アリエノールという女性  アーサー王伝説その⑥ | 雷神トールのブログ

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1155年に英国王ヘンリー II 世の命を受けて、ワースが先出のジェフリー・オブ・モンマスの「ブリタニア列王伝」のフランス語訳を完成します。そして、「ブリュ物語」と名付けヘンリー II 世の王妃のアリエノールに献上しました。ブリュとは粗暴なとか粗野なとか、まあ豪傑伝といった意味。ここまでは、アーサーはウーゼルの正式な王位継承者なのですが、その後、両親の結婚前に生まれた庶子であり、王位にふさわしからぬ者とされるようになってしまいます。メルランの手に渡るとなるのは、13世紀の第一四半世紀と推定される「メルラン物語」(作者不詳)以降のこととなります。

 

 

 

ところで、このアリエノールですが、アーサー王伝説の変遷と、フランス対英国の歴史に極めて重要な人物であり、「宮廷風恋愛」を身をもって実践した、いわばフェミニズムの先駆者なので、も少し触れておきます。

アリエノールという呼び方は南仏オック語の読み方で、オイル語(フランス語)ではエレオノール Eléonoreとなり、英語では Eleanor エレノアまたはエリナーとなります。エレノア・オブ・アクイテイン

と英語では呼ぶのでしょうか。祖父はトルバドール(吟遊詩人)として有名なギヨーム9世。父親はアキテーヌ(現在のボルドーを中心とするフランス南西部)公です。

 

娘のアリエノールは1137年に15歳でフランス王ルイ VII 世と結婚しフランス王妃となります。
ところが王様はさぞや閨の営みもお盛んと期待したのに大外れ、友達には「大さまと結婚したと思ったら僧侶だったわ」と打ち明けたように、ご不満がつのるばかりでした。

 

ルイ VII 世は幼いころから聖職者になるよう教育を受けたこともあり大変敬虔なカトリック教徒だったのですね。あちらのほうも申し訳程度だったのでしょう。二人の性格が合わないことが周りの目にも明らかになります。

 

1147年の第二回十字軍遠征にアリエノールも参加します。女性で十字軍の遠征に加わったのは彼女ぐらいで前代未聞の行為。勇気と行動力に感動したいですが、本当の理由は娘の頃に恋した叔父さん付き添って中東まで行きたかったんだと言われています。化粧道具の外にも衣装、家具なども運ばせ、とても戦闘どころか行軍の妨げになり、進路や宿営地について口出しまでしたため、結局、この時の十字軍は無残に敗北、叔父さんも戦死してしまいます。

 

この時の国王と王妃の破綻が決定的となって二人は離婚をローマ教皇に申請します。カトリックでは離婚は禁止されてるので、結婚の無効という形をとります。理由は近親結婚だったからだ、というわけです。

 

1152年にローマ教皇から無事婚姻の無効を言い渡されます。ふたりの間にはマリー(後にマリー・ド・シャンパーニュ)という娘がありました。

しかし、ルイ VII 世と離婚してわずか6週間後に、アリエノールは11歳年下のアンジェー伯、ノルマンデイー公アンリと結婚します。ルイ VII と近親婚を理由に離婚したのに、アンリとはルイよりも近い血縁関係にありました。

アリエノールは兄ギヨームが1130年に早世したため、父親の遺産である、アキテーヌ公領、ガスコーニュ公領、ポワテイエ伯領とフランス全土の三分の一近くを支配する大領主となっていました。
二人目の夫のアンリが後にイングランド王を継承してヘンリー II 世になると、フランス領土の半分近くが英国領となってしまったのでした。

 (つづく)