役割外の依存をなくしていく
おはようございます。先日元夫からLINEがありました。「今月で養育費の支払いが完了した。正直ほっとしている。」という内容です。あなたの支払いは完了したかもしれないけど、子供が卒業するまではわたしは子供を養い続けるのだけど。という思考が湧きました。が、それをそのまま書くのも憚られ、(思考的には「自我は最後尾」「わたしの気持ちはどうでもいい」なのだから)「ありがとうございます。」と書く。そしてその言葉に違和感を感じしばし保留します。お昼休みに元夫の言葉と自分の言葉をみて、しばらくにらめっこし、ふと、離婚してからずっと欠かさずに遅れずに毎月振り込んでくれていた事実を思い出し、このお金に実際にも気持ち的にもずいぶんと助けられていたことに思い至りました。世の中全部なんとかなるわ的に甘い考えで過ごして来れたのも実際に苦労もなく生きていられるのも元夫含め周りに助けられているからだと盲目に光があたりました。ほぼ他力でここまで来たのに、わたしが自力で生きてると思ってるあたりそうとうな自我の強さです、はい。起点を「わたし」に戻すとすぐぶれますが、光が差した位置からもう一度お礼のLINEを書き、送信しました。そして次のステップ(家を借りているので子供が独り立ちをしたら家を出ること)のための準備を進める決意を新たにしました。自我中で観ると不満ばかりが目につきますが実際は役割に応じてできることをして支え合って生きていることは、流通の仕組みからもわかります。(身の回りのもの全て自分で調達するのはリアリティがありません。多くの手に支えられて実際の生活も成り立っています。)今日はこの辺りで、おつきあいいただきありがとうございました。読んでくださってありがとうございます。