ジャンヌの戦い  その③ | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

この日の主な戦闘が始まった。効果のない砲撃に始まり、基礎部分に塹壕を掘り、爆薬を仕掛ける試みがなされた。火を点けた舟が砦に向かって放たれたが効果は無かった。

夕闇が迫りつつあった。デユノワと他の参謀たちは最終攻撃を翌日に延期する決定をしていた。

 

この決定を聴いたジャンヌは、彼女の馬を引てくるよう求め、ひととき静かに祈るために出かけて行った。

 

 

 

陣営に戻るや、一脚の梯子を掴み、ブールバールの正面に向かって自ら突撃した。後の証言によれば、彼女はフランス兵に向かってこう叫んだ。「すべてはあなたたちのもの。突入しなさい!」

フランス兵は彼女に続いて沢山の梯子を持って突進した。

 

突撃の直後、ジャンヌの肩に矢が突き刺さった。彼女は急ぎ後方に運ばれた。

ジャンヌが死んだという噂がイングランド軍を沸き立たせ、フランス軍の意気を消沈させた。

だが、証言によると、ジャンヌは自分で矢を抜き、傷にもかかわらず、すぐにフランス軍の前線に姿を現した。フランス兵の攻撃意欲は再度勢いづいた。

後日、ジャンヌダルクの復権裁判におけるジャン・パスケルの証言によれば、ジャンヌには一種の予知能力があり、この事件に関しても攻撃の前日にこう語ったという。「明日、私の身体の胸から上に血が流れるでしょう」

フランス軍はトウーレル最後の防塁だったブールバールからイングランド軍を追い出した。

 

跳ね橋は降りていて通路は開いていた。グラスダールはロワール河に落ち帰らぬ人となった。

フランス軍はさらに勢いづいてトウーレル砦を攻め立てた。橋が修復され両面から攻撃できた。トウーレルの半分は炎上し、夕刻ついにフランス軍によって陥落した。

イングランド軍の損害は大きかった。その日の他の戦闘も数えると死者は千人におよび、捕虜は600人に上った。フランス側は200人の捕虜を救出した。

トウーレルとブールバールがフランスの手に落ちたことで、イングランドはロワールの南岸を失った。オルレアンはもはや何の障害もなく食料物資の補給が可能になった。イングランドにとり包囲の理由はなくなった。

北岸のイングランド軍は、サフォーク公とジョン・タルボット侯の指揮下にあったが、5月8日の午前中、外部の砦を解体し、サンローラン付近の平野部に集結した。

  (つづく)