれだけの善意があろうと、全く悪気のかけらなんて無かろうと、エネルギー的に見ると完璧なまでの"商売の邪魔”以外の何物でもないということ、お気づきでしょうか?


エネルギーって基本的に単に流れるものなので、こればかりはエネルギーに作用する物事が起これば、与える側に悪意がなかろうとエネルギーの流れは起こってしまう。。。


そうだとしたら、あの男の子の言い分、完璧に正しくて、サラの浅はかな行動に対してありがた迷惑である、っていう感じの冷たい態度をとってしまったこともある意味納得がいくわけです。


更にもしあの男の子が父親もいない家庭で、病気がちな母親とまだ小さい弟を抱え、生活のため日々頑張っているような子供だとしたら。。。と考えたらどうでしょう? あの男の子は幼いながらも自分達から搾取していく人達に対するエネルギー察知の能力は並外れて優れているかもしれません。ある意味彼を取り巻く厳しい環境が彼をそうさせた、そうせざるを得なかった得なかったという状況で育ったかもしれません。そういう大変な環境に育った子供達って、例えば大学で心理学を勉強した人達が得た知識ベースの能力より、遥かに鋭く人の本質を見抜く力を持っていることが多々あるだろうと私は思っています。そうでなければ、誰かに助けを求める事もできず自死を選んでしまう子供達の数がここまで多くなるはずはないからです。


そういうところまでこれを読む皆さんには考えていただけると嬉しいです。


で、ここからは私の今抱えている葛藤の部分で、ある意味Confessionalみたいな部分でもあるんですが、

皆さんはCompassionってどうやって育まれるものだと思いますか? 


Compassion って日本語では"慈悲"って言葉になるんですが、日本語での慈悲という言葉とCompassionではちょっと使われ方が違うような気がしてます。例えばサラちゃんのパンをあげる行為は慈悲深い行為だとは言えてもCompassion のある行為だとは言えない。。。とかね。。。わかっていただけると嬉しいんですが、ちょっとこれを話し出すと更に長くなるので今回は割愛します。


。。。Compassion とはつまり、自分を相手の立場に置いて物事を見ることが出来ること。。。私は自分に起こったことを振り返っても、自分自身が辛く悲しく大変な思いをしたり、失敗をしたり、人から後ろ指を刺されるような肩身の狭い思いをする立場に立つようなことを経験したりなどなど。。。そういう経験を通してようやく大変な状況に置かれる人達の気持ちをより理解出来るようになった。。。理解できなくても気持ちを察するということが少なくともできるようになったというのがあるんです。例えば、周りをぐるっと見渡してもスピリチュアル的に気付きを得た人々って、大変な病気を経験したり、大切な人を亡くしたり、金銭面ですごく苦労したり、信頼した人から裏切られ傷ついた経験があったり、または虐待やいじめや嫌がらせなどのターゲットであったりというような経験をしてたりしてる人多いですよね。私自身もトランスチャネラーの方のリーディングをアメリカにいた時に受けた時、あなたは自分がそれらを経験することで他人の人の気持ちがわかるようになることを選んでいる。。。って言われたんですよね。


でも、本来ならば、自分らしく幸せになるのに苦労や痛みを選ぶ必要はない訳で、特にこれからの時代はそうなって行くと思うんですよ。そして今後このサラのようないい子達がどんどん増えていくだろう中、いつもニーナのような人生の先生が周りにいるとは限らないわけで、そんな時、人はどこでどうやって人の痛みを理解できるCompassion を学んで行くんだろう。。。って考えたりしてたんです。


。。。でね、今回私がしばらく感じていた葛藤に対して得た答えの中で、あぁ、こうやって学んで行くんだ。。。と感覚的にですが、なんとなくわかったような気がしたんですね。


私は以前からこのCompassionについては結構口うるさく何度となく意見している部分なのですが、去年からのいろいろな不思議事が増えてきたことから今またようやくキチンと自分のスピリチュアリティと向き合おうとしている中、つい最近ね、うーーーん。。。と考え込んでしまうことがあったんです。


どういう内容かというのは、具体的に説明するのは避けようと思いますが、ある人が使ったある言葉、"単語"とその後に続いた言葉からその人が背後に持ってる観念がパッと見えたことがあって、すごくモヤっとした気分になったんです。その人からCompassionが感じられなかったんです。Compassionがあったならその状況でまずその単語は選ばない、選べない、って思ったんですよね。


日本語ってね、言霊っていう素晴らしい文化があるじゃないですか。これはある高次の存在からの情報ですが、日本語は他の言語に比べてテレパシーでコミュニケーションをとっている部分が多い言語なんだそうです。


多分それですね。例えばですね、私は誰かが大変な状況に置かれていたとして、その人に対して「お気の毒」という言葉を使うことはあったとしても「可哀想」という言葉では形容したくない、適切ではないのではないかと思う、っていうのがあるんです。今回私が嫌だなと感じたのもそういう類いのことです。人によってね、一つの言葉に対しての定義って違いますから、一概には言えない部分ではありますが、つまりは自分がその言葉を形容される人の立場に立った時その言葉を自分に対して使われて心地よいかどうかってことですね。


で、私は、っていうと、この人に対して、このお話の中のサラちゃんを睨んで冷たくあしらった男の子のような気持ちになった訳です。


その後、サラが男の子に冷たくされてしくしく泣きながら冷たくした男の子の事を責めるような言い方をしてたシーンありましたよね。


サラちゃんにはねニーナという素晴らしい人生の先生がいましたが、人間ある程度年を重ね、成功を収めたりすると、サラが男の子を返って責める、っていうこのステージで止まってしまうことって私は多々あることだと思うのです。


特にスピリチュアリティに携わってる人たちには特に幾度となくこういった試練、レッスン、リマインダーがあるはずなんです。


簡単に言い換えれば、私は批判をしたくなった、ってことなんですが、今回このお話が頭に浮かんできて、いろいろ考えてて、「私自身もまだまだこのステージにいるんだな。。。」って思ったんですよね。


最近は言葉でハッキリと、っていうメッセージをいただくことが増えてきて、ついこの間また神社を参拝してる時にあることを言われ、私は「えっ凝視びっくりマーク」ってなったんですよ。今の私は自分に出来ることがあるならやろうとは決めているんですが、このメッセージに対しての私の正直な気持ちは「今の私にはやれる自信がない'」というものでした。


。。。というのもですね、私自身がスピリチュアリティを離れたところから見ていた頃、スピリチュアリティの分野で成功してその後闇堕ちした方の例をいくつか目の当たりにしたことがあるんですよ。例えば、極端にひどい例から上げると、皆さんも地下鉄サリン事件を起こしたある宗教団体とかのことは覚えてらっしゃる方も多いとは思います。


私もアメリカにいた時、目の当たりにした時は、本当に「えっ?こんなことあるんだ」って驚きました。人ってホントFragileな生き物なんだな、と思わざるを得ないと言いますか。。。でね、タチが悪いのは、スピリチュアリティの場合ごまかしが出来ない、もしその人の中で驕りやエゴか強くなり、その人自体の波動が下がると、繋がる存在だけでなく、いつも繋がっている存在でも降りてくるメッセージの内容にまでそのエゴが反映されることがあるんです。


でもその反対に、人の方がしっかりとした健全な体と精神状態を維持していれば、へんな霊的存在が来ても影響を受けない、ということになります。


つまりは人の魂のレッスンは繋がっているスピリットの存在うんぬんより、更に大きなところで動いてる、ってことです。


私がすごく残念だったのは、私が知ってる例のいくつかはその人の人生自体最終的には破滅的なものになったものもあったのですが、その人達が実際教えていた内容的には、本当に人の為になっていたものもあっただろう、ってことでした。それがね、「自分は人々を救ってる」なんていう人間のエゴによって気づかないうちに自らを自滅の道へ導いてしまう。。。この”気づかないうちに”っていうのが怖いところなんです。


私がいつも

“実るほど頭を垂れる稲穂かな"

"初心忘るべからず”

ってモットーを掲げてるのはそのせいです。


。。。神様のメッセージに対して、「自信がない」と、自分が思っている、っていうことを認識した時に気づいたんですよ。「あぁ、私もまだまだサラちゃんが文句言ってるステージなんだな。。。私もあの人(私がモヤっとした人)と一緒だな。。。」と。


。。。長くなりましたが、これがね、私の中でのOnenessに対する新しい考え方で、人が苦労や悲しみの出来事を人生に招かことなく人に対するCompassionを育んでいく方法です。


キリストの言葉の中に、


Do not judge others, or you will be judged in the same way you judge them. 

他人を判断してはいけません。さもなければあなたも同じように判断されますよ。


という言葉がありますね。

自分の中にないものは他人の中に確認出来ない。。。これもスピリチュアリティの教えですが、私はこれ、100パーセントその通り、って思ってるんですよ。つまりOnenessって全ての人を分け隔てなく愛すること、なんてよく言われますけど、例えば意地悪してくる人達を容認しろとか、そういうことじゃないですよね。Oneness という一つの大きなエネルギーの中で、他人から学び自分も客観的に省みることが出来るかどうか。。。そうすることによってCompassionって育まれて行く。。。Oneness ってそういうことなんじゃないかな、と実感として感じたのです。


長くなりましたが、聞いてくださってどうもありがとう。照れ

ま、神様からのメッセージについては、自分に出来ることはやっていこうとは決めてますんでね、その"自信がない"部分も徐々に自分の中で消化できて行ければと思ってます。私の場合、"自信がない”ぐらいの方がハンブルでいられていいのかもしれませんが。ニコニコ晴れ


去年から夢や瞑想内で出てきた神社仏閣など、延ばし延ばしにして行けてなかった所も最近行き始めましたので、またその時の事なども今後お伝えしていきますね。歩くスター


神奈川でも彼岸花が咲き始めました。秋らしくなってきました♪もみじ


許します!ありがとう!感謝します!嬉しい!楽しい!大好き!愛してる!よかった〜!幸せ〜!ついてる〜!

そして私は決断する!!真顔キラキラ

 

それではまた〜UMAくん音譜


YOKKA流れ星

こんにちは。YOKKAです。流れ星

 

今日はちょっと私の頭に浮かんだ物語を徒然なるままに書いてみようと思います。照れ

 

ある中世の街に貴族の過程で何不自由なく育った気立ての良い娘がおりました。名前はサラとしましょうか。サラには大好きなサラのお世話がかりのニーナという女中がおりました。


12才になったサラは初めて家族と一緒ではなく、ニーナと二人だけで街へ出かけることになりました。


いつもは両親が許してくれる場所しか行ったことのないサラは嬉しくてたまりません。

まだ行ったことのない場所へ行ってみたいとニーナと一緒に街をうろうろ歩き周りました。

 

そしてある街角へ差し掛かった時、ボロボロの服を着た年の頃はサラとそう変わらないだろう男の子とその弟とみられる子供二人が何やら小瓶をいくつか並べており、弟と見られる男の子はお兄ちゃんにしきりにお腹が空いたとべそをかいていたのです。

 

それを遠目に見たサラは思います。

「お腹がすいているのね。。。可哀想に。。。」


サラは咄嗟に小走りでその男の子達の所へ近づき、自分がさっきお気に入りのパン屋さんで買ったバゲットをサッと取り出して言いました。


「これよかったらどうぞ。。。」


そしてバゲットをその男の子に差し出しました。

 

その小さな男の子は目を輝かせ、

「いいの?お姉ちゃん、どうもありがとう!」

とすぐさまそのバゲットへ手を伸ばしてきました。

 

サラもにっこり微笑み、バゲットを手渡そうとしたその時です。

それを横にいたお兄ちゃんがサラと小さな男の子の間に割り込んできてそれをさっと遮ったのです。

 

そして、サラをキッと睨んで言いました。

 

「ジャム、買うの?買わないの?買わないなら商売の邪魔しないでほしいんだけど。」

 

サラは思いがけないその子の言葉にびっくりして、思わず手に持っていたバゲットを地面に落としてしまいました。そして、

 

「ご、ごめんなさい。わたし。。。」

 

と言った後、その場から一目散で走り去ってしまいました。


「サラ様!」

ニーナも後に続きます。

 

普段人に睨まれたり冷たくされることのないサラは、ショックのあまりすっかり気を落としてしまい、帰りの馬車の中でしくしく泣き始めてしまいました。

 

「私の何が気に入らなかったのかしら。。。私はパンをあの子にあげようとしただけなのに。。。私あの子達の邪魔なんてしてないわ。あんなに冷たくしなくてもいいじゃない。。。」

 

サラはニーナに言いました。

一部始終をそばで静かに見ていたニーナは口を開きました。

 

「サラ様、サラ様はとても優しいお方です。あの男の子がお腹が空いていたのを見て、ご自分のお気に入りのバゲットをあげようとしたんですよね。」

 

「そうよ。。。でも、どうしてあの子は怒ったの?わからないわ。お父様もお母様もいつも仰っているでしょう?恵まれていない人や困っている人には優しく接してあげなければいけない、って。。。」

 

ニーナはハンカチを取り出すと、温かい微笑みを浮かべながら優しくサラの頬をつたう涙を拭いてあげました。

そしてサラに言いました。


「そうですね。私はサラ様が誰に対してもお優しいことちゃんと知ってますよ。私に初めて会った日も着いたばかりの私に疲れていないかと、お茶とお菓子を持ってきてくれました。。。私はその日からサラ様が大好きになったんですよ。


サラの顔は少しだけ明るくなりました。

ニーナは続けます。


「。。。。。でも。。。サラ様は今日どうしてあの男の子達は恵まれていなくて困っている人だと思ったのですか?」


少し考えながらサラは答えます。

「。。。だって、服も汚れていてボロボロだったし。。。。あの小さな男の子はお腹がすいた。。。って言ってたわ。。。」

 

ニーナはにっこりとサラの目を見て微笑んで続けます。

「サラ様、私はサラ様の家で働く前は、この街からまた二山ほど離れた村で生まれ育ちました。今は旦那様のところで働き、こうして綻びのない素敵な服を着させていただいてますが、村で暮らしていた時は私もいつも今日会った男の子達と同じような服を着ていたんですよ。もっと酷かったかもしれません。自然の中でよく遊んでいたから、いつもいろんなところがほころんで、それを母がいつも繕ってくれていました。」

 

サラの目は大きく見開きました。

「ニーナもあのような服をいつも着ていたの?」

 

「ええ、そうですよ。もしサラ様がその頃の私を街で見ていたら、きっと同じように恵まれていないと思ったかもしれません。でも私達自身は、そういう服を着ていたからと言って自分たちが恵まれていない、なんて思ったことなんてありませんでした。贅沢な食べ物はありませんでしたが、周りは自然豊かで、父も母も愛情たっぷり注いで育ててくれました。お腹が空けば自然の中で見つけた木の実など見つけては食べたりしてました。」

 

そしてサラの目を見てもう一度にっこり微笑みながら言いました。

「あの男の子達は、ジャムを売っていましたね。ジャムってね、材料やその分量、作る人によって味が全然変わるんですよ。」

 

サラはすっかり泣き止み、パッと何かに気がついたように目を見開いた後、また何かしばらく考え込んで、そしてニーナに言いました。


「あれは。。。ジャムだったのね。。。私、気が付きもしなかったわ。。。おまけにジャムを売ってるのにパンをあげようとしてたなんて。。。」


サラは続けます。

「。。。そうよね。。。ばあやが作るジャムもいつもとても美味しくて私大好きだもの。。。あのジャムはあの子達のお母様が作ったのかしら。。。あの子達、それを売ってたのね。。。。私とあまり変わらないぐらいの子達だったのに。。。偉いわ。。。」

 

そして、何か吹っ切れたようにサラの顔はぱっと明るくなり、目を輝かせて言いました。


「そうね。。。私、もし今度あの子達を街で見かけたら謝らなくちゃ。それからジャムのこともいろいろ聞いてみるわ。私ジャム好きだし。」

 

ニーナもそんなサラを見てさらににっこり微笑えみかけて言いました。

「それがいいと思いますよ。」

 

気立て良くすくすく育っている心優しいサラが、更に一つ優しい心を育めたそんな一つの出来事となりました。

 

めでたしめでたし。。。。愛飛び出すハート

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。。。とまぁ、ふと頭に浮かんだお話を書いてみましたが、いかがだったでしょうか?立ち上がるスター

(文章が多少雑なところはご勘弁くださいニコニコ


今回のこのお話は、妙に私の中で最近引っかかってしまった出来事、それによる自分自身の中の葛藤から多分生まれたものだと思います。


一見、Oneness とは関係ないような子供向けのお話のようですが、もうちょっと深掘りすると私の中の葛藤から生まれたのがよくわかるシニカルな要素も含んだものとなってます。ニコニコ晴れ


。。。ってな感じで、皆さんもどうか一緒にCompassion、Oneness について今一度考えてみていただけますと嬉しいです。


次回、最近の私の中の葛藤のお話を含め、もう少しこのお話について深掘りしていきますね。ニコニコ晴れ


後これはまた数日前に見た虹🌈オエー

こういうタイプの短い虹を去年からよく見るようになりました。見える人によっては虹龍さんだともおっしゃいます。


許します!ありがとう!感謝します!嬉しい!楽しい!大好き!愛してる!よかった〜!幸せ〜!ついてる〜!

そして私は決断する!!真顔キラキラ

 

それではまた〜。UMAくん音譜

 

YOKKA流れ星