前回「Je pense, donc je suis」について書きましたが、もう少し。
方法序説はフランス語で書かれたので「Je pense, donc je suis」となっていますが、これをデカルトの友人のメルセンヌがラテン語に訳し「Cogito ergo sum」としたのですね。
そして後年「cogito」の方が有名になってしまい、一人歩きするようになりました。
デカルト的な考え方をフランス語でカルテジアンと言い、現代でもよく使われます。
そしてコギトという語はデカルトの代名詞のように使われます。
日本語では「我思う、故に我在り」と訳されてそれが今日もまかり通っていますが、果たしてデカルト本人は「思う」ということと「在る」ということを等価として考えていたのか疑ってみる必要があります。「考える私はひとつの実体」だ、と前回引用したパラグラフで言っていますが、同時に「考えを止めたら私は居なくなってしまうのか?」とも書いています。つまり私というものの確かさが疑われているわけですね。
20世紀前半のフランスの抒情詩人で沢山のエッセーを書いたポール・ヴァレリーはデカルトのこの「Je pense, donc je suis」についてこんなふうに書いています。
<< Je dis que Cogito ergo Sum n'a aucun sens, car ce petit mot Sum n'a aucun sens.>>
「私は、コギト・エルゴ・スムは何の意味もないと言おう。なぜなら、この小さな単語 Sum には何の意味もないからだ。」
すでにカントが同じこと( sum は不要)を言っているのでヴァレリーはそれを借りたのかもしれませんが、ヴァレリーははっきりこれは論理的な命題なんかではなく、ある種の叫び声だというのですね。
<< Je suis >>「私は居ます。あります」というような考えや必要を誰も持たないし持つことはできない。(日常会話で、「おまえどこにいるんだ?」 と喚いたら「ここよ。 Je suis là !」と答えることはままありますが――めのお注)死にかけた場合とか、「あいつは居ない」に対して抗議の声を挙げる、とかでないかぎり、こんなことを言わないし、考えもしない、とヴァレリーは書きます。「私は生きてるわよ」と言うか、それより一声叫ぶとか、ちょっと動作をすれば済むことだ、ともね。
だが、この言葉(Je pense, donc je suis)は別のことに答えているんだ、と。それについては後ほど書く、とヴァレリーは言ってますし、めのおもこのエッセー「Une vue de Descarte 」の先をまだ読んでいないので、いつかまた機会を見て書きたいと思ってますが (°д°;)。
前のパラグラフでデカルトは「明証性」について述べていました。
「私たちが極めて明瞭に極めて判明に認識する事象はすべて真実だ」というくだりです。
< les choses que nous concevons fort clairement et fort distinctement sont toutes vrais.>
明瞭(明晰)で判明という語がキーワードです。判明に(distinctement)とは「他のものから紛れもなく区別されていること」というのがフランス語の元の意味です。
「私」にとって明晰、判明であれば、それで真実。真理としてよいのか? という素朴な疑問が湧きます。たとえば1564年に生れてデカルトより32歳年長のガリレオ・ガリレイは振子の運動や星の運行など自然現象に数学と力学、思考実験の方法を用いて仮説を立て、それを実験により検証する、という方法を採りました。「検証」ということが科学だけでなく現実のビジネスなり日常生活でも非常に大事なのではないか。それを、「私」という「閉じこめられた主観」にたいして現れる現象の「明証性」だけで「真」か「偽」かの判断をして済むのか? という疑問が湧きます。
そして、ここはめのおがフランスに長年住んで、フランス人はなんで俺たち日本人がこんなにも自明なことと判ってることを、独りよがりな思い込みを頑固に押し通そうとするのか? と文化・風土の違いを否応なく味あわされ、そこから発生するらしい社会的不具合の原因の一端は、どうやらこの主観的明証性を真理と考える17世紀哲学の巨人、デカルトにあるらしいと気が付いて、中学校や高校で教えられるフランスの子供たちは、それに疑念を差し挟まずに育つんだな。どうもその病原を突き止めない限り、この国の人と社会を理解は出来ない、と考え、それで哲学的、論理的思考に弱いめのおではありますが、デカルト大先生に挑戦を挑んだわけでした。やはり一筋縄ではいきませんな (@Д@;)。
ここは大事なポイントなので、これからも追々考えて行きたいと思ってます。
「明証性」について書いた後でデカルトは次に「神の存在の証明」にかかるのですね。
次のパラグラフ:
Ensuite de quoi, faisant réflexion sur ce que je doutais, et que par conséquent mon être n'était pas tout parfait, car je voyais clairement que c'était une plus grande perfection de connaître, que de douter, je m'avisai de chercher d'où j'avais appris à penser à quelque chose de plus parfait que je n'étais; et je connus évidemment que ce devait être de quelque nature qui fût en effet plus parfaite.
<和訳>
そのつぎに、私が疑ったこと、つまり私の存在が完全ではないことを考察しながら疑うことよりも認識することの方がずっと大きな完全性であると明瞭に理解したので、私がこうあるよりもずっと完全ななにかを考えることをどこから学んだかを探求してみようと思った。そして当然のことながら、それは実際さらに完全な、ある本性に違いないと認めた。
<訳者のノート>
ガリレイは1633年に宗教裁判にかけられ「地動説」の撤回を強いられ、後の人生を自宅監禁に
処せられましたが、それを知ったデカルトは、長年書きためて出版の準備が整った「世界論」の
出版を急遽取りやめます。友人に世界論の代わりとなる書物の出版を勧められ、そうして書かれたのが「方法序説」でした。
(つづく)
