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恵翠(けいすい)書道教室

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特別賞が2つ増えて3つになりました。何と小3と小5の兄弟での受賞でした。

 

昨年特別賞だった子からの報告がまだ無いのですが、3年連続で特別賞を受賞していた子を、もっと伸びて欲しい理由で他の塾に紹介して移ってもらったこともあり、彼女抜きでの3つというのは、想像もしていませんでした。

 

 

掃除をしていて、以前に私が、日本刻字協会展で理事長賞を受賞した賞状がふと出てきました。あの時は、とても忙しかったのか封筒から出していなかったのでした。何と副賞は素晴らしい拓本でした。それを見ていて思いにふけっていた時に、子供から特別賞受賞の電話が入ったのでした。

 

 

最近、とあることで切ない状態が続いていて苦しんでいるのですが、そんな時、次のメッセージが心に飛び込んできました。

 

 

信じ切る信仰(マルコによる福音書 11章22節~24節)

 

もし、信じ切らなかったなら、私は障害者のままであっただろう。

 

声楽でのステージでは、いつも信じ切ることで成功してきたように思う。

 

信じ切らなくては、奇跡は起こらない。

 

疑う心が1パーセントでもあれば、奇跡は起こらなかったように思う。

 

ただ、奇跡の裏側には、壮絶なほどの努力があったことだけは確かである。

 

宝くじを買った。

 

今回も当たらなかった。

 

「私は運が悪いんだ。奇跡なんて起こるわけがないんだ。」

 

と、すぐに挫けてしまうようでは、奇跡に出会うことなど一生ないだろう。

 

まずは神様がそんなに安易に希望を叶えてくれるだろうか考えてみよう。

 

私は、その希望に叶うだけの努力をしてきただろうか考えてみよう。

 

神は、あなたが今よりも良くなることを応援したいのだ。

 

だから、神に努力が認められた時に、きっと宝くじは当たるのだろう。

 

もし、宝くじが当たるという奇跡が起こらないとしても、努力の積み重ねによって、それに値するだけの報酬が別の形で入ってくることだろう。

 

あなたは努力をして、神に運を託しますか?

 

それとも、卑怯な方法で、悪魔に運を託しますか?

 

 

 さて、結果を気にして何もできない状態でいるのは私らしくないのかもしれません。こういう時は、ひたすらベストを尽くして待とうと思います。

 

 

 

 

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県書写コンの結果は、現在までに、特別賞が 1 、推薦が 9 、特選が 6 ではあります。去年、特別賞だった子、その前の年特別賞だった子からの報告はまだ含まれていないので、まだ数字が良くなるかもしれません。

特別賞だった子は、担任の先生から「ヘタと言われ」作品を突っ返されて、彼女も私もヤル気に火がついて、猛烈に頑張った子でした。共に良い経験になったと思います。

 

とは言え、当塾の子は、他者評価に振り回されず、しっかりとした自己評価ができる子へと指導しています。結果に左右されることなく、芸術の素晴らしさを感じられる子供たちであって欲しいと願います。

 

 

 

 

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大きな半切サイズ(条幅)の用紙に書いてもらった全日本書初め大展覧会の結果が届いた。特選が7名、秀作が3名、佳作が3名、努力賞が1名だった。

日本武道館賞が1名も取れなかったのは、今回が初めてのことで、私が担当してから一番残念な結果となってしまった。

今回は、昨年度に、県書写コンで推薦もしくは特別賞を取った児童、または高円宮杯で日本武道館賞もしくは大会奨励賞を取った子には辞退してもらったので、いつも日の当たらない子に大きな賞を取らせようと頑張ったのだが、残念な結果となってしまった。

残念なことが、毎度、同じ子が大きな賞をさらってしまう。昨年、1回奇跡が起こったのは、前年に銀賞だった子が、千枚書きをした結果、日本武道館賞を取ったことである。今回の全日本書初め大展覧会では、残念ながら、そういった奇跡が起こらなかった。

昨日のお稽古で、毎年、高円宮杯で大きな賞を取っている子が、県書写コンで、準特選という残念な結果だった。彼女は、昨年ブラスバンドで全国大会に出場し、見事金賞を受賞して話題になった部員の一人である。彼女の悔しさが感じられたので、私は、「あなたは全国では認められる人だけど、田舎の岩手県では認められない人なのかもしれないね。つまり都会受けしているんだね。田舎では認められなくても、都会で認められるんだから凄いじゃないの。だから、悔んじゃだめだよ。」と慰めました。ただ、彼女の耳に入るように、毛筆も硬筆も推薦(特選より上)を取ったという他の子の報告が入ったのだが、彼女は全国展では結果の出せなかったメンバーだった。そういう意味では、上手くバランスが取れた感じもするのである。ただ、良い賞を取らせたいと頑張らせた子に結果が出せなかったことが悔やまれてならないのである。とはいえ、諦めずに、今年はこの子に最高の賞を取らせるように頑張らせるつもりである。

これから、ぞくぞく県書写コンの結果が入ってくると思うのだが、子供たちをいかにフォローすべきかで頭を痛めそうである。

だいたい芸術に「できる」「できない」という評価を入れるべきではないと思うのだ。芸術に関しては、子供たちに苦手意識を植え付けてはいけないからだ。私は現在、「結婚愛」についての研究をしているが、この崇高な愛に生きるためには、芸術性が必要となって来るのである。つまり、パートナーを褒め、お互いに心を満たし合うには、ありふれた言葉ではなく、芸術的なセンスの伴う言葉が出て来なくてはならないからだ。芸術が苦手になってしまっては、その子は結婚愛を築けないことになってしまうのだ。

最近、シュタイナー教育を積極的にやっているのはそのためで、評価無しで芸術を楽しみ好きになって欲しいと思うのである。オイリュトミー(舞踊的アプローチ)でお友達と共同で芸術を味わうことを楽しみ、フォルメン(描画的アプローチ)で、お友達と同じ絵を描くことを楽しむのである。そこには、できる子とできない子という概念は存在しない。共にやり遂げた充実感を味わうのである。

日本の義務教育は、現代社会、つまりは競争社会を生き抜くためのものであって、幸せになるための教育ではない。良い成績を取ることばかりに集中させてしまい、お友達を大切にすることをほとんど学べていないのだ。お友達を大切に出来ない子は、いずれ結婚相手となるパートナーも大切に出来ないわけで、結局は永遠性を感じることの出来ない人間、心の満たされない「不平不満」と「妬み僻み」の念の渦巻く人間となってしまうのである。やはり、シュタイナー教育もやっていかないと、そこのところのバランスが取れないような気がするのである。

私は、書道の大家ではないので、私の力で子供たちに良い賞を取らせることはできない。そういう力で子供たちに良い賞を取らせているという情報がよく耳に入るので頭に来る。ただ私の場合は、母を通し、書道の大家になるとはいかなることかを学んでいるので、そういうことに全く憧れていないのである。私の専門の声楽においても、勲章となるような受賞歴はないが、ファンを多く獲得している。私は権威を得て威張るために頑張っているのではなく、人と良い絆を得る方を重要視しているのである。

良い賞を取らなくても、芸術を最高に楽しむ方法を子供たちに伝えていきたいと思うのである。




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今年は、父の一周忌でもあり、新年のご挨拶はご遠慮させていただきました。

 

元日から、小論文風の文章を書いていて、10日に完成。多分、自分の中では最高傑作が書けたように思います。

 

それが、西野カナとOliviaの音楽をかけながら書いたものなので不思議な感覚でした。今までの自分とは違った自分が引き出されたと言うのか…

 

しかも、数々あった解らないことが一気に解決。人生で一番すっきりした感じを味わっています。英語力を身に付けて、また同志を募りチームを組んで、いつか世界に発信したいと思う内容でもあります。なので、今は発表できません。

 

また、介護中の母のために随分時間を割きました。美味しいレストランに食べに行ったり、美しい風景を見にドライブしたりと楽しんでもらいました。

 

そういったこともあり、ブログの更新をお休みしておりました。

 

今年は、20歳若返るのが目標です。体力的にも、頭脳においても、ファッションセンスも… 幸せ優先で生きていこうと思います。

 

 

 

 

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一昨日、北光誌の1月号が届き、段試験の結果を知ることができた。

 

今年1月、父が亡くなったことで母が激しく狂ってしまい振り回されていたため、一番出来る子に他の塾に移ってもらった。その子は、硬筆は特待生。毛筆は8段と、両方合格していた。

 

前回、努力したにもかかわらず、毛筆、硬筆共に不合格だった子は、今回は両方合格させることができた。前回、不合格だったものに対しては、全員合格させることができたという意味では良い結果が得られたと思う。

 

昨晩、私の一番弟子だった子を合格させてくれた先生にお礼の電話を入れた。次に、前回、両方不合格だったのに、今回、両方合格できた子のお母さんに祝福の電話を入れた。そして、一番弟子の本人とお母さんに祝福の電話を入れた。

 

しかし、前回、さほど頑張らなくても合格した子は両方とも不合格となった。それはそれでよかったのだと思う。私が厳しいことを言わなくても、厳しい現実が、そういった考え方を改めさせてくれるからだ。ということで、今回の審査結果も、とても満足のいくものであったと思う。

 

今週、子供たちは全員で、クリスマスの飾りつけの準備を楽しそうにやってくれた。クリスマスは、もう一つの子供の日なのかもしれない。大人が準備したものではなく、子供たちの手作り感にこだわっているが、大人では考えられないようなセンスで出来上がっていくのが見ていて楽しい。

 

さて、今年は妻の精神不安定にも激しく悩まされた。妻は仕事で自信を失う連続で、一切の家事をしなくなってしまった。これまでいろいろ仕事をさせてはみたものの、どの仕事も適応できなかった。資格や免許もいろいろ取らせたが、なかなか生かせない。現在の介護の仕事は、周りの職員たちに励まされて何とか続けられている状態だが、彼女にとってそれで精いっぱいのようである。彼女の親がカルト宗教に走って放棄した幼児教育の不足を補うことは生易しいものではないと痛感している。まるで赤ちゃんから育て直すような感じではあるのだが、赤ちゃんのように素直に従ってはくれない。彼女の芸術性は素晴らしいのだが、生かす場が見つからない。気まぐれでお習字の現場に来ることもあるのだが、自信が無いからと子供と接することを避けているようである。

 

教育の大切さは、亡くなった暴力的だった父と、妻によって嫌というほど思い知った。そして、私の人生のテーマとなったのである。

 

最近、エマヌエル・スウェーデンボルグの『結婚愛』という本を読んでいるが、なぜかそのことで希望に満たされている。新たな人生の目標が得られたと思えたばかりか、爆発する世界の人口問題を解決できる鍵をそこに見出すことができたからである。

 

 

 

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