画家とあるブロガーとの対話
以下、B:ブロガー、 P:画家 とします
B: 唐突な質問をまず投げかけたいと思います。
あなたは、今見ているこの世界があなたが目をつぶってそれを見なくなったとき、あるいはあなたが居なくなって、失礼、これはあくまで極端な例ですのでお許しを……、あなたが亡くなりこの世から居なくなった後でも、この世界があなたが観てたのと同じまま存続し続けるとお思いでしょうか? もっと極端に言えば、人間がこの世界から居なくなった後、世界から人類が消えてしまった後もこの世界は客観的な、…つまり今あなたが目をつぶる一瞬前まで見ていた状態とほぼ同じ状態で存続し続けるとお思いでしょうか? あるいは、世界のほんとうの姿はとても違った、ゆがんだり、ぐねぐねねじ曲がったものかもしれないとお考えになることがおありでしょうか?
P: それは見たままの姿で変わらず存在し続けるさ、……といとも簡単に答える若者たちがたくさんいますよ。だって写真が僕たちが観てる世界そのまんまの姿を映してくれるから。レンズを通して光学的にまたデジタル記号で光と色彩を置き換えた画像が僕らが観てる世界そのままってことは、世界の色彩と形が客観的にそのように存在するってことだろ。
B: う~ん!うまいところに気がつきましたね。人間の視覚機能とカメラの機能とは良く似ている。その二つが写し取る映像は酷似してる。だからその二つが対象としているこの世界の姿はそれと同じ姿で存続し続ける。というわけですね、あなたのお考えは。
P: まあ、そう言えるね。
水彩画 古い農園 (2007年頃の作)
B: ただ一点、見逃してることがありませんか? 私たちが生きてるこの世界は3次元だけじゃなくて、時間というものがある。4次元の世界に生きてますよね。時間を取り込めるのは ヴィデオ、動画の世界ですよね。写真とか絵とかは二次元の産物にすぎない。世界を肉眼で見てる人間には奥行きも眼の両側や後ろ側も意識できる。写真や絵は眼の前の景色を切り取ってしまうでしょう。なので本物の世界とはずいぶん違っている。さらに時間を加えれば、現実の世界はもっとゆがんだものかもしれない。アインシュタインや「不思議の国のアリス」を 書いた数学者のルイス・キャロルはそんなゆがんだ世界を想像してたんでしょう。
P: ふ~ん。なんだか知らないけどそうらしいね。で、絵の効用と相対性理論がどういう関係にあるっての?
B: 私たちにとって絵はどんな意味を持っていて、どんな役割を果たしているでしょうか?
P: そりゃ、まあ、かんたんに言えば、こいつは素晴らしいと思った風景や人物像を紙やキャンバスに定着して消え失せないよう保存することだね、大袈裟に言えば永遠化するってこと。
B: 絵とは画家が眼を通して見た形と色を筆やパステルを使ってキャンバスや紙の上に表現したものですよね。
P: すごくあたりまえのことで異論はないけど。
B: 絵を描くって行為はだれもがすぐに行えるものとは言えません。見ると言う行為に比べて絵を描くまでには幾通りもの知的なまた経験を必要とします。
P: そんなむずかしいもんじゃないけどね。
B: これに対して「見る」という行為は、盲目のひとでない限り誰もが日常的に各瞬間ごとにほとんど絶え間なく行っている行為です。ただ単に、まわりの物、景色、風景を見るだけじゃなく、形と色のある「絵」を見ることによって私たちは何を期待し、何か意味のある行為を行っていると自覚しているのでしょうか?結論から先に言うと、私はある、しかも大変重要なことを絵を見ることによって行っている、と思います。
P: へ~え。もったいぶらずにはやく結論いってくれないかな。
B: 何かを「見る、観る、視る」ことは、何かを「知る」ことに繋がります。私たちは視覚を通して眼の前の世界を感じ取り、その中に生きているこの世界というものを知覚する。いま私が見ているこの世界、この物の色と形、あなたが見ている色と形が、はたして同じかどうか? ひょっとして違うかもしれない、そう思ったことはありませんか?私たちが住んでいる世界が、あなたにとっても、私にとっても、だれにとっても同じだという保証がどこかにあるでしょうか?
P: あ、そういうこと。そういう感覚てか、疑いにとらわれる瞬間はあるよ。僕にも。でも、疑ったところでどうしようもない。忘れた方が精神的に楽だから深追いはしません。
B: 私は、それを画家がやってくれているんだと思います。
P: なんだ。そんなこと僕に言いたいためにわざわざ遠回りして哲学的な難解なこと持ち出したわけ?
B: 私たちは一枚の絵を見て、やっぱりこれを描いた絵描きさんにも世界はこう見えるんだ、私が見てるのと同じ様に。そう確認して安心するんです。画家が見てる世界も私が見てるのと同じ世界なんだ。画家も私と同じように見ている。そう思えば安心できます。絵描きさんは私たちが生きてる世界が誰にも同じに見えるということの証人なのです。
P:絵描きには変わった人間がたくさんいるからね。そう安易に安心してるとひどいめに遭いますよ。
B: 現代絵画は私たちを伝統の世界から引きづり出し、あなたが見てる世界と私が見てる世界は違うかもしれないという不安を人々に与えた。印象派の時代までは世界はだれにも同じように見えることを画家が示し、保証人となることで世界に安心を与えた。
でも第一次世界大戦がこの安心感をぶち壊し、世界は見る人によって違って見えるものなんだ、ということを示した。フォービスムが現れ、空は青、樹木は緑、花は赤とする理由は全然ない。私には樹が赤く見える。だったら樹を赤く描けば良い。
P: そうそう。ブラマンクは樹は赤だし水を黄色く塗った。画家の主観を正直に表象した絵こそが本物だ。それ以外の絵は「アカデミック」と罵られるべきだ、里見勝蔵が連れて行った佐伯祐三の絵を見て罵った。
B: ですよね。正直いいまして、私には樹はどうしても赤く見えない。樹が赤く見える人とは世界観の違いを感じてしまう。
P: 常識は、万人がそのように見えるという共通認識から始まっている。万人が見える色は落ち着いている。
B: 伝統絵画、日本では日本画……これはこれで、ある風景の伝統的な美意識の表現なのだから、否定しがたい価値がある。前衛画家がどんなに悪口を叩こうが無くなるものじゃないことは明らかだ。
P: 日本画の伝統的な色合いといい、線と言い、頬の繊細なふくらみといい、ああいう絵を描けるようになるまでには永い修練がいる。
B: 日本画作品は、その修練の集大成なんだから価値があるって言えますね
(つづく)。
水彩絵の具セット。ヨーロッパの伝統、深い色合い
