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僕は2つの世界が混ざるのを極端に嫌がる。
この件に関して、うまく説明が出来るかどうか自分でも分からない。
それは、感覚の説明自体難しいと言うのもあるが、自分が自分のこの心理と傾向をまだ完全には分析出来てなくて、自分自身でもよく理解していないからだ。
今まで、この話を誰かにして、「よく分かる」と言う答えを返してくれた人もいるが、今の所、その人達の話を聞く限りでは、僕の感覚とはどれも別物だった様で、同類にはまだ出会っていない。
そう言う意味でも今回、同じ感覚を持つ人を、同じ感覚を分かち合える人を、探したいと言う思いから何とか表現してみようと試みる事にしたのだ。
まずは、一番分かりやすい例を挙げると、例えば僕が高校生だったとして、中学時代の同級生がいたとする。
その同級生達が、どうしても僕の高校の文化祭に来たいと言い出したとしよう。
僕は、こういう時、本当にどうしていいか分からなくなる。
こういう時、大抵僕は、何とか向こうから「残念だけど、じゃあ、やめておく」と言う言葉を引き出そうととする。
それも、相手を傷付けない様に、不快感を与えない様に気をつけながら。
以前、京都の文化で、長居をする人にぶぶ付け(お茶漬け)をすすめる文化は、相手を傷付けない為の配慮から生まれた文化であるが、それは他府県民には伝わらず、時には誤解を生む事も多いと言う記事を書いた事があるが、まさにそれと同じで、そういう時に察してくれた人は一人もいない。
◇京都の文化度と民度の高さ
実際の所は、察して貰うのも困る訳で、こっちの意図に気付かれずに相手から自然に断る様に仕向けたいと言うのが僕の本音なのだ。
例えば、「文化祭当日は忙しくて、来てくれても皆の相手を出来ないので、申し訳ない」と言う様な言い方をしてみる。
すると中学の同級生は、「いいよ。好きに遊んでるから」などとあっさりと返事を返してくる。
もう、このパターンは、ほぼ鉄板だ。
その流れで、結局は、昔の同級生と古い同級生が同じ場に居合わせると言う状況が生まれる。
これの何がダメなの?って人がおそらく大多数だろう。
実は、それは僕の思いでもあるのだ。
特に、新旧同級生が揉めたなんて事もなかったし、バッティングしても、ほんのちょっと挨拶を交わし合う程度のものだ。
自分で冷静に考えても、どこがダメなのか全く分からない。
でも、何故かいつも、一つの場に自分の持つ全く違う世界が混在してるその事実に、戸惑い、気が変になりそうになるのだ。
大阪を離れて京都にいた時期にもこれと似た様な事はあった。
地元大阪の友人達から、たまに連絡を貰ってたのだが、その近況報告の中でライブやイベントの話なんかが出た後日、人数を集めてそのイベントにやって来ると言うのだ。
大抵のバンドマンは、友達を一人でもライブに動員しようと頑張るくらいだから、こんな話はきっと願ったり叶ったりだろう。
しかし、僕の場合は違うのだ。
しかも、大阪からは遠いので、僕のアパートに泊まるとか勝手に計画を進めている。
ライブ前日に泊まって、その日の晩もライブが終わると夜なので、泊まってそれから帰ると言う計画らしい。
ライブ前夜はやっぱり集中させて欲しいと言うのもあるし、終わった後だって、打ち上げがある時もあるし、いろいろメンバー間で話がある場合もある。
そして、ライブ後の疲れと余韻は、関係者と一緒にか、もしくは一人で味わいたいものだ。
そして、それらの理由と同じくらい、或いは、それ以上に嫌な理由がやはり、二つの世界が一緒くたになる事なのだ。
この時も、そういう事が実際に起こった。
大阪からやって来た3人の旧友達がライブ前日に僕のアパートに泊まってた時に、よく僕の部屋に遊びに来る音楽仲間の一人が部屋に遊びに来たのだ。
普通だと、地元の友人が遊びに来てると言えば、「それじゃ、また」って事になりそうだが、彼は、そんなタイプではなかった。
部屋に普通に上がり込んで、いつも通り話し始めたのだ。
特に、どちらも揉める空気などはなかったが、その音楽仲間の彼は、旧友たちには全く分からないであろう、音楽の話をいつも通りに話し続けると言う、僕の最も望まない状況を作り上げてしまったのだ。
その彼とは、当時、しょっちゅう一緒につるんでた間柄で、一番仲の良かった内の一人だったのだが、そこまで空気を読めない人間だとはその時に初めて知った。
本当に、気が狂いそうになる数時間だった。
そして、彼は、夜中遅くにようやく帰ってくれた。
泊まりに来た友人達を見ると凄く眠そうにしている。
明日はライブだと言うのに、楽器も触れないままにイベント当日を迎えた。
バンドマンなら分かると思うが、ライブ当日、出演者にはリハーサルがあるので、当然、ライブハウスやイベント会場への入り時間は、ライブ開場時間より随分早い。
その時は、へんぴな場所にイベント会場があって、よそ者の彼が時間を潰せる様な店や施設が十分にある様な場所ではない。
なので、まず、早めに起きて機材を車に積んで、友人を載せてイベント会場へ連れて行く。
そして、場所を覚えて貰ってから、観光出来そうな場所まで連れて行って降ろす。
それから、慌ててイベント会場へ戻る。
そんな状態で集中など出来る筈がない。
何とかライブも終えて、いつもなら、感無量な所なのだが、あまりにも友人達に気を遣いすぎてそれどころではない。
バンドのメンバーにとっては、全員、誰か友人をライブに招待しているのは、いつもの事なので、特に僕の友人との絡みなどはなかったし、誰も僕の友人など気にもとめてない様子だったが、僕は、今組んでいるバンドのメンバーと昔の友人達が同じ空間にいると言うだけで、何ともおかしな気分になる。
そして、自分が音楽をしていない頃の友人達が、自分がライブをしていたライブ会場にいると言う事も物凄く変な気分なのだ。
確かに、ライブ前日、当日、後日と、出演者の部屋に泊まり込むと言う話は迷惑な話ではあったが、別にその友人達に腹を立てている訳でもなかったし、ましてや彼らを嫌っていた訳でもない。
迷惑だと言うなら、断れば良かっただけの話なのだ。
数年後に、何故、断れなかったのだろうとゆっくり考えるとその答えは意外にも、あっさりと簡単に出た。
来て欲しくないと理由が2つ混在してしまったので、僕の頭が少し混乱してしまったからだ。
普通に考えて、「ライブの前日・当日・その後に泊まられると集中出来ないから無理だ」と言えば良かっただけなのだ。
それが言えない程、僕は気が弱いタイプではない。
確かに、人一倍、気を遣う性格ではあるが、人生かけて音楽をやっている訳で、それは断らないといけない場面だったとも思う。
しかし、もう一つのそれ以上に神経質になってしまった問題、つまりは二つの世界が混在してしまうと言う問題が、そんな簡単な事も分からなくさせていたのだ。
「2つの世界が一緒になるのが嫌だ」などと友人が遠くから訪ねてくるのを断れるもののだろうか?
「そんな事を理解出来る者などいない」
そっちの思いが先に立ってしまったのだ。
そういう結論が条件反射の様に弾き出されて、遠回しに断ったが、察して貰えず押し切られたと言う形だ。
普通に、もう一つの理由で、言葉を選んで断れば、問題なく断れた筈なのだ。
仕事があると言ってる人に家に、仕事で忙しいその日に無理矢理連泊しようとする人なんかいない。
これはそういう話だったのだと気付いたのは、数年後にゆっくり考えたその時にやっとだ。
結局、月に数本のライブをこなしていると知ってしまったその友人達の間では、そのシーズンは毎年、僕のライブを見て観光して帰ると言うのが定番化してしまい、断れないままに3年それが続いたのだ。
そして、次の年、ようやく断ってもいいんだと言う事に気付いて、音楽を遊びでやってるのではないと言う事と、集中出来ないので泊まりは遠慮して欲しいと言う話をした。
ホテルに泊まっても来るとか言いはしないかとも思ったが、その年から、彼らがやって来る事はなくなった。
結局は、宿泊費がタダで京都観光が出来ると言う事で、利用されてただけだと言う事にようやくその時に気付いたのだが、その部分は大して取り上げる程の話でもない。
この他にも、大なり小なりしょちゅうこういう心理が働くエピソードは起きている。
事の大きさを除けば、これが僕の日常だと言ってもいい。
しかし、この2つの話をピックアップすると、自分の心理の本質が見えてくるのだ。
なので、この2つの例を挙げた訳である。
僕も長い間、どうして2つの世界がリンクするのを嫌がるのだろう?
そんな風に思って来た。
でも、それは少し違っている事に気付いたのだ。
結局、僕は、自分の世界に第三者が侵入してくると言う事が嫌だったのだ。
誰かに、自分の中に侵入されてる感覚がどうにも気持ち悪かったのだ。
これは幼少の頃からずっとあった感覚だ。
僕は、親であれ兄弟であれ、何人たりともそれは許せないのだ。
特に許可なく侵入しようとして来る人間には怒りすら覚える事もある。
物理的な空間で、パーソナルスペースと言う言葉があるが、僕はそのパーソナルスペースも人よりおそらく広い。
そして、物理的な空間のみならず、自分の心の世界、頭の中、ありとあらゆる世界に入られるのを嫌がる。
さっき挙げた2つの例でも、どうして、訪問者の方を嫌がるのか分析すると、自分の今いる世界へ侵入しようとしている人間に他ならないからだ。
高校の文化祭で言うと、文化祭を一緒にやっている高校の同級生達は、僕の高校生活と言う世界観の中では、その世界の住人達なのだ。
だから、僕は侵入者側である中学時代の旧友たちに拒絶を示したのだろう。
それと同じ様に、大阪から京都の僕のアパートに泊まりに来た地元の友人達は、僕の音楽の世界へ侵入しに来た人間なのだ。
だから、拒絶が生まれたのだろう。
ライブ会場に彼らがいる事自体、変な感覚だと言うのも間違いないが、それより、ミュージシャンとしてライブの前後や当日のペースを狂わされてる時点で、僕にとっては、僕の世界への侵入者に他ならないのだ。
こうなると、もはや、ただのお客さんではない。
そして、僕の気持ちがどっち寄りだとか、どっちを大切にしているだとか、好き嫌いの問題ではないのだ。
その時、自分の持つどの世界で話が展開しようとしてるかによって、登場人物の立ち位置は変わる。
その立ち位置によって、僕の心理も変わるのだ。
よく考えると、ただ単に遊びに来ただけの友人にこんな風に拒絶の心が働いたりはしない。
寧ろ、大喜びで大歓迎するのが、普段の僕だ。
こういう事からも、この分析はおおよそ正しいと判断しても良さそうだ。
言葉にすると、単純な様だが、これを区別出来る人はそうはいない。
自分の中では、本当にたったそれだけの事なのだが、それを理解した上での接し方を他人に強要するなんて事は無理な事である。
この辺りが人付き合いの難しさの一つだと思う。
あくまで、僕にとっての人付き合いと言う意味においてではあるが。
そして、もう一度言うが、2つの世界が混じる時、僕は、侵入した側とされた側、どちらかに何らかの感情が沸き起こる訳ではない。
つまりは、腹が立ったりするのではないのだ。
ただただ、困惑するだけだ。
本当に気が変になりそうになるのだ。
軽いパニックを起こした様になって、ずっと、そのままの状態が続くのだ。
ただ、不思議な事に、たまに例外もあったりするのだが、それがどういう場合なのかは、自分でも分からない。
それはまた、分析出来た時にでも話そうと思う。
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