「すばらしき白地」続き Foujita その⑬ | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

「目でさわる」目で見て柔らかいと知覚する、「視覚的質感」は実際に手で触れて知る知覚よりもずっと高度な感覚の行為であり、触感を目で感じるという高度な感覚行為を好むフランス人にとって、藤田の画布のもつ乳白色の肌がいかに強くアピールしたかは想像するに難くない。」

 

 

 

 

「女性の肌に触れるが如き感覚を起こさせる、藤田の画布の乳白色の肌あいは、女性の繊細さを表現するに相応しい非常にセクシアルな妖気が漂っている。」

ポール・モーランが「フジタの成功は女性的な成功だ」と言った言葉も頷ける。

(以上は夏堀全弘著「藤田嗣治芸術試論」にある言葉です。)

現在パリで開催中の「Foujita, Peindre dans les années folles ( 藤田、狂乱の時代に描く)展」のカタログには女性の肌と画布のもつ乳白色の肌あいについて次のように記述している。

 

「 Une idée m'est venue un jour: dans la peinture japonaise, il n'y a qu'un petit nombre de nus. Même les peintres comme Harunobu ou Utamaro ne laissaient entrevoir qu'une partie de la jambe ou du genou et ne pouvaient exprimer la sensation de la peau qu'à ces seuls endroits. Voilà qui m'a encouragé à recommencer le nu après huit ans d'interruption, avec comme objectif précis de représenter la qualité de la matière la plus belle qui soit: celle de la peau humaine.」( Foujita 「17ans en France」

これは藤田の回想記「在仏十七年」の以下の記述に対応している。

「ある日ふと考えた。裸体画は日本に極めて少なく、春信、歌麿などの画に現れる、僅かに脚部の一部分とか膝の辺りの小部分をのぞかせて、飽くまでも肌の実感を描いているのだと云ふ点に思ひあたり、はじめて肌といふ尤も美しきマチエールを表現してみんと決意して、裸体に再び八年後画筆を下ろしたのであった」 (藤田嗣治著「在仏十七年」、朝日新聞社刊)

 

「皮膚と云ふ質の軟らかさ、滑らかさ、而してカンバスその物が既に皮膚の味を与えるような質のカンバスを考案する事に着手した。第一がマチエールの問題であったが、私は輪囲を面相筆を以って日本の墨汁で油画の上に細線を以って描いてみた。皮膚の実現肌その物の質を描いたのは全く私を以って最初として、私の裸体画が他の人の裸体画と全く別扱いされた事は世間の大注目を引いた。」


1916年頃のロンドン滞在当時、藤田は漆細工を手掛けることによりカンバスそのものが皮膚の質感を彷彿させるような画面の考案に着手し「古来より日本画のもっとも長所とする寧ろ書かざる部分の余白を豊富な質のある画幅に作ることに苦心した。」(在仏十七年)

1920年になって「……一つの不成功は経験となり一つの失敗は進歩となって遂に理想的のいわゆる白カンバスを発見することに成功した。」(同前)

 

 

「……私はこの白を丁寧に磨くのだ……それから、私は透明な色をかけるだけなのだ。……この磁器のような白は、ただのカンヴァスにパレットナイフで塗ったんだが、丹念にこしらえておけば、決して黒くならないし、曇りもしないんだ。だから純粋な非常に透明な色を気をつけて使えばいいのだ……」

日本の毛筆で、日本の墨で、毛髪のように細い線を、この光沢ある滑らかなカンバスの上に描くことが出来るかを考えたが、「日本の水を使った墨でかくことは油の上に水を載せるむづかしさがあった。」そこで「タルクをキャンバス全面にふりかけて、油っ気を取り去ることに成功した。

 

細くても堅固な線を引きたかった藤田は面相筆に縫い針を仕込んで黒の線を描いた。

 

藤田は1916年から1920年までの5年間を、ヨーロッパの錬金術師のように、また新素材、新製品の開発を任された技術師のように独り黙々と、この人間の肌を感じさせる白地の肌合いを追求し、ついに最良の調合に成功し、それによって20年秋のサロン・ドートンヌに6点出品した全作品が審査員全員の絶賛を浴び、以後パリ画壇の寵児となり美術展の審査員ともなるし、レジオン・ドヌール勲章を授与されたり、歴代のローマ教皇に個人的に謁見を許されたりもして、文字通り世界のFoujita となるわけだが、白地の肌の組成については誰にも秘密を明かさなかったため、それがどのような材料を使い、どのようにして出来たかはわかっていなかった。

この << fonds blancs >>についてカタログには次のような記述がある。

「Foujita applique en fines couches successives un mélange d'huile de lin, de blanc de plomb ou de Meudon et de silicate de magnésium - du talc - auquel il ajoute des pigments en très petite quantité. Cette technique, inédite en Occident, confère à la matière une opalescence unique.」(137p)

 

2000年パリ国際大学都市にある日本館の藤田の絵の修復が行われた。

さらに、藤田没後、ヴィリエ・ル・バクルの晩年の住居兼アトリエから 1928年にこの「素晴らしき白地」を使って3mx3mのキャンバスに描いた4枚の大作が非常に傷んだ状態で発見され、日仏の混成チームによって修復がなされた。その際にキャンバス表面の絵の具の詳細な分析がなされ、長年にわたって藤田の秘密とされ不明とされてきた「 fonds blancs 」の成分が明らかになった。

この4枚の大作の修復完成を記念して上野で開かれた「藤田嗣治展」をめのおが観たのだった。この藤田嗣治展を観た年だったと思うが千代田区の北の丸公園にある「東京国立近代美術館」の

附属図書館「アートライブラリー」を訪ね、開館時間一杯かけて可能な限りの関連記事をコピーして貰いフランスに持って帰ってある筈なのだが、いま探しても見つからない。引っ越し準備中なので段ボール箱に入れたのだろう。引っ越しが無事済んで、書類の整理ができたら、また改めて記事を書くかもしれない。

 

いま分かっていることを書くと、キャンバスを藤田は自分で作ったこと。まず、できるだけ目の細かいキャンバスの布地だけを買って来て、布地の表面にサンドペーパーを掛け滑らかにする。 そして布地の上に膠を塗る。そこまでは藤田も同じ。

 

普通のキャンバスは二層で出来ているが藤田のは三層からなっている。

藤田の独創性は第二層にある。硫酸バリウムが検出された。硫酸バリウムはレントゲン写真の 造影剤として使われる。

硫酸バリウムの上に塗られた第三層は、鉛白と炭酸カルシウムを混ぜた物。

藤田は炭酸カルシウムと鉛白を一対三の割合で混ぜていた。

      ***         ***

 

Foujita の「すばらしき白地」について、そして、この画家が日本を去り、フランスに帰化してカトリックの洗礼を受け、名前も Léonard Foujita として日本国籍を捨てたこと、そのきっかけとなった戦争画についてもいろいろ知りたくて、千代田区の北の丸公園にある東京国立近代美術館の附属図書館「アートライブラリー」を訪ねたのだった。

 

それが何年の事だったかを確認しようとして Website を開いたら、もっと凄いニュースが飛び込んで来た。

 

今年は Léonard Foujita 没後50年周年にあたり、東京都美術館(上野)で7月31日から10月8日まで、過去にない最大の回顧展が開かれる、というニュース。

 

東京の後、京都でも開かれるらしいです。Foujita の大回顧展が日本で開かれるのなら、めのおが少ない資料であれこれ書くよりもずっと詳しい資料なども入手できるでしょうから、興味ある方は是非出かけられるようお奨めします。日本が生んだ世界的な画家の、どこが素晴らしいかをゆっくりご覧になって突き止められますよう祈ります。

 

日本での藤田回顧展のリンクを貼って、この度は一旦連載を終えることとします。ご覧くださりありがとうございました。


公式サイト  http://foujita2018.jp/

東京都美術館 「没後50周年大回顧展」http://www.tobikan.jp/exhibition/2018_foujita.html


 

 

           ヾ(@^▽^@)ノ