終戦記念日に、平和について考えてみた。巷の平和論とは切り口がだいぶ違っているのかもしれない。
第二次世界大戦後(日本の終戦は1945年8月15日)、米ロ(当時はソ連)で競って核兵器の開発が勧められ、おびただしい数の核ミサイルが配備されている(米とロだけでも、4000基とも、18000基とも言われている)。いわゆる「核のボタン」が存在するようになったのである。
もし、核のボタンが押されたらどうなるか。それこそ、1917年にポルトガルのファチマで、3人の牧童に出現した聖母マリアの警告にあるように、「火煙が天より下り、大洋の水は煮えたぎって蒸気と化し、ありとあらゆるものが破壊され、その艱難によって無数の人々が死に絶え、生きのびた者もまた、死者をねたむほどの苦難に襲われる。」が、現実のものとなるだろう。多くの原発も破壊されるので、容赦なく放射能をまき散らす。どんなに生き延びたとしても、重度の障害と奇形児の問題が酷く悩まされ、原状回復するには想像を絶する時間を要することになるだろう。
この核のボタン、20世紀の半ばまでは人類の歴の中に存在していなかった。魂の進化という意味で、核のボタンの前後では大きく変わってくる。核のボタンが存在するまでは、人間はあと数千年掛けて、つまりは何度も生まれ変わって魂の進化を行えると考えることができた。しかし、核のボタン以後は、人間の魂の進化のタイムリミットは、あとわずかかもしれない。明日がその日となるかもしれないからだ。
核のボタンの出現前後で、この世での意味合いが変わってしまったといっても過言でないのかもしれない。変わってしまっているのに、そのことに気づいていない人が多過ぎるのである。
釈迦は、本来輪廻転生ではなく、解脱への道(出家仏教)を示したのである。そのため、最古層の仏典では仏教の基本教理でも輪廻転生には触れられていないのだ。後に弟子たちが背教をしてしまい、大乗仏教となってからは〈在家仏教〉に様変わりしたばかりか、仏教以前のバラモン教寄りに修正されて現在に至るのである(佛教大学・並川孝儀教授の説/『ゴータマ・ブッダ考』(2005年 / 大蔵出版)。
そうなると、本来の仏教の教えはイエス・キリストの教えに近いものといえるのである。プロテスタントにおいて、洗礼が天国行きへのプレミアムチケットのような意味合いとなってしまっているが、その点においては修正すべきではないかと思う。プロテスタント信者はカトリック信者よりも聖書に良く親しんでいる良い面を持っている反面、初期の激しい伝道活動の名残なのか、「十字架の無代価の救い」を強調し過ぎるのである。当時の時代背景上、それがベストの教義であったのかもしれない。しかし、キリストははっきりと聖書の中で、「全てを捨てて私に従いなさい」と何度も言っているのである。つまりこれは、釈迦が説く解脱への道(出家仏教)に等しい考え方なのである。クリスチャンという肩書きより、魂の進化の度合というか、信仰の実り具合が重要なのだ。本来洗礼とは、キリストに派遣された宣教者となるための決意表明を示している筈である。
物質的価値観に心を奪われず、富への執着を捨てて、神に心を向けて魂を向上させ、天国と一致した信仰を確立せよということなのである。人々の手本(世の光)となる生き方をし、そのために宣教者であるべきなのだ。十字架の贖罪は、どんなにこれまでに重い罪を犯したとしても、悔い改めて神に立ち返るのなら、《生きている限り、天国への道は全ての人に等しく開かれている》ことを示している。一切の人を差別しないキリストの教えは、「愛の法則」の上に成り立ったものなのである。
核のボタン以後、《本来の》釈迦の教え、《本当の》キリストの教えが問われる時代に入ったのではないだろうか。つまり、まったなしなのである。
そんなことを考えていた時、一冊の本が、私に新しい心の方向性を与えてくれた。ヴィセント・ギリェム著 小坂真理訳『魂の法則』(2014年 / ナチュラルスピリット刊)である。
この本は著者と訳者が印税を放棄しており、全文の『魂の法則』PDF原稿ファイルを無料で入手することも可能である。下記のサイトから、PDF原稿ファイルのダウンロード可。
魂の法則
この説で考えるなら、仮に核のボタンが押されたとしても絶望することは無いのである。つまり、他の惑星に転生できると言う説なのである。私たちは、この世で進化させた魂より低い次元の惑星に転生できるとのこと。よりよい環境に転生したいのなら、魂のレベルを思いっきり上げた方が良さそうである。現状維持では、現状より少し下の次元に転生することとなるのである。
これでいくと、「世の終わりが近いから、頑張る意味がない」と投げやりに生きる人は、馬鹿を見るのである。ウチの塾の子でも、とても優秀な子だったのに、インターネットや、コンビニのペーバーバックライターで、2012年に世界が滅びるという情報を真に受けて勉強を怠けてしまい、ランクをずっと下げた高校に入ることになった男子生徒の例が思い出されてしまう。あの時、気の利いた話をしてあげられなかったことが悔やまれてならないのである。
さて、問題となるのは自殺した魂で、肉体と霊体を繋ぐシルバーコードを自らの意志で切ってしまうため、霊界からの使者が迎えに来てくれないのである。こうなると、自殺した魂は、核戦争のよって壊滅した地球に残されてしまうことになる。これは最悪の事態と考えられるため、自殺の抑止になる話といえると思う。
ただ、こういった霊学的な分野の話題は、「わからない」の分野なので、「わからない」ことは「わからない」まま受け止めるべきで、確実な情報には至っていないことを認識する必要はある。あくまで参考なのではあるが、軽視はできないことなのである。『魂の法則』は、著者が幽体離脱することにより、イザヤという優れた霊人と会話したことについて綴ったものであるが、私の場合、はじめは抵抗があったが、読み進めていくうちに優れた本であると感じるようになっていった。この本を読むと、難解なシュタイナーの文献が読みやすくなるので実に不思議である。
こうなると、未来への不安や絶望などに振り回されることなく、惑わされることなく、天から与えられた使命を果たしながら、ひたすら魂の修行に励み続けることが優れた生き方といえるように思えてならない。
どうしても書き加えたいことがある。
正義のために戦ったり、命を捨てるようなことは、神のご意志とは反対の方向なのだと思う。この場合、盲目となっており、誰かの尊い命を傷つけているのだ。そんなことに情熱を向けるのではなく、自分の魂磨きこそが重要なのだ。それに悪い者は、自ら滅びる性質があることを知るべきである。しかし、友を救い出そうとしたり、友のために命を捨てることは、宗教や政治的な旗印に翻弄されることとは全く別次元のことであり、こちらは神のご意志といえることなのである。
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