伝説と慣習の関係  アーサー王伝説 その21 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

めのおが黒沢の「七人の侍」の最後の場面、野盗に襲われる農民に加担して死んだ侍の墓、土饅頭に突きたてられた刀のイメージと岩に突き刺さったエクスカリバーのイメージとが重なり、この二つはもしかして関連があるかもしれないと考えたことは、この連載の最初に書きました。

 

 

 

 

今日発見したウキペデイアのテキストは、アラン族の一部はモンゴルまで行き、モンゴル族と同化し、15世紀には有力部族長まで出現し名前を留めたと書いています。

日本の武士の起源には諸説があるようですが、モンゴルの遊牧騎馬民族と、どこかで繋がっている 筈と考えても、まったく突飛な連想として排除はされないだろうと思います。アラン人の中にモンゴル人と同化した人間がいれば、アラン人の風習がモンゴルにも伝わったと仮定しても否定はできない筈です。

 

 

 

「アーサー王伝説の起源」の著者は、墓に剣を突き立てるのは、アラン族の長を埋 葬する時の「しきたり」だったと書いています。

しかし、他にも説を唱える人がいて、その中には、古代から中世にかけて剣を造る刀鍛冶が鉄を鋳込む際に鋳型に融けた原料を流し込み、冷えてから取り出す際の仕草、鋳型から中身の剣を引き抜く動作が、聖剣を岩から引き抜く行為の原イメージとなったと主張しています。言われてみればそんなに的外れとは言えない説だと思います。

さらに、ランスロットが荷馬車でグ
イネヴィア姫を救出に向かうのも、西欧では荷馬車は囚人が刑場へ引き出される時に乗せられる乗り物ですが、遊牧民族のアラン人にとっては日常の乗り物だったから不思議はない、としています。

どこにも忌まわしいイメージは無い筈だというのですが、剣の道を乗り越えて無事グイネヴィア姫が囚われていた岬の城に辿り着き姫を救出したランスロットに姫は、荷馬車が現れた時、一瞬ランスロットが乗るのを躊躇したと非難します。

姫がなぜランスロットが荷車に乗るのをためらったことを非難したのか? よくわからないのですが、めのおは、そんな詮索よりも「アーサー王伝説」が内包する、われわれ現代人の心をも魅了する 幾つかの主要なテーマに注目した方が良いと思います。古今東西の、文学、演劇、映画に尽きない 主題を提供している「アーサー王伝説」ですもんね。

主君に対する忠誠心。日本では義経・弁慶の主従関係が歌舞伎と映画に繰り返しとりあげられ、 忠臣蔵を日本人は涙を誘われながらこれからも見続けるでしょう。

騎士に課せられる「試練」。困難に挑戦する勇気を讃え、困難をを乗り越えた先に待ち受けている報酬。これは現代でも受験の「狭き門」とか、企業で盛んに奨励されるチャレンジ精神と起源を一つにしています。

忠臣蔵は、めのおは時の体制に立てつき異議申し立てをし、艱難辛苦を乗り越え団結した結果、武士道の義務、武士の「分」を示そうとした家臣、体制の無理強いと虐めに抗し得ず切腹して果てた主君の無念を仇討の形をとって成し遂げた浪人となった四十七人の侍の集団テロのドラマだと思っています。

ランスロットは、主君の妃であるグ
イネヴィア姫と相愛の恋に陥りますが、プラトニックラヴを維持し、不義を避けるために宮廷を離れ森に隠れます。しかし姫が敵に浚われると一人で救出に赴きます。途中、馬に逃げられ、そこへ荷馬車と小人が出てきたので荷馬車に乗ります。

姫が囚われている城は岩だらけの岬の先端にある城で、そこへ渡るには、幾つかの「試練」を経なければなりません。ランスロットは一番困難な「刃を上向きに並べた剣の道」を渡ることを選びます。そして剣の道を無事渡り切り、姫の救出に成功するのでした。

 

   (つづく)