
思い出に残っている恐怖体験は?
恐怖体験ですか・・・。
怖いのは苦手なんですが、
学生時代体験した
ちょっと怖かったお話をしますね。
でもその前に、
今日は前回のお約束通り、
fraternity とsororityについて書こうと思います。
(最後の方に怖かった実体験書いてますので、そこだけでええわという方は
マークまでスルーしてね
)

なんか汚れてますね('◇')ゞ
フラタニティーってなに?
まず、fraternityは、カタカナでフラタニティーと書かれていますが、
friendのようにRをはっきりと発音しないので、
フォートゥニティーと聞こえます。
sororityは、ソロリティーで通じると思います。
(久々ですが、Oにアクセントを置いて発音してくださいね)
アメリカの大学の『社交クラブ』と訳されているようですが、
映画やドラマに出てくるfraternityは、
『パリピ(もう古い??
)の集まり』というイメージがあります。
でも、みきさんも書かれている通り、もっとまじめなところもあります。
というか、不思議なことにあまり触れられていないのですが、
fraternityには二種類あると思うのです。
ひとつは専攻を越えて交流できる、映画やドラマに観るfraternity
もうひとつは、national honor society に属するfraternity
入会方法
の入会方法の例としては、このMarioさんが詳しく書いていらっしゃいます。(自分で書けっ!て?←ずぼらですんません
)
うちの学校のfraternityもこんな家を持って、メンバーが一緒に暮らしたりしてます。

画像はお借りしました

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のほうは、Reiさんの記事が詳しいと思います。
ウィキペディアでも他のサイトの説明でも、100%どの学校にもクラブにも当てはまるというのがないくらい入会方法も活動内容も様々で、しかも秘密主義が邪魔?をして、把握しにくいコンセプトとなっているのかもしれません。
フラタニティー・ソロリティーの歴史
Fraternityの創設は1775年。
5人の男子学生によるPhi Beta Kappaからでした。

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(昔、この団体から奨学金をいただきました( ⁎ᵕᴗᵕ⁎ )Ꭲʱᵃⁿᵏ Ꮍ༠ᐡ❤︎)
クラブでは 授業ではカバーしきれないアカデミックな討論をしたり、哲学的なことを話したりしたという記録も残っていますが、ミーティングで話した内容はすべて “sub rosa” =秘密 だったので、正式にはわかっていません。
Phi Beta Kappaは、19世紀初めにはScholastic Honor Society (学述的優等生協会)となり、秘密主義も少し緩まります。
sororityはもともとfemale fraternity と呼ばれていましたが、fraternityはラテン語のfrater = brotherから来ているので、これを訳すと『女性の兄弟』となってしまいます。それはおかしいやんということで、ラテン語のsoror ₌ sister/ female friend を含む言葉としてsororityと呼ぶようになりました。
sorority の創設は1851年のAlpha Delta Piでした(1882年の Gamma Phi Betaという説もあります)。
それ以前にできていたものは、そのままfraternityで通しているところもあります。
と、ここで「なんでギリシャ語なん?」という疑問が起こります。
fraternityは、別名Greek-letter Organizations とかGreek Life
とも呼ばれているし、
メンバー勧誘の時期には こんな感じの
”Go Greek!” というチラシも見かけます。

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メンバーのことをGreekと呼ぶこともあります。
アメリカ人でも疑問に思っている人多いんですよ。
全員ギリシャ人か?思っている人もいるとかいないとか・・・
結論から先に言ってしまいますと、単なる『見栄の張り合い』でした。
17-18世紀ごろの話になるのですが、アメリカではそのころの高等教育はほとんどラテン語か古代ギリシャ語で行われていました。ラテン語は、大学に願書を出す時点で知っていなければいけなかったのですが、古代ギリシャ語は大学へ入ってからでないと学べないということで、さらにプレステージ(名誉)な言語でした。(余談ですが、古代ギリシャ語よりもプレステージな言葉はヘブライ語でした)
さて、先にご紹介しましたPhi Beta Kappaができる前、同じ学校にF.H.C. (“Flat Hat Club”) と P.D.A. (“Please Don’t Ask”)というラテン語の社交クラブがありました。あのト-マス・ジェファーソンもF.H.C.のメンバーだったそうです。
彼らよりももっとアカデミックでプレステージに見られたいというので、ラテン語をやめて古代ギリシャ語で
Φιλοσοφία Βίου Κυβερνήτης (Philosophía Bíou Kybernḗtēs) ₌ “Philosophy is the Guide of Life.”
『哲学は人生の道案内』をモットーにしたそうです。
その頭文字がのちのち団体の名前になりました。
そして、ラテン語や古代ギリシャ語が、授業でも重要視されなくなってきたころからアカデミックなものよりも社交重視のfraternityが増えていったそうです。
参考文献:https://fsl.appstate.edu/history-of-greek-life
https://talesoftimesforgotten.com/2019/02/23/why-do-fraternities-and-sororities-have-greek-letters-for-names/

あ~、目まわる
実体験
さて、本日のお題『恐怖体験』に入ります。
なっがい前置きですみません。
前置きだけで終わると思いました?
ご安心ください。
私もそう思いました。
私はPhi Delta Gamma とPhi Epsilon Kappaという
二つのfraternityに所属しています。

Phi Delta Gamma
女性大学院生用

Phi Epsilon Kappa
キネシオロジー専攻の学生用
1975年から男女ともOK
ずぼらなもんで・・・
どちらも自分からはあまり行動してなくて、招待してもらったまま入ったという感じです。
Phi Delta Gammaの方は、所属していることも今日まですっかり忘れていました~。
でもPhi Epsilon Kappaの方は、
イニシエーションと呼ばれる恐ろしい入会儀式もちゃんと行きましたよ。
あまり口外したらあかんのかもしれませんが、
もうほぼ時効かと思いますので半分だけ(全部ちゃうんかいっ!
)
ご紹介しますね。
内緒ですよ

(口外したら呪われるとかそ、まさかそんなんないでしょうね~
)

fraternity も sororityも社交的なものだけだと思っていたので、
突然イニシエーションの招待状が届いた時はびっくりしました。
学校の近くの個人宅へ夜7時集合ということだったのですが、
ちょうどハロウィーン
の時期で、近所の家々はガイコツ
や幽霊
の飾りつけでいっぱいでした。(ほーらもうそれだけでも怖いやんねー
)
で、招かれた家についてピンポーンがなかったので、
ドアノッカーをこわごわたたくと・・・
でてきたのは、こんな衣装を着た身長154センチの私より小さい女性と180センチはあるかと思う背の高い男性。

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私のほかにはあと5人ぐらいNew Memberと呼ばれる、まだ正式に会員(Initiated Member)になっていない人が来ていました。
次に黒衣装の二人は、New Memberに黒い布で目隠しをしていきます。
「fraternityに一番大切なのは、メンバー同士の信頼関係。今からそのテストをするから、もう良いと言われるまで目隠しは取らないこと。」
みたいな説明があったと思います。まだ英語がそんなにわからない時なので、普通にしゃべられたら ところどころしかわかりませんでした。
(余計に怖い
)
そして、目隠しのまま車でどこかへ連れていかれました。

(恐怖体験はここまでです
大したことないやんね~
期待させてすみません
)
まだ土地勘もないのでどこに行ったのかも全然わからないですが、
とにかく無事に帰ってきて目隠しを取って、
他のメンバーも加わって正式に入会式が始まりました。
全員受かった様子でした。
入会式ではpledge (宣誓)を読んで大きなノートにサインをしました。
最初の二人の小さいほうの人は会長、大きい方の人は副会長でした。
活動の思い出
現役の学生同士で、副会長のスティーブのワゴン車に男性2人女性6人 計8人乗って、サクラメントで行われたAmerican Alliance for Health, Physical Education, Recreation and Dance (AAHPERD)のコンベンションに行ったのは、楽しい思い出です。
途中 スティーブの実家に一泊したのですが、まさしく床で雑魚寝でした。
活動は、現役学生は月一ぐらいの頻度でAvenue 3 Pizzaというピザ屋さんでアルコールなしのミーティング。
学校主催の5Kや、マラソン大会のボランティアについて話し合いました。

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卒業生の部(alumni chapter アラムナイ・チャプター)と合同のミーティングも年に4回ぐらいあり、その時は70-80歳ぐらいの卒業生の大先輩が仕切ってはってびっくりしました。その時は全米の学校のチャプターとの話や、コンベンションの話がありました。
他の現役学生はさぼりがちだったので真面目に出席していたのが目立ったのか、若い人の参加が欲しいからとHistorian記録係?に命名されてしまいました。英語分からへんのにどうすんねん??
残念ながら?
どちらのミーティングでも、世間一般に想像されている『アルコールを飲んで騒ぐパーティー』というのは一度もありませんでした。
また長くなってすみません。
最後までお読みくださりありがとうございました。
