藤田は直感を重んじるアーテイストだが、その心に抱くイメージを画布に表すには技術的な支えあって初めて成し得ることだ。藤田という画家が最も大事な道具である筆に職人的な注意を払い、さらに絵の具と油の調合については、これだけは直感や目分量で済まさず、数値化していたところに、この画家の技術屋としての几帳面な一面を見ることができて興味深い。
「油絵の絵の具と油とを調合するは就中微妙の事にして、私は小形の試験官の如き管に記号を付して、一々丁寧に測り調合を厳密にして決して目分量等にては合わせぬ習慣にしているのである。されば絵具の溶け具合乾き具合等も何日の場合もよりよく希望通りに進捗して製作上大に無駄な苦労から救わるることを得るのである。」(「腕一本」)
前回、藤田が死ぬまでに何千何万という絵を描こうと決心し、「大いに能率が挙がる」と書いた文を引用しましたが、そのためには、速く描いてしかも質の良い作品を作らねばならない。それが自然と出来るように眼と手、身体と心を訓練したのだった。デッサンも一瞬のうちに対象の本質を摑み、ただの一本線を引けば即完成となるよう訓練を積んだのだった。実際、知人たちは藤田が驚くほど短時間で作品を仕上げたと証言している。心にある「インタレスト」が褪せぬうちに仕上げる、そういう芸術の秘密を熟知していたのだ。
ロダンは「メチエに身を慣らさなければなりません」と言っている。眼と手の動き、心と頭脳が意図するところを手がほとんど自動的に動いて、作品が完成できるよう訓練を積んだ。
さて、この辺で藤田の女性関係とモデルについて書いておかなければならない。父親に勘当しますと手紙を書いた藤田は、房総半島を旅行中に出会った鴇田登美子と結婚していたが、1915年には郵便で書類をやり取りして登美子と離婚した。2年後の1917年、フェルデイナンド・バレーと結婚する。これについては後で触れます。
モデル: 藤田の最初の裸体画のモデルは「キキ」だった。本名はアリス・エルネスチンヌ・プラン Alice Ernestine Prin。
彼女はブルゴーニュ地方、シャテイヨン・シュル・セーヌで1901年に生れた。私生児だったので貧しい祖母に12歳まで育てられた。13歳でパリの母親の許へ移ったが母は学校を退学させ見習いとしてパン屋、花屋、雑貨屋などさまざまな職場で働かせた。どの職場も待遇の悪さに憎悪し16歳の時にモンパルナスに出て画家や彫刻家のモデルを始めた。
グヴォデッキが描いた1920 年のキキ↑
冬の寒い日食物を買う金がなかったのをスーチンが助けた。病気に罹ったが薬を買う金が無く苦しんでいるのを見かねたFoujitaは自分も金が無いのでロシア人の画家のモデルとなって金を稼ぎ薬を買ってキキを救った。
このことを後で知ったキキは床に泣き崩れ、その後は無償で藤田のモデルを続けた。服を買う金が無く、外套の下は素っ裸だった。彼女の裸体の白い肌と黒の縁取りを何とかして表現しようとした藤田はやがて「偉大なる白い地肌(le grand fond blanc )」を完成し、それによって一躍パリ画壇の寵児となった。
「偉大なる白い地肌(le grand fond blanc )」によって描かれたキキの裸体画がパリの大コレクター、ゲイラン夫人により8千フランで買い上げられた。絵によってはじめて入手した大金だった。藤田は札束をキキに見せ、美味しいものを食べに行こうと誘った。キキはその前に服を買いたいと言った。マントの下は裸で服を買う金がなかったのだった。
その後のキキはモンパルナスの女王と言われたほど、マンレイの愛人でありながらキスリングほか数人のアーチストと関係を保ち、狂乱の時代のモンパルナスにたむろするアーチスト達のセックス・シンボルとなってゆく。第二次大戦後のUSAにマリリン・モンローが出たが、マリリンはパリの「キキ」を見習ったとすら言われている。
1953年にキキは51歳で病気のため病院で息を引き取り、テイアスの墓地に埋葬された。キキの埋葬に立ち会ったのは Foujita ただひとりだった。
マチエールについて藤田は
「画は、殊に油絵はマチエールを以って本格的の批判を下し得る訳のもので良い質のものでなければならぬ。欧州画壇中油絵の質の良い最も豊富なものを成したる画家はコローを以って最高の画家と云ふことである。
彫刻は手を以って触れ、絵の画面は眼を以って触るるものである故に、細密の注意を以って描かねばならぬ。一つの大彫刻が数個の破片に壊れた場合に、その一片を拾ってもそれが真の傑作でなければならぬ。例え四分の一、十分の一となって残ったとしても良き彫刻の場合は全体を想像し得る訳であり、画も同様で画面の何処を拾いあげても良き質(マチエール)の場合は良き絵と称さるる理である。恰も日本の漆の如ききめの細かき油絵を拵えて眼を楽しませることが出来るのである。油絵の質の良い事は結局色の褪せらぬ事と云ふ事にして、永久に色に変化を起こさず耐久性を意味するものである。」(「腕一本161~162頁)
また、「絵の画面は眼を以って触るるものである」とも書いている。
漆の美は、視覚的にも触覚的にも緻密な肌の美、目で触覚的に知覚するところの肌ざわりの美であり、藤田の試みはフランス人の好みに合致した。
(つづく)



