チビトラの死 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

今週は悲しい思いをしなければならなかった。

7年と6か月私たちと一緒に暮らしたチビトラが末期状態となって立つことも出来ず、食器棚に隠れていたので、いよいよ最後の時が来たと、獣医さんに電話した。状況を知っているマダム・ヴァッサロはすぐに来てくださいとアポに割り込ませてくれたので車を飛ばし、込み合っていた午後の動物病院に駆け込んだ。

 

まだ若く元気なころのチビトラ↑

 

2月半ばにマダムに診て頂いたが、その一週間後にチビトラの容態が悪化したので連れて行った時は、マダムはお休みで代診の若い獣医さんが脱水症で乾燥し切ったチビトラの背中に血清とコーチゾンを打ってくれたのだったが、それから1週間経たないうちに、さらに悪化した。眼に光が無くなり、他の猫たちが食事に集まると一緒に食べにお皿に首を延ばすけれど、なに一つ口に出来ない。その前の週までは一度も飲んだことがなかったネコ用のミルクを飲んでいた。それすらも口に入らなくなってしまった。ただ毎朝用足しに外に出てはすぐに家に入る。台所の流しの横のテーブルでじっとうずくまったままでいる。獣医さんが奨めてくれたチューブ入りのフーズも水を注射器で飲ませようとしても抵抗して拒むのだった。

 

 

カミサンがチビトラの姿が見えないと家じゅう探し回ったが見つからず、昼の支度をしようと食器棚を開けたらチビトラの顔が見えた。2年前にクロが死んだ時も、ミクロクロが死んだ時も家具の陰に隠れて見えない場所で死んだ。クロの場合は、チビトラと同じようにじっと動かない状態が2週間ほど続き、ある日突然寝ていたソファーから飛び降りて家を出て行ったまま帰らなくなった。跳び下りた時に、ああ、死にに行くのだなと感じた。死ぬ前に気になっていた自分の別荘(だいじなテリトリー)を一目見に行こうとしたのと、人目を避けて静かに死のうと思ったのだと信じる。

クロもチビトラも生まれつきの「エイズに感染したネコ」で現代の獣医学では治療のしようがないと最初に血液検査をしてもらった時に獣医さんに言われた。普通のネコの半分以下の寿命しかない。病気にかかっても抵抗力が無くすぐに死んでしまうと言われた。クロも約7年、チビトラも7年と半年でやはり寿命が尽きたのだ。

 

 

チビトラはカミサンもこの冬は越せないだろうと感じていた。それでも健気な抵抗力を発揮して長い冬を乗り切った。あと数週間もすれば春が来るのに、とカミサンは春が来るまで延命させてやりたいと獣医さんに頼んでコーチゾンと抗生物質を打ってもらっていたが最後は1週間前に打ったばかりだったので、今日は打てないと言われた。10月に連れて来た時も口内炎が悪化して舌に腫瘍ができ、固形のも液状のキャッツフーズも苦しみながらしか食べられなくなっていた。もうその時から 生き延びても苦しみが続くだけだから「静かに眠らせてあげよう」という了解は獣医さんとの間で出来ていた。

先週、一日だけ青空が広がり陽射しが射した時に庭へ出て、ほんの短い間だったけれど日に当たることができたのがせめてもの慰めとなった。

私たち夫婦の意志を確認し獣医さんは麻酔薬を注射して眠らせてから、安楽死の処置をし、遺灰を後日箱に入れて遺してもらう旨を記した書類にカミサンがサインした。

チビトラは私たちの見ている前で永遠の眠りに就いた。

 

 

チビトラが独りで庭に遊びに来た日↑ 母猫は病気で死んでしまった。

 

安楽死をフランスではウタナジ euthanasie と呼んでいる。「安らかな死」を意味するギリシャ語からきている。

この処置をしなければあと1・2週間は生きられただろう。けれどもそれは生の最終段階で春が来た喜びも感じられない末期の生を生きてるだけだ。人間の場合は本人の希望に従って安楽死を選んだ場合、という条件が付く。でも動物の意志を確認はできない。

 

チフスに罹り一晩カテーテルで血清を注射しても助からなかったチビクロが最後に挙げた断末魔の悲鳴のことを考えれば、チビトラの苦しみをこれ以上引き延ばすのは残酷なだけだと思った。カミサンには別れが辛かっただろうけれども。

チビトラが初めて庭に現れた時の写真を見つけた。トラとクロに続いて3番目のネコだったので珍しく写真をたくさん撮ってあった。

 

母猫と一緒のチビトラ↑

 

おとなしい綺麗な猫でクルマも怖がらなかった。近くの貯水池や農場やフォンテンヌブローの森やパリの妹の家にまで連れて行った。

クロが一時居なくなりチビトラ独りだけの時期があったがあの時が最高に幸せだったのだろうなと思う。

 

 

その後沢山のネコ族が来てチビトラは年寄となり、若い猫が遊ぶ様子を高い所からじっと見ては慰みを得ている感じになった。

毎日3回ほど家の周辺を巡回に回るのが日課だった。口内炎から歯茎と舌に腫瘍ができたのが致命的だった。最後は見るも哀れな姿で、他のネコも近寄ると匂いがするので遠ざかるのだった。

路傍に捨てられ飢えて鳴くネコは可哀想で憐憫を誘われるが、慣れてしまうとネコは我儘で頑固で隣の餌が良く見え、盗むのが得意という欠点だらけの動物だ。昔の農家は鼠から穀物を守るために猫を飼ったというが、現代の人間はペットとして貴族的な生活をさせている。

 

それぞれのネコには個性があって面白いけども、小鳥やリスを掴まえて殺すのだけは許せない。本能だから仕方がないと弁護する人もいるが。

庭で生まれ半ば仕方なく飼い始めた4人組のうち、ミネットは失踪し3匹残ってるが全員エイズ持ち。この冬はいちばん元気だったトラジニが弱り、デイノが腰を痛めたのか椅子にさえも跳び上がれなくなり、チュウジは寒がって夜は布団に潜り込んでくる。やがてはあと4年も経たないうちにエイズウイルスが体力を奪ってしまうのだ。

4人組の後に来た、7匹の若い猫は幸いなことにエイズに感染していない。ただ、10匹は多すぎる。

ネコはもともと広い空間に独り高い所で他のネコにも邪魔されず悠然と暮らすのが好きで、多すぎては猫同士不幸になるという。犬やオオカミのように群れをなして暮らすのは好きではないらしい。今いる十一匹の猫が自然減してせめて2匹か3匹になればそれぞれに親密に付き合えるのだがと思っている。

 

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