民主党は分裂するか | 辻雅之のだいたい日刊オピニオン
民主党の代表選の結果を受けて、久しぶりにブログを更新します。

第1回投票の最多得票者が決選投票で敗れた党首選というと、1956年の自民党総裁選が想起されるところです。

第1回投票では岸信介が1位、石橋湛山が2位、石井光次郎が3位。しかし石橋・石井の「2、3位連合」のため、決選投票では石橋がわずか7票差で岸を抑え、自民党の第二代総裁に就任したのでした。

しかし7票差で敗れた岸が黙っているわけはなく、ほどなく石橋首相は猛烈な抵抗に遭ってしまいます。いわゆる「保守合同」による結党から1年余りだった自民党、党として守るべき利益も少ないなか、下手をすれば分裂してもおかしくなかった状況に陥っていたと言えるでしょう。

しかしなぜ自民党は分裂しなかったのか。いろいろ考えられると思いますが、ここでは3点をあげておきたいと思います。

1点目は、社会党の存在です。そもそも自民党の結党は社会党の再統一に刺激されたものでした。社会党が勢力を増すなか、社会主義政権が誕生するかもしれないという危機感はこの後もしばらく(1960年代初頭あたりまで)自民党を強く覆います。このような危機感・緊張感が自民党の分裂を阻む背景になったことはいうまでもないでしょう。

それに比べると、今、民主党が分裂しても軍国主義政権になったり社会主義政権になったりする心配はまずありません。そう考える民主党議員はごくわずかでしょう。

もちろん自民党に政権を渡したくないという気持ちは共有されていると思いますが、仮に民主党の衆議院の議席303がきれいに2つに分裂しても、ただちに自民党政権が誕生するわけでもありません(自民118、公明21)。「われわれが分裂したらこの国はオシマイだ!」のように考える民主党議員はどれだけいるのでしょうか。

さて、2点目は、首相となった石橋が、結局自分を首相にしてくれた恩人である石井を切って、岸を副総理・外相として入閣させたことです。

吉田茂・鳩山一郎が去った政界における最大実力者は紛れもなく岸でした。石橋はその現実を認め(もちろん岸派の猛烈な攻勢もあったのですが)彼を要職につけ「挙党一致」を実現しようとしたのでした。これで当面の自民党分裂は回避されたわけです。

今の民主党でいうと、小沢系の重要人物を幹事長にするような人事です。野田新代表にそれができるでしょうか。

それをやることで野田氏を決選投票で支持した人たちが猛烈に反発するかもしれません。石橋の時も、石井たちの怒りは相当なものだったようで、石井は入閣を拒否しました。野田氏に、前原氏らが怒ったとしてもたとえば海江田氏を幹事長にするようなことができるでしょうか。しかしそうしなかったら民主党は本当に割れるかもしれません。

3点目は、よく知られていることですが、石橋が首相就任後わずか1ヶ月で重病となり、2ヶ月で退陣、岸にすんなりと政権が引き継がれたことです。岸はすでに石橋と不和になっていた石井らと和解、権力継承に準備万端。石橋はこの情勢と自らの病状を考え岸に「潔く降伏」せざるを得なかったのでした。

このようなことはないにしても、もし野田新政権が早期に行き詰まり退陣を余儀なくされたとして、いったい誰がそれを引き継げるのでしょうか。最大実力者である小沢元代表は刑事被告人の立場であり、他のリーダーたちの党内基盤はいずれも弱体。また抗争が始まったとき、民主党は1つでいられるのでしょうか。

ここまで書いてきましたが、それでも筆者はまだ民主党が分裂に向けて予断を許さない状況に陥っているとは考えていません。

しかし、野田新代表の舵取りによっては、分裂の方に向かっていかないとはいえない状況であることもまた確かなことだろうと思います。もちろん、そんなことで政治空白を生んでいる場合ではありませんが、それを民主党議員の人たちがわかっているのであれば、そもそもこのようなドタバタ劇は起こっていないと思うのですが。