登校拒否を考える | 恵翠(けいすい)書道教室

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 私が知るケースにおいては、登校拒否の子どもに共通していることは、親の過保護が過ぎているという点です。

 親が子どもの問題に介入し、学校に抗議しに行ったり、いじめた子どもの親御さんに抗議に行ったりしているのです。

 これは親の愛情の故と思われるかもしれませんが、そうなると子どもは自分で問題を解決できず、現実から逃避しなくてはならなくなります。その結果、登校拒否になってしまうのです。

 どんなつらい問題でも、逃げてしまえば、トラウマが強く残るだけ。そのトラウマが増えてしまえば、閉じこもるしかありません。自力で解決してこそ、その子の力となるのです。頑張って乗り越えなくては、トラウマを残してしまう、されにはため込んでしまうのです。

 親という字は、木の上に立って見ると書きます。つまり、見守るということなのですが、苦しんでいる子どもを見て助けたくなるのが心情なのですが、助けずに見守るという事は、親にとってとても辛いことでもあるわけです。

 子どもに魚を取ってあげていては、子どもはいつまでも親に魚を取ってもらわなくてはなりませんが、魚の取り方を教えるのなら、子どもは自立心が養われ自分で魚が取れるようになります。それと同じように、親は、子どもに苦しん状況を乗り越えるためのヒントを教えてあげればよいのです。

 最近、発達障害の子どもが目立つようになりました。これは一つの現代病なのかもしれません。それはともかく、ある親は、子どもの発達障害を頑固に認めずに、医師と喧嘩するなどして病院の診断を無視してしまい、子どもが落ち着かない状態を続けてしまったわけです。その結果、落ち着かない状態が習慣化してしまい手の付けられない状態になってしまいました。とはいえ、落ち着かない状態は時間を掛けて自然に緩和していくので、悪い習慣を残しながらも自律できるようになっていくようです。

別の親は、子どもを病院に連れていき、病院の診断に従い、子どもが落ち着く薬を処方してもらったわけです。そして、子どもが落ち着いた状態を生かして、躾のある生活をさせたのでした。これなら、躾が習慣化するので、いずれ薬をやめても、良い習慣によって自分をコントロールすることが出来るようになることでしょう。シュタイナー的には、肉体的な欠陥を改善するために、薬の力を借りて、アストラル体を改善・進化させていくわけです。薬はエーテル体を破壊するものなので、薬から脱却した際に、エーテル体の流れに滞りが無くなり、さらに肉体的な欠陥が改善されていくわけです。

 問題は、病院から薬を処方してもらいながら、子どもに躾ある生活ではなく、甘やかした生活をさせているケースです。これでは薬を飲んでいる意味がないばかりか、精神の弱い子どもになってしまいます。薬は子どもの健康をむしばむことでしょう。子どもが苦労しているのを見ていられないのはわかるのですが、苦労こそが実力に繋がるわけで、そのチャンスを親が奪ってしまうようではいけないと思うのです。

 つまり、家庭内で厳しく躾けをし、あとは子どもが問題にぶつかっても自力で解決できるように導いてあげれば良いのです。

 シュタイナー教育は、子どもを良い環境で育てることを神経質なほどに重要視しているので、むしろ弱い子になるのではないかと思う人もいるかもしれません。しかし、それは違います。シュタイナー教育では、子どもが自分の意志で考える力を養う教育を行っています。つまり、魚の取り方を教える教育なのです。〔アストラル体の向上 → 良心の向上 → エーテル体の向上 → 魂の向上 → 肉体面の向上 → 能力の向上〕の図式です。

 私はシュタイナー教育を受けてはいませんが、子どもの頃から、自分の意志で考える力を持っていました。お友達全員が間違った考えをしていても、「悪いことは悪い」と考えられたので、いじめを受けたとしても自信を持って悪いことを退けることができたのです。これは、両親から学んで獲得した考え方ではなく、もともと備わっていた性質なのかもしれません。子どもの頃、読書が好きだったので、読書の世界の私のヒーローたちがお手本となっているのかもしれません。

 以前、異端的キリスト教に入信していた際、教会の指導者が、「もし私がサリンを蒔けといったら、皆さんはサリンを蒔けますか、蒔ける人は手を上げなさい。」と言った際、私以外の人は全員手を上げました。では、蒔けない人は手を上げなさいと問われたので、私は手を上げました。なんと手を上げたのは私だけでした。

 その指導者は、「私の言うことは、教会本部の指示によること。教会本部からの指示ということは、神様から直接指示を受けているということなのです。あなたは、それでも指示に従わないのですか。」というので、私は「はい」と答えました。さらに、「そのような間違ったことを言うのなら、教会本部は神の言葉を受けていないと思います。」と言いました。すると、その指導者は、「私はあなたのような不信仰を見たことがない、あなたを宗紀委員会に訴えますから覚悟してください。私は勝つでしょうが、あなたは決して勝てないでしょう。」と言われたわけです。

 私は、その後、啓示的な夢を見て、その夢に勇気を得て、その教会を迷うことなく辞めることができました。このことは、オウム真理教のサリン事件が話題になった後のことなのですが、その教会の信者がいかに世間の問題に関心が疎く狂っていたかが分かるのではないでしょうか。

 「悪いことを悪い」と考えられると、周りに人の言動に左右されなくなります。つまり、周りの人の言動に左右されない分、心の悩みが軽減するわけです。もちろん、ある意味その協調性のなさから、以前はいじめられることも少なくはなかったのですが、年を重ねるたびにかわし方を身に着け、自己解決ができるようになり、短い時間で立ち直れるようになってきているように思います。

 一つだけ言えることは、私の場合は、私のいじめの問題に関しては、親が何もしてくれなかったということです。今思うと、それは私にとってとても感謝すべきことだったと思います。

 良書を読ませることも、いじめに遭っても、自分を失わずに上手くかわせる体質を築くのに大いに役立つと思います。薬だけ飲んで、良くなることは決してないと思います。まして、環境を変えたからといって、本人は何も変わっていないわけで、良くなるということではないと思います。

 良くなるとは、戦って勝ち得るもので、積極的なものなのです。決して、現実から逃げてはいけません。もし、負けても、諦めないこと。皮膚が裂ける残酷な鞭で打たれて全身くまなく傷つきながら、重い十字架を背負いゴルゴダの道を歩むイエス・キリストのように、倒れても、倒れても、立ち上がり、真実の勝利へと向かう歩みを止めないことです。これが、神が私達に望んでいる生き方だと思えてなりません。



 それでは、皆さん、良い年を!

 来年も、どうぞよろしくお願いいたします。




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