ジャンヌの戦い その② | 雷神トールのブログ

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1429年5月6日早朝、フランス軍がロワール南岸に上陸する前に、ジャンヌはブールバール(橋の上の大通り)に突如攻撃を仕掛けた。この突撃は破滅的な結果をもたらす危険があった。なぜなら、オーギュスタンからイングランド軍の弓隊による側面からの攻撃が可能だったから。叫び声が上がり攻撃は中止された。

西側のサン・プリヴェ砦からイングランド軍の援軍がグラスダール支援のために繰り出し、フランス軍を挟み撃ちにしようとしていたからだ。フランス軍にパニックが起こった。兵たちは橋の上のブールバールをジャンヌを連れて岸に向かって逃げ出した。

「魔女」が逃げ、「妖術」が利かないのを見たイングランド軍は砦を出て追い始めた。

だが、伝説によれば、ジャンヌはただ独り反転して軍旗をかざし叫んだ。 「On Nom  De 」 ( Au nom de Dieu 神の名のもとに )。

これだけでイングランド軍を恐怖に陥れるに十分だった。追跡は止み英軍兵士は砦に戻った。フランス軍はオーギュスタンの突端の砦への攻撃を再開した。

激しい戦闘が一日続き、夕闇が訪れる直前にオーギュスタンは陥落した。

オーギュスタンがフランス軍の手に落ち、グラスダール守備隊はブールバールとトウーレルの間に閉じ込められた。

この夜、サン・プリヴェに残っていたイングランド守備隊は砦を空け、ロワール河を渡り、サン・ローランの仲間に合流した。

グラスダールは孤立したが、なお700~800の兵士が配下に残っていた。

 

 

              写真は ウイキペデイアからお借りしました

ジャンヌはオーギュスタンの戦いで脚に負傷し、治療のためオルレアンの街に戻った。従い、この日の夕刻に開かれた作戦会議に出席できなかった。

翌朝、5月7日、彼女に伝令が来て、ブールバールとトウーレルの最終攻撃に加わらないようにとの命令を伝えた。ジャンヌはこれを拒否し、南岸のフランス軍に加わるため起き上がった。これを見てオルレアン住民に歓喜が沸きあがった。住民たちは自主的に両面からの攻撃を可能にするため、橋を太い柱で修復する作業に取り掛かった。

サンタントワンヌ島には大砲が配置され砲撃が始まった。

(つづく)