8月7日(木)
時間:16:05~16:45
指導:菊池澄子先生
児童:小学2年生の男の子、小学4年生の女の子2名の計3名。終わりの方で、小学3年生の女の子1名加わった。
協力:佐藤潤、佐藤絵美子
教師と自己紹介し合う(小学生は学年とお名前だけでもよい)
①歩きのワーク:数を数えながら(教師のみ)の前進と後進
(前進)いち ※足をあげる(以下、交互に足をあげる形となる)
(後進)いち・に
(前進)いち・に・さん
(後進)いち・に・さん・し
(前進)いち・に・さん・し・ご
(後進)いち・に・さん・し・ご・ろく
(前進)いち・に・さん・し・ご・ろく・しち
(後進)いち・に・さん・し・ご・ろく
(前進)いち・に・さん・し・ご
(後進)いち・に・さん・し
(前進)いち・に・さん
(後進)いち・に
(前進)いち
②言葉と一緒に動くワーク
一歩前進し、右手を高く上げ「私は一本の木です」と言う。※教師の動きに習って動作する。
両足を右、左とゆっくりと開き、手を右・左と45度下にゆっくりと開き「私は山です」と言う。
一歩前進し、両手を前方に波のようにうねらせながら「私は川です」と言う。
③線画のワーク ※スケッチブック、フォルメン用クレヨン(太めのもの)
※前回までは、お手本の書かれた画用紙を見せながら行ったが、今回は、先生が実際に描いて見せてから、できた画用紙を見せながら行う。
・直線描き(下から上へ5本)
・波型描き(左から右へ3本)
・ジグザク描き(上下とジグザクに線を3本引く)
・自由描き(「木」と「山」と「川」から一つ選び、絵を描いてもらう。中心に別の絵を加えても構わない)
歩きのワークでは、全員一生懸命やっていた。
言葉と一緒に動くワークでは、小学4年生の女の子の一人が、はじめ戸惑った顔をしていたが、素直に従っていた。
線画のワークの終わりの方で、小学3年生の女の子にも加わってもらった。全員、一生懸命取り組んでいた。小学2年の男の子は、波型描きが上手くできずに、かなり乱れた作品となってしまった。空間認識能力が少し弱いのかもしれない。
自由描きでは、小学4年の女の子の一人は、おとぎの国にでも出てくるようなきれいな一本の木を描いていた。もう一人の小4の女の子は、青い三角形の山を3つ描き、家を加えて描いていた。きれいな絵に仕上がっていた。小2の男の子は、横方向に大きな川を描き、上下に黄土色で土を描いていた。後から加わった小3の女の子は、キノコ状の不思議な一本の木を描き、上方向と下方向に伸びる枝を加えていた。
自由描きを見ると、その子の知的発達度、肉体とエーテル体との健全さなどが読み取れると感じられた。小4の女の子の一人は、バランスが取れていると感じられ、もう一人の小4の女の子は、空間認識能力がかなり克服できていると感じられた。小2の男の子は、意欲は強いが、肉体の使い方がまだアンバランス。これから訓練の必要があると感じられた。後から加わった小3の女の子は、エーテル体が少し乱れていると感じられた。それでも、以前に比べて礼儀正しくなってきているので、これからの変化に注目していきたいと思う。
魂の波動を上げるために、良心を引き出すアプローチが必要なのだが、私は宗教にもその役割があると考えている。若い親御さんたちの宗教離れは進んでいる感じはするのだが、少なくとも神を信じることのできる子供に育てたいと考えている。
魂の波動が下がってしまうと、無意識の中で低次元の霊界の影響を受けやすくなり、悪い判断や問題行動を起こしやすくなってしまうからだ。
以前に「わからない」というタイトルの記事を書いた。「わからない」から、人は信じ合い、愛し合うことができるという内容であったが、逆にわからない事柄を「わかる」と考えると心の方向性は悪い方へと向かってしまうのである。
私はクリスチャンであるが、キリストの信仰は決して裏切らないものだと確信している。
とはいえ、ピーター・ジョセフ(Peter Joseph)氏によるYouTubeで公開されているビデオクリップ「Zeitgeist ツァイトガイスト(時代の精神)日本語字幕版」(2007)や、シュロモー・ザンド(Shlomo Sand)氏による『ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか』(2010)によると、イエス・キリストは創作された人物で実在しなかったことになる。
しかし、私はキリスト様による奇跡をいくつか体験していて、キリスト様が確かに存在して働いていらっしゃるということを証言できる者ではある。とはいえ、キリスト様が実在しないとしても、何も驚かないのである。それは、キリスト様が説かれた愛に生きた素晴らしきクリスチャンの先輩は多く存在し、その方々が亡くなった後に霊界で私達クリスチャンのガイド役として働いていることだけは簡単に否定できないことといえるからだ。映像として残っている聖者としては、マザー・テレサの歩みがある。私たちは、脚色された聖人伝ではなく、本物の聖人に映像を通して出会うことも可能なのである。
つまり、キリスト教であれ、仏教であれ、イスラム教であれ、ユダヤ教であれ、ヒンズー教であれ、良い実りに結びつく信仰を得ているのなら、宗教に裏切られることは決してないのである。なぜなら、それぞれの宗教に、素晴らしいガイド役がいて、良心へと導いてくれるからなのだ。仮に教祖様が存在しなくても、素晴らしき先輩信者は存在するからである。
しかし、北アイルランドのカトリック教徒とプロテスタント教徒の報復抗争や、今でも終わることのないパレスチナでの抗争。そして、イスラム教徒の自爆テロなどは、信仰の良い実りとは受け取ることができない事柄である。これらの悲劇は、高次限界の素晴らしい先輩ガイド役の声を無視し、恨みを晴らそうとする低次界の導きによるものではないだろうか。
シュタイナー教育もそうなのだが、宗教とは別に、霊学の学びがもっとされるのなら、宗教同志のこのような悲劇を防げるような気がするのである。つまり、平和活動の一環としてもシュタイナーの教えは、これから光を放ってくると確信するのである。
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