今月は、3日と6日に
「ごんぎつね」に関する記事を書いたばかり。
でも、あともうちょっとだけ 書かせていただこう。
私はもう20年程前から、
図書館で借りた本の中で 心にとまった言葉をノートに書き写しているのだけど、先日、ノートを見返していて
たまたま、ごんぎつねにぴったりな言葉を見つけてしまった。
「...この世に生を授かったすべての生き物は、罪を重ねずして生きて行くことはできない。
人と人とが出会う。人と動物が出会う。
そこには 慈しみや愛が生じるわけだが、その慈しみや愛は
罪と背腹の関係であることもありうる。」
藤原新也さんの言葉
(雑誌「BISES」2003年 春号より)
(藤原新也さんの写真集とか好きで、以前はよく見てました)
あの2つの記事を書いた後に、
黒井健さんの絵の
「ごんぎつね」の絵本を借りて、
初めて ちゃんと見てみた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20181016/12/tsukiakarinokomichi/f8/5e/j/o0360064014285198542.jpg?caw=800)
私が小学校で習った時は、かすやまさひろさんの絵だった。
悲しすぎて 好きではない話だから..と、黒井健さんの絵本を今まで直視してなかったというか、封印していたという感じだろうか..。
けれど...
黒井健さんの描く"ごん"が、
こんなにかわいかったなんて...。
ごんの けなげさ・さびしさが 際立ってるように感じた。
この絵本を見て ますます、ごんが愛しくなってしまった...。
兵十のために食べ物を探してる姿、
くりを届けてる姿の、なんというかわいさ...。
はじめの頃の川辺での うしろ姿と、
後に出てくるページの うしろ姿を比べると、川辺うしろ姿の絵のほうが
少し小さめに描かれていて、幼く見える。
それから
よく見ると、はじめの頃の絵に 青い花が描かれている。
この色と、最後の場面の、火縄銃の筒口から出ている青い煙がリンクして、
悲哀を感じる。
私は、悲劇的な場面でプッツリ終わっているこのお話の続きを ちょっとだけ想像してみた。
兵十はきっと、自分のしてしまったことを嘆きながら、謝りながら、
ごんを 手厚く葬っただろう。
どこかにお墓を作って...
そして そこには毎年、彼岸花が咲くのだ。
そして、注目したのは、
このお話の冒頭では、
「これは、私が小さいときに、村の茂平というおじいさんからきいたお話です」という書き出しになっていること。
あぁ、そうか...。
ごんの優しさは、村の人たちにずっと語りつがれていったのだな...と 思うことによって、
読後のやるせない気持ちを 少しは
なだめることができるかもしれない。
救いようのないような悲しい話の中にも
どうにかして救いをみつけたい。
もとの原稿では "ごんは うれしくなりました"だったと知っても、
やっぱりなんだか腑に落ちなかったりする私..。
突然撃たれて うれしいはずないじゃないか、と。
ごんは、とにかく、たったひとりだった。
たったひとりで、がんばってたんだ。
悲しい時に 悲しいと言える存在もなく、
うれしいことを うれしいと言い合える存在もなく。
兵十から、"最近食べ物が家に届けてあるけれど誰からかわからない"という話を聞いた加助が、
「きっと、そりゃあ、神さまのしわざだぞ」と言う。
あれは、あながち、まちがいじゃないと
私は思う。
私の中ではもう、ごんは 神さまレベル。
理解してほしい人に理解してもらえてないな..とさびしく思う時や
悲しい時は ごんを思い出そう。
またこうして 物語から癒しと力をもらって、私は生かされている。
このお話は、一般的に思われてるよりも本当はずっとスケールの大きなお話なのかもしれない。
幸福な結末でめでたく終わるお話よりも、こういったお話のほうが人の心を深く癒す力をもっているのかもしれない。
これは大きな発見だった。
なんとなく、星野富弘さんの詩を思い出した。
「よろこびが集ったよりも
悲しみが集った方が
しあわせに近いような気がする
強いものが集ったよりも
弱いものが集った方が
真実に近いような気がする
しあわせが集ったよりも
ふしあわせが集った方が
愛に近いような気がする」
星野富弘
『四季抄 風の旅』(立風書房)より