僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる
おはようございます。昨日の振り返りです。昨日に限ったことではありませんが、覚醒に対して、時々「これでいいのかな?方向性は合っているのかな?」と思考する事があります。こうしてブログを書くことも、間違ったことを書いていては嫌だな、とか。ちっとも変わらないわたしがいて恥ずかしいなど思考することあります。その方向性こそが見直しポイントなんだろうとあたりをつけていますが、情動に呑まれている状態です。「覚醒」に囚われています。できる自分でありたい、わたしはできるという傲慢さがあります。実際覚醒体験をしたことないので、何がどうなるのか、ほんとのところ、わかっていません。わからないから「できている」とか「間違った方向に向かっている」とか思えるはずがないのですが、そう思う自分がいます。目的に囚われたり、今ここにない過去や未来に囚われたり、いろいろ思い込みがあります。そう思うことを掴んで離さないと決めているのはわたし自身です。側から見るととても窮屈ですね。選択する自由はいつもある。無限の可能性を持っていることがみえていません。盆栽のように芽を摘まれたり、針金で向きを固定されたりするかもしれない。それはとても自由とはいえないと自我は言うけれど、それは到来する現実までも自分の思い通りにしたいということで、それもまた傲慢な意識です。到来する現実に逆らわずしなやかに生きてみる。今はまだ細い棒切れのような盆栽が、芽を摘まれ、針金で向きを固定されたりして10年、20年と年を重ねた結果、幹を太くし、枝をくねらせたおもしろい形になるように、ずっと先になってはじめて観えるものがある。どんな形になるのかは今はまだ未知であるということ。もう一度ここからリスタートします。今日もおつきあいいただきありがとうございます。読んでくださってありがとうございました。