アラン族の役割 アーサー王伝説 その⑳ | 雷神トールのブログ

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この書(前記事の終わりに触れた「アーサー王伝説の起源」)の中で、著者はアーサー王伝説の中心を形作る様々のエピソードと道具立て、聖剣エクスカリバーや荷馬車に乗ってグイネヴィア姫の救出に赴く騎士ランスロット、などがアラン族の風習と伝説とパラレルの関係にあることを詳細に明かしています。

 

 

 

 

そして、なにあろう「アラン族」はローマ人が植民地として征服したゴロワ(ガリア)、南ブリテン島、南ゲルマニアの広大な領土を支配、管理するために雇った、いわば地頭、代官あるいはその下で働いた管理職として西ヨーロッパの地で活躍した民族だというのです。


「アラン族」の痕跡は、例えばフランスのブルターニュやノルマンデ
ー地方に地名として現在も残っています。アランヴィル、アランソンなど。さらにアランを姓と名前に持つ人も多いです。たとえば、一昔前の国語の教科書なんかに載っていたフランスの評論家、哲学者のアランなど。


アーサー王と並んで伝説のヒーロー、ランスロット(Lancelot)についても、この本の著者は、西洋の騎士の模範となったランスロットの名前そのものをアランと関係づけています。

すなわち、フランスの南西部に現在ロット県というのがありますが、ロットのアラン(Alain de Lot) が ランスロットの名前の由来だとしています。

ローマは植民地支配の為に地方官を派遣し、その下で現地人のゴロワ人やケルト人を支配するために管理能力あるアラン人を使ったといいます。そしてアラン人の中に英雄的な長が実在し、民間伝説となってペン・ドラゴンとかアーサー王のモデルとなった。

伝説のヴァリアントには強大になったアーサー王が軍を率いてローマに攻め昇り皇帝となったというのまであります。

アラン人は西シベリアからカスピ海、黒海に居住し、世界最古の遊牧騎馬民族国家を築いた民族で、古代ギリシャの歴史家ヘロトドスも記述を残しています。カザフスタンなど現在のイランの北方を中心に毛皮の交易などで生計を立てていました。

インド・イラン系の言語をもち、BC3世紀にはサルマタイ人の圧力により衰退しクリミヤ半島に逃げました。

「アーサー王伝説の起源」の著者は、アラン族はモンゴル系のフン族とは関係が無いと書いています。

 

   (つづく)