では、次の、「考えるためには存在しなければならない」が出てくるパラグラフへ進みます。
Après cela je considérai en général ce qui est requis à une proposition pour être vraie et certaine; car puisque je venais d'en trouver une que je savais être telle, je pensai que je devais aussi savoir en quoi consiste cette certitude. Et ayant remarqué qu'il n'y a rien du tout en ceci, je pense, donc je suis, qui m'assure que je dis la vérité, sinon que je vois très clairement que pour penser il faut être, je jugeai que je pouvais prendre pour règle générale que les choses que nous concevons fort clairement et fort distinctement sont toutes vraies, mais qu'il y a seulement quelque difficulté à bien remarquer quelles sont celles que nous concevons distinctement.
<和訳>
そうした後で、私は、真実で確実なものとして私が得たことを、一般的にひとつの命題と見做すだろう。というのもそうしたものの中に私が真実で判明と知っているひとつを見つけたばかりだったからであり、私は、この確かさがどういったものであるかを知らねばならないとも考えた。そして、私は考える、だから私は居る、は私が真実を言っていることを保証するものでなければ何の意味もないと気づいていたし、さもなければ、考えるためには存在しなければならないのだと私ははっきりと了解しているので、私たちが極めて明瞭に極めて判明に認識する事象はすべて真実だということを原則として採ることができると判断した。ただ、私たちが判明に認識する事象とは何なのかを良く知るには いくらかの困難があるが。
<訳者注>
前回、「考えるためには存在する必要がある pour penser, il faut être 」は、「私というものは、存在するためにはいかなる物質的なものに頼ることなく、いかなる場所も必要ない、というような実体なのだ」「魂は身体とは完全に別のものである」という認識と矛盾するではないか、と書きましたが、デカルトがここでいう「存在する」は必ずしも身体として存在する意味ではなく、「実体」として存在する、という意味ですから矛盾はしない。
「考えている私」はある実体なのだ。思考なり懐疑なりが行われるためにはまず存在していなければならない。これはめのが、「Je pense, donc je suis」ではなくて「 J'existe, donc je pense」じゃないのか? と「れくいえむ」のなかでフランスの老婦人に言ったことに通じますが、ただ、めのおのこの時の「J'existe」は身体がまずあるから考えることができる、思考とか精神現象とは身体という物質が重きをなす実体の働きではないのか、と言いたかったのです。
このパラグラフではデカルトはまだ身体について触れておらず、ただ「存在」という言葉を使っています。
そして「Je pense, donc je suis」も、論理学の前提と結論の関係ではなく、「Je pense」と「 je suis 」とは同格として考えた方が無理なく理解できると思います。
考えるから私がある、のではなく、考えると私はあるは同時なのですね。ここのdonc は演繹的三段論法で使う、「故に」という意味は少しもなく、je penseと je suis は同格なのですよ。(これはゆっきー女史が示唆してくれたことです。貴重な示唆をありがとう)
精神が先か身体が先かは「ニワトリと卵」の関係みたいに、どちらが先かだれも決められないことだ、と今めのおは考えています。
そして前回書いたように、デカルトの「われ思う」「Je pense」は単に思考だけじゃなくて、もっとずっと広い人間の精神活動として捉える必要があると思います。
ラテン語で書かれた「Les Meditations metaphysiques 省察」にはこうあります。
<< Une chose pensante est une chose qui doute, qui concoit, qui nie, qui veut, qui ne veut pas, qui imagine aussi, et qui sent.>> (Meditation seconde [9])
「考えるものというのは、疑い、認め、否定し、欲し、欲せず、想像し、また感じるものである」(第二省察 [9])
(つづく)
