核をめぐるデベート その⑦ 22年前の小説から | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

ペルグランはそこで言葉を切って席へ戻った。沈黙が暫く教室を覆った。最前列に座っていたジャン・リュックが迷い勝ちに手を挙げ発言を求めると、のろのろと立ち上がって壇上へ向った。

 

「ぼくはニュージーランドの原住民マオリ族の血を引くものです。同じ褐色人種として、サモアやトンガやニューカレドニアやタヒチの住民の感情が良く理解できます。ペルグラン氏の説明により、実験が大型核爆弾ではないとわかりました。
しかし、依然として核兵器であることに違いはない。

 

なぜ、核でなければならないのですか?
核が恐ろしく危険なものだという感情が根拠の無い不条理なものだと、さきほどペルグラン氏は言われた。その通りです。核という言葉を聞いただけで不安を抱く。それが普通の人々の反応です。そのような不安を掻き立てる種をなぜ、南太平洋で 撒かねばならないのですか? 本当に安全ならばフランス本土でやったらいいじゃないか。これは正直な南太平洋の島々の住民の感情だと思います。美しく平和な青い海の広がる珊瑚礁になぜ西洋の科学技術の結晶である核兵器を持ち込んで実験をするのですか?

 

科学に実験はつきものですね。実験によって事実を確認し未知の事柄を明確にする。なるほど人間は未知のものに対して不安を抱きます。しかし、全く未知のものには不安は抱きません。子供は劇薬でも平気で飲みこんでしまう。現在の地球上の人々は核に対しまったく無知ではありません。核に対する不安は、逆に、核の恐ろしさが普通の人々に知れ渡ったために生じている不安です。

 

広島、長崎に落とされた原爆は、実験だったと言われています。人類が初めて手にした核爆弾を、その人間に対する威力を実地で確認するために、降伏が既に決定的で時間の問題だった日本人という有色人種の上へ白人の支配する国が投じたのです。広島。長崎と二回に分けて投じたのは、ウラン二三五とプルトニウムを用いた型の違った爆弾の性能実験をしたかったからにほかなりません。

 

原爆投下後の調査によって、放射能による被害がどんなに恐ろしいものかという事実が少しずつ世界の普通の人々にも知れ渡って行きました。日本はその後、アメリカのビキニの核実験によって久保山さんという漁船員を失っている。

 

スリーマイルズアイルランドの原発事故、それよりずっと規模の大きかったチェルノブイリ事故によって放射線による後遺症の実態が少しずつ明るみにでている。

 

ペルグランさん。核への恐怖は不条理な恐怖ではないですよ。放射能の恐ろしさを知り始めた普通の人々が危険物に対して抱く通常の恐怖心です。 このような恐怖を引き起こす原因となる危険物をうちの近所に持ちこまないでくれというのが南太平洋の住民の声です。

 

ジョンの所属するNGO、グリーン・ミッションは世界中の平和と環境保護、クリーンな地球を子孫に残したいと願うふつうの市民の静かな声を代表するものだと思います。

彼等の勇気ある行動にここにいる皆さん方、さらにその友人、知人たちの厚い支持を訴えたいと思います」

 

  ケバウは階段教室の前列に並んだ聴衆から次第に眼を後列へ上げて行き、最後列に座っていたジャンヌと宏和を見て話を終えた。

 

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