全日本書初め大展覧会の結果 | 恵翠(けいすい)書道教室

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大きな半切サイズ(条幅)の用紙に書いてもらった全日本書初め大展覧会の結果が届いた。特選が7名、秀作が3名、佳作が3名、努力賞が1名だった。

日本武道館賞が1名も取れなかったのは、今回が初めてのことで、私が担当してから一番残念な結果となってしまった。

今回は、昨年度に、県書写コンで推薦もしくは特別賞を取った児童、または高円宮杯で日本武道館賞もしくは大会奨励賞を取った子には辞退してもらったので、いつも日の当たらない子に大きな賞を取らせようと頑張ったのだが、残念な結果となってしまった。

残念なことが、毎度、同じ子が大きな賞をさらってしまう。昨年、1回奇跡が起こったのは、前年に銀賞だった子が、千枚書きをした結果、日本武道館賞を取ったことである。今回の全日本書初め大展覧会では、残念ながら、そういった奇跡が起こらなかった。

昨日のお稽古で、毎年、高円宮杯で大きな賞を取っている子が、県書写コンで、準特選という残念な結果だった。彼女は、昨年ブラスバンドで全国大会に出場し、見事金賞を受賞して話題になった部員の一人である。彼女の悔しさが感じられたので、私は、「あなたは全国では認められる人だけど、田舎の岩手県では認められない人なのかもしれないね。つまり都会受けしているんだね。田舎では認められなくても、都会で認められるんだから凄いじゃないの。だから、悔んじゃだめだよ。」と慰めました。ただ、彼女の耳に入るように、毛筆も硬筆も推薦(特選より上)を取ったという他の子の報告が入ったのだが、彼女は全国展では結果の出せなかったメンバーだった。そういう意味では、上手くバランスが取れた感じもするのである。ただ、良い賞を取らせたいと頑張らせた子に結果が出せなかったことが悔やまれてならないのである。とはいえ、諦めずに、今年はこの子に最高の賞を取らせるように頑張らせるつもりである。

これから、ぞくぞく県書写コンの結果が入ってくると思うのだが、子供たちをいかにフォローすべきかで頭を痛めそうである。

だいたい芸術に「できる」「できない」という評価を入れるべきではないと思うのだ。芸術に関しては、子供たちに苦手意識を植え付けてはいけないからだ。私は現在、「結婚愛」についての研究をしているが、この崇高な愛に生きるためには、芸術性が必要となって来るのである。つまり、パートナーを褒め、お互いに心を満たし合うには、ありふれた言葉ではなく、芸術的なセンスの伴う言葉が出て来なくてはならないからだ。芸術が苦手になってしまっては、その子は結婚愛を築けないことになってしまうのだ。

最近、シュタイナー教育を積極的にやっているのはそのためで、評価無しで芸術を楽しみ好きになって欲しいと思うのである。オイリュトミー(舞踊的アプローチ)でお友達と共同で芸術を味わうことを楽しみ、フォルメン(描画的アプローチ)で、お友達と同じ絵を描くことを楽しむのである。そこには、できる子とできない子という概念は存在しない。共にやり遂げた充実感を味わうのである。

日本の義務教育は、現代社会、つまりは競争社会を生き抜くためのものであって、幸せになるための教育ではない。良い成績を取ることばかりに集中させてしまい、お友達を大切にすることをほとんど学べていないのだ。お友達を大切に出来ない子は、いずれ結婚相手となるパートナーも大切に出来ないわけで、結局は永遠性を感じることの出来ない人間、心の満たされない「不平不満」と「妬み僻み」の念の渦巻く人間となってしまうのである。やはり、シュタイナー教育もやっていかないと、そこのところのバランスが取れないような気がするのである。

私は、書道の大家ではないので、私の力で子供たちに良い賞を取らせることはできない。そういう力で子供たちに良い賞を取らせているという情報がよく耳に入るので頭に来る。ただ私の場合は、母を通し、書道の大家になるとはいかなることかを学んでいるので、そういうことに全く憧れていないのである。私の専門の声楽においても、勲章となるような受賞歴はないが、ファンを多く獲得している。私は権威を得て威張るために頑張っているのではなく、人と良い絆を得る方を重要視しているのである。

良い賞を取らなくても、芸術を最高に楽しむ方法を子供たちに伝えていきたいと思うのである。




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