失いそうになって気づく、かけがえのなさ | 富田林・じないまちの 本と雑貨 『緑の小道』日記

富田林・じないまちの 本と雑貨 『緑の小道』日記

富田林市には大阪府唯一の重要伝統的建造物群保存地区の寺内町があります。古本&雑貨屋店主の日々の雑記や愛読書紹介のブログです。2021年に母を亡くした後から苦しい日々となり、心はまだ鬱状態で動悸もありしんどいですが、毎日なんとか乗り越えてます。

ふだん、まるで
当たりまえのように感じてしまっているものが 失われることを想像したり、
実際に失われる段階になって、初めて、

それがいかに有難いもの・価値あるものだったかを知り始める...
という経験は、誰にでもあることだと思います。


5年前、東日本大震災の直後、テレビで、
小学生くらいの女の子が取材に答えていた言葉をよく覚えています。

その子は避難所にいましたが、家族は全員そろってはおらず、
確かお父さんがまだ行方不明で安否がわからない という状況だったと思います。


その子は ただ、
“今までの暮らしが どんなに幸せだったかがわかった”
ということを、話していました。


ちゃんと家があって、家族がそろって、ごはんを食べられて、お風呂に入って、安心して眠りにつける...

という、一見“当たりまえ”のような、毎日の暮らし...。


震災や事故等にあうというような体験ではなくても、
人は自分にとってなにか大切なものを失う段階になって、あらためて、

それがなんと唯一無二の貴重なものであったのか、気づかされるものだと思います。


マイナス面・難点が目について仕方なかったくせに、
良い点のほうがありありと、存在感を光らせてきたりします。


私もまた、一生のうちでとても大事な局面を迎えています。

今急に始まったわけではないし、まだ数年続く事かもしれませんが..今からしばらくがとても大事な時です。

様々な感情を味わい、大変な時です。



今年も、大好きなムスカリが顔を出してくれました。
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これもまた、決して、“当たりまえではない”のです。