輸出課の若い社員は名前をT君と言った。色白で細い長い顔をし、瓶底レンズに近いような分厚いレンズの黒ぶちメガネを掛けていた。剽軽で人を笑わせるのが上手な優しい性格の青年だった。
T君は輸出課の重鎮、YさんとBさんの横の机を定席にして、二人の細々した仕事を手伝っていた。
YさんとBさんの仕事は主に英語で顧客宛にレターを書くことだった。ふたりともデスクの脇にタイプを置いて一日になんどとなく長い手紙を打っていた。とくにYさんのタイプのスピードは驚くほど速く、リズミカルで聴いていて気持ちが良かった。
この時代、まだパソコンなどなく、Eメ―ルもなかった。若い方々はご存じないかも知れないけれど、急ぎの用件はテレックスでやり取りした。テレックスはかなり大きな音を立てる器械で、2センチ位の幅のテープに器械が穴を開けてゆく。その穴あけの音が激しいのだ。
輸出課と輸入課共用のテレックス・マシンがキッチンとトイレの脇の小部屋に据えてあった。5人の社員がみんなそれぞれの仕事に集中して静かな朝。突然、ガチャガチャガン……と音が鳴り始め、ダダダダダン……ダダダンダダダンと続くのだった。どこからかメッセージが送られてきてるのだ。するとYさんかBさんが心当たりの相手から返事が来たのかと立ち上がって見に行く。こんな小さな部屋がどこか遠い世界と通信網で繋がっていると考えると貿易という仕事が面白く楽しく思えてきた。
輸出課のお二人が相手にしている顧客がどんな会社なのか? 新入社員の私には知る由もなかったが、時々の電話で、Yさんは絵筆の輸出をしてると判った。油彩画用の筆は硬い豚の毛を使うので、豚の毛を選り集めて穂先だけ中国で作らせ、日本に輸入して軸を付け筆に仕立て絵筆として海外に輸出する。豚の絵筆だけが仕事じゃなかったようだったが、油彩画用の筆の輸出はYさんの仕事にかなり重要な比重を占めてるようだった。
手探りながら次第に仕事に慣れてき始め、取引先に何度かレターを書くようになった。相手は、フランスの紙のメーカー、キャンソン・モンゴルフィエ。この会社はフランスへ来てから知ったのだが、とても由緒のある会社で、モンゴルフィエといえば、あの空中にゆったりと浮かぶ気球のことなのだ。フランスのドルドーニュ地方にあり、廃墟になっていた僧院を紙作りのアトリエに改造したところから始まり、今はヨーロッパで有数の製紙会社となった。創始者のモンゴルフィエが気球を紙で作って飛ばしたことで有名。当時は気球も紙で作ってたのだね。
スイスのケルンは精密製図用具のメーカー。ビロードのクッション材に包まれてケースに入ったコンパスやデバイダー、ノギスなどの製図用具はまるで精密な装身具のようだった。
輸入課のメインはUSAのVGCという会社で、これはレタリングを主とするデザイナー向けの大きな機械。ラフに言えば写真の引き延ばし器を大きくして箱に入れたものと言える。この器械は社長がアメリカ留学中に見つけ、フロリダにある会社とエクスクルーシブ(独占)契約を結んだもので、いわばこの会社の目玉商品なのだ。
この器械の輸入と普段のコレポンは特別扱いだった。社長が母親の時代は古典的画材屋でのんびり構えていたのだろうが、息子が跡をついで、時代の需要に合う工業デザインの用具と材料のサプライヤーとして変身した。新時代を切り開いて行く社長のビジネスマンとしての意気込みがこの器械の1台1台の輸入に息がかかってるのだった。輸入手続きに手抜かりがないよう慎重に扱わねばならなかった。
そういった日々が続くある日,Bさんにお訪問客が来て、なにか平たい段ボールの箱を置いていった。Bさんは嬉しそうに箱を開け中身をみんなに見せるのだった。
それは額に入れられた美人画だった。伊東深水の絵ということは日本画を良く知らない私にもすぐ判った。雑誌の表紙でよく見慣れていたからだった。
(つづく)
水彩絵の具セット。ヨーロッパの伝統、深い色合い
