第一帖(四三)
富士は晴れたり日本晴れ。青垣山めぐれる下つ岩根に祀りくれた、御苦労ぞ、いよいよ神も嬉しいぞ。鳥居は要らぬぞ、鳥居とは水のことぞ、海の水あるそれ鳥居ぞ。皆の者、御苦労ぞ。蛇(じゃ)が岳は昔から神が隠しておいた大切の山だから、人の登らぬ様にして、竜神となって護りてくれた神々様にもお礼申すぞ。富士は晴れたり日本晴れ。いよいよ次の仕組にかかるから、早う次の御用聞いてくれよ、神急けるぞ。山晴れ、地(くに)晴れ、海晴れて、初めて天(てん)晴れるぞ。天晴れて神の働きいよいよ激しくなりたら、臣民いよいよ分らなくなるから、早う神心(かみこころ)になっておいて下されよ。次々に書かしておくから、よく心に留めておいて下されよ。この道(おしえ)は宗教ではないぞ、教会ではないぞ。道だから、今までの様な教会作らせんぞ。道とは臣民に神が満ちることぞ、神の国の中に神が満ち満つることぞ。金儲けさせんぞ、欲捨てて下されよ。七月の十二日の神示(ふで)、日月の神。
第二帖(四四)
今度 岩戸開く御用は、人の五倍も十倍も働く人でないとつとまらんぞ。岩戸開くと申しても、それぞれの岩戸あるぞ、大工は大工の岩戸、左官は左官の岩戸と、それぞれの岩戸あるから、それぞれ身魂相当の岩戸開いてくれよ。欲が出ると分らんことに、盲になるから、神、気つけるぞ。神の御用と申して自分の仕事休むような心では神の御用にならんぞ。どんな苦しい仕事でも今の仕事十人分もして下されよ。神は見通しだから、次々に善き様にしてやるから、欲出さず、素直に今の仕事致しておいてくれよ、その上で神の御用してくれよ。役員と申しても、それで食うたり飲んだり暮らしてはならん。それぞれに臣民としての役目あるぞ。役員ずらしたら、その日から代りの身魂(もの)出すぞ、鼻ポキンと折れるぞ。神で食うて行くことならんから、くれぐれも気をつけておくぞ。七月の十三日、日月の神。皆の者、御苦労であったぞ。
第三帖(四五)
この神の真の姿見せてやるつもりであったが、人に見せると、びっくりして気を失うかもしれんから、石に彫らせて見せておいたのにまだ気づかんから木の型をやったであろうがな。それが神のある活動の時の姿であるぞ。神を見せ物にしてはならんぞ。お山の骨もその通りぞ、これまで見せてもまだ分らんか、何もかも神がさしてあるのぞ。心配いらんから欲出さずに、素直に御用聞いて下されよ。今度のお山開き誠に結構であるぞ。神が激しくなると、神の話より出来んことになるぞ、神の話、結構ぞ。七月の十三日、日月の神。
第四帖 (四六)
早く皆のものに知らせてくれよ、神急けるぞ。お山の宮も五十九の岩で作らせておいたのに、まだ気がつかんか。それを見ても神が使ってさしていること、よく分かるであろうが。それで素直に神の申すこと聞いてくれて我(が)を出すなと申しているのぞ。何事も神にまかせて取越し苦労するなよ、我が無くてもならず、我があってもならず、今度の御用なかなか難しいぞ。五十九の石の宮出来たから五十九のイシ身魂いよいよ神が引き寄せるから、しっかりしておりて下されよ。今度の五十九の身魂は御苦労の身魂ぞ。人のようせん辛抱さして、生き変り死に変り修行さしておいた昔からの因縁の身魂のみだから、みごと御用つとめ上げてくれよ。教会作るでないぞ、信者作るでないぞ、無理に引張るでないぞ。この仕組知らさなならず、知らしてならんし、神も中々に苦しいぞ。世の元からの仕組だから、いよいよ岩戸開く時来たぞ。七月の十三日、日月の神。
第五帖 (四七)
江戸に神と人との集まる宮建てよ、建てると申しても家は型でよいぞ、仮のものだから人の住んでいる家でよいぞ。神の石祀りて、神人祀りてくれよ。それが出来たら、そこでお告げ書かすぞ。淋しくなった人は集まりて、その神示(ふで)見よ。神示見れば誰でも甦るぞ。この神示うつす役要るぞ、この神示、印刷してはならんぞ。神の民の言葉は神たたえるものと思え、てんし様たたえるものと思え、人褒めるものと思え、それで言霊(ことたま)幸(さき)わうぞ、それが臣民の言葉ぞ。悪き言葉は言ってはならんぞ。言葉は良き事のために神が与へているのだから忘れん様にな。七月の十五日、日月の神のふで。
第六帖 (四八)
今までの神示、縁ある臣民に早う示してくれよ、神々さま臣民まつろいて岩戸開くもと出来るから、早う知らせてくれよ。誰でも見て読める様に写して神前に置いて、誰でも読めるようにしておいてくれよ。役員よく考えて、見せるとき間違えぬ様にしてくれよ。七月の十五日、日月の神神示。
第七帖 (四九)
この神示(ふで)読んで嬉しかったら、人に知らしてやれよ。しかし無理には引張ってくれるなよ。この神は信者集めて喜ぶような神でないぞ、世界中の民みな信者ぞ。それで教会のようなことするなと申すのぞ。世界中大洗濯する神だから、小さいこと思っていると見当とれんことになるぞ。一二三祝詞(ひふみのりと)するときは、神の息に合わして宣(の)れよ、神の息に合わすのは三五七、三五七に切って宣れよ。終いだけ節(ふし)長く詠めよ、それを三度詠みて宣りあげよ。天津祝詞(あまつのりと)の神ともこの方申すぞ。七月十五日、日月の神。
第八帖 (五〇)
この神示(ふで)皆に読み聞かしてくれよ。一人も臣民おらぬ時でも声出して読んでくれよ。真心の声で読んでくれよ、臣民ばかりに聞かすのでないぞ、神々様にも聞かすのだから、そのつもりで力ある誠の声で読んでくれよ。七月の十七日、日月の神。
第九帖 (五一)
今度の戦は善と悪との大戦ぞ。神様にも分らん仕組を世の元の神がなされているのだから、下(しも)の神々様にも分らんぞ。何が何だか誰も分らんようになって、どちらも丸潰れという所になった折、大神の命(みこと)によりて、この方らが神徳出して、九分九厘という所で、神の力がどんなに偉いものかということ知らして、悪の神も改心せなならんように仕組みてあるから、神の国は神の力で世界の親国になるのぞ。 ◎と○とは心の中に「・」があるか「・」がないかの違いであるぞ。この方は三四五(みよいつ)の神とも現われるぞ。江戸の御社(みやしろ)は誰でも気楽に来て拝める様にしておいてくれよ。この方の神示(ふで)書く役員、神示うつす役員、神示説いて聞かす役員要るぞ。役員は人の後について便所を掃除するだけの心掛ないと勤まらんぞ、役員ずらしたら直ぐ替身魂使うぞ。七月の十七日、日月の神。
第十帖(五二)
八月の十日には江戸に祀りてくれよ。アイウは縦ぞ、アヤワは横ぞ、縦横揃って十となるぞ、十は火と水ぞ、縦横結びて力出るぞ。何も心配ないからドシドシと神の申す通りに御用進めてくれよ。臣民は静かに、神が激しき時の世近づいたぞ。七月の十七日、日月の神。
第十一帖 (五三)
獣さえ神のみ旨に息せるを、神を罵る民のさわなる。草木さえ神の心に従っているではないか、神のむねにそれぞれに生きているでないか、あの姿に早う返りてくれよ。青人草と申すのは草木の心の民のことぞ。道は自分で歩めよ、御用は自分でつとめよ。人がさしてくれるのでないぞ、自分で御用するのぞ。道は自分で開くのぞ、人頼りてはならんぞ。七月の十八日、日月の神。
第十二帖 (五四)
この神は日本人のみの神でないぞ。自分で岩戸開いておれば、どんな世になっても楽に行ける様に神がしてあるのに、臣民というものは欲が深いから、自分で岩戸閉めて、それでお蔭ないと申しているが困ったものぞ。早う気づかんと気の毒出来るぞ。初めの役員十柱集めるぞ。早うこの神示写しておいてくれよ、神急けるぞ。七月の十八日、日月の神。
第十三帖 (五五)
逆立ちして歩くこと、なかなか上手になったけれど、そんなこと長う続かんぞ。頭が下で手で歩くのは苦しかろうがな。上にいては足も苦しかろうがな。上下逆様と申してあるが、これでよく分るであろう。足はやはり下の方が気楽ぞ、頭上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかりうつるぞ、この道理分りたか。岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ。道の役員は別として、あとの役員の御役は手、足、目、鼻、口、耳などぞ。人の姿見て役員よく神の心悟れよ、もの動かすのは人のような組織でないと出来ぬぞ。この道の役員は己が自分で自ずからなるのぞ、それが神の心ぞ。人の心と行いと神の心にとけたら、それが神の国の真の御用の役員ぞ、この道理分りたか。この道は神の道だから、神心になると直ぐ分るぞ、金、銀要らぬ世となるぞ。御用うれしくなったら神の心に近づいたぞ。手は手の役、うれしかろうがな、足は足の役、うれしかろうがな、足はいつまでも足ぞ、手はいつまでも手ぞ、それが真の姿ぞ。逆立して手が足の代りしていたから、よく分ったであろうがな。いよいよ世の終りが来たから役員気つけてくれよ。神代近づいてうれしいぞよ。日本は別として世界七つに分けるぞ、今に分って来るから、静かに神の申すこと聞いておいて下されよ。この道は初め苦しいが、だんだん良くなる仕組ぞ、わかった臣民から御用つくりてくれよ、御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用あるから、心配なく、つとめてくれよ。七月の十八日の夜、日月の神。
第十四帖 (五六)
臣民ばかりでないぞ、神々様にも知らせねばならんから、なかなか大層と申すのぞ。一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とは)に動かぬ道のことぞ。三四五(みよいず)の仕組とは、みよいずの仕組ぞ、御代出ずとは神の御代になることぞ。この世を神の国に錬り上げることぞ。神祀りたら三四五の御用にかかるから、そのつもりで用意しておいてくれよ。この神は世界中の神と臣民と、獣も草木も構わねばならんのだから、御役いくらでもあるぞ。神様と臣民同じ数だけあるぞ。それぞれに神つけるから、早う身魂磨いてくれよ、磨けただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。小さいことはそれぞれの神に聞いてくれよ、一人一人、何でも聞きたいことは、病治すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告げ受けてくれよ。この方の家来の神が知らせるから何でも聞けよ。病も治してやるぞ、その神頼りたなら、身魂磨けただけの神徳あるぞ。この世始まってない今度の岩戸開きだから、これからがいよいよぞ。飛んだところに飛んだこと出来るぞ。それは皆、神がさしているのだから、よく気つけていれば、先の事もよく分かるようになるぞ。元の神代に返すと申すのは喩え(たとえ)でないぞ。七から八から九から十から神激しくなるぞ、臣民の思う通りにはなるまいがな、それは逆立しているからぞ。世界一度にキの国にかかりて来るから、一時は潰れたように、もう敵わんというところまでになるから、神はこの世におらんと臣民申すところまで、惨いことになるから、外国が勝ったように見える時が来たら、神の代近づいたのぞ。いよいよとなって来ねば分らん様では御用出来んぞ。七月の二十日、日月の神。
第十五帖 (五七)
この方祀りて神示(ふで)書かすのは一所なれど、いくらでも分け霊(みたま)するから、一人ひとり祀りてサニワ作りてもよいぞ。祀る時は先ず鎮守様によくお願いしてから祀れよ、鎮守様は御苦労な神様ぞ、忘れてはならんぞ、この神には鳥居と注連(しめ)は要らんぞ。追い追い分かりて来るぞ、一二七七七七七忘れてはならんぞ、次の世の仕組であるぞ。身魂磨けば何事も分って来ると申してあろうが。黙っていても分るように早うなって下されよ、神の国近づいたぞ。七月の二十一日、日月の神。
第十六帖 (五八)
知恵でも学問でも、今度は金積んでもどうにもならんことになるから、そうなったら神を頼るより他に手はなくなるから、そうなってから助けてくれと申しても間に合わんぞ。イシヤの仕組にかかりて、まだ目覚めん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神やキリスト教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力見せてイシヤも改心さすのぞ。神の国のお土に悪を渡らしてならんのであるが、悪の神渡りて来ているから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。神の国ぞと口先ばかりで申しているが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。富士から流れ出た川には、それぞれ名前のついている石置いてあるから縁ある人は一つずつ拾うて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾うて来い。身魂入れて守りの石と致してやるぞ。これまでに申しても疑う臣民あるが、嘘の事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てんし様を都に移さなならん時来たぞ。江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。前のような世が来ると思っていたら大間違いぞ。江戸の仕組済みたら、甲斐の御用あるぞ。今に寂しくなって来るぞ。この道栄えて世界の臣民皆、訪ねて来るようになるぞ。七月の二十一日の夜、日月の神。
参考文献
岡本天明・筆 『ひふみ神示』