「ただ今のジョン氏の発言で重大な事実誤認がありますので指摘したいと思います。ジョン氏は実験が放射能の灰や雨を降らせると言われましたが間違いです。実験はこの図にありますように(と言ってペルグランはうしろを向き、ボードに貼り付けられた実験の地中断面図を指した。)地下九百メートルで行われますので放射能が周辺の海水や空気を汚染することはありません。
われわれ技術者は実験の安全に万全を期して行うよう技術者の良心にかけて誓っております。この実験が安全であることは、クストー提督も、火山研究家のタルジュエフ博士も宣言し保証しておるところです。事実を見極めず不条理な感情的不安に
動かされて行動し、良心的人々を扇動する行為こそ地球の平和にとって危険かつ有害であると申し上げたいと思います。以上です」
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おれが不思議に思うのは、おれたち骨と肉と血と汁でできてる人間の頭脳が人間とその文明を大量に破壊する武器を産み出したってことなんだ。人間と人間がいがみあい殺し合うのは人間が文化を発達させるずっと前、野蛮状態だった昔から繰り返してきたことだ。人間が人間らしい暮らしができるようになったもとは火を手に入れたからだろう。火は食物を保存できるようにし、旨くしてくれる。夜を明るくし冬も暖かくしてくれる。だけどその火の技術の取り合いから戦争は始まったって言うじゃないか。シノワが火薬を発明してから弓や刀より数万倍強い爆発の威力をみんな戦闘に使うようになった。核兵器の発明までずいぶん時間がかかったが、火を使うってことに変りはない。火は昔から創造のエネルギーでもあり破壊の力だった。
生命を尊重することで成り立ってきた社会や文明を科学を発達させ核兵器を所有したことが空しいものにした。これが現代の犯罪だ。おれはこういう現実に無関心でいられない。核兵器ってな人間の想像力を空にする兵器が地中や海ん中やいたるところにあるって想像するとおれは震えてしまう。おれの身体は恐怖から震えだす。おれの感じやすい心はこういう恐い現実に耐えられないほど繊細だ。司会者の政治的背景はしちめんどくさくて聴き流してたが、核実験に賛成か反対かって議論は単純なおれにだって関心はある。ペルグランのほうがずっとわかりやすく筋がとおってる。反対側の意見は感情にもとづいててすっきりしない。だがおれにもやつらのこわさってもんがよくわかる。いや、おれはやつらより敏感だし、もっと怖いんだ。話を聴いてる最中にも頭んなかで、太陽の何万倍も明るい閃光がきらめき、耳がつんぼになり、熱が顔や手足の皮膚や肉を焼き、強烈な風が頬の肉を吹きちぎってゆき、きのこ雲が空にむくむくと昇ってゆくのが見えたとおもった瞬間、なにも見えなくなる。おれって存在そのものが虚空に四散し消し飛んでしまう。そうした光景がなんどもおれを恐怖でちぢみあがらせた。となりの娘の服が焼け飛び裸の乳房が見えたと思うと、レントゲン写真みたいに骸骨だけが透けて見え、つぎの瞬間、なにもかも蒸発して消えてしまう。
核炸裂のイメージがなんども襲うのだ。おれの頭も身体もこの強烈な閃光に捕らえられ、その瞬間はあの子の濡れた赤い谷間のイメージを楽しむ余裕など消し飛んでしまうのだ。蜜の壷に締つけられて味わう快楽や、もうじき生れる胎児を抱えてる妊婦の喜びや、そうした人間の快楽や感情を透明な光とともに一瞬にして空疎なものにしてしまう。そんな爆弾がこの地球上を常に徘徊して、ボタンひとつでいつでも発射できるのだ。それを思うと人間の優しさ、愛情、おれがあの子に抱いてる崇拝の感情なんて空しいって感じてしまう。政治家たちは言うだろう。そうじゃないんだ。事実は逆だ。そうした市民の愛情生活、自由で快適な市民生活を保護するために核兵器があるんだって。安心して愛を交わし、懐妊し、出産し、学校へ行き、会社で働くことのできる社会を守るために核が必要なんだって。
ペルグランの話を聴きながら、おやじからきいたカミカゼって恐ろしいパイロットのことを思い出した。撃っても撃っても戦闘機もろとも突っ込んでくる。陸・海・空軍とも死を怖れぬ兵士で溢れている。アメリカ兵の恐怖は死を怖れない日本兵と闘うことの恐怖だったんだ。攻撃を凌いで攻勢に転じると負けた日本兵は捕虜になるより死を選ぶ。兵隊だけじゃなく女子供までが海に身を投げる。そういう不気味な人種と戦争をしてるってことがわかってくる。こいつらは民族全員が滅ぶまでおれらととことんやる気だ。その恐怖は、底無し沼へずるずる引きこまれてゆく恐怖。真っ暗闇の深淵をどんどんおっこちてゆく。確実に死ぬという感覚が無限に続く恐怖。発狂した数千の山犬の群れと闘うときの恐怖。そういう恐怖だったんだ。そんな気違いどもの道ずれにされるのはまっぴらだ。おれたちは豊かで享楽的な生活を守るために戦争やってんだ。気違いと刺し違えるためなんかじゃない。そんな相手には一発で何十万人も殺せるこれまでの兵器で最高に効率のいい爆弾をお見舞いするにかぎる。その爆弾を十発くらい落っことせば気違いどもを家もろとも完全に抹消できるんだ。塹壕で撃ちあって肉弾戦なんてもう古い。もっと頭使い、ボタンひとつプシュッて押せば相手が消えちまう。強烈な熱を発するくせに冷たい戦争。これは未来戦争のはじまりなんだ。これからの戦争はこんなふうにあっけらかんとしてる。おれたち西洋人が入り込むことのできた神の領域。宇宙の創造の熱、神の力を借りて、おまえら戦争のルールを守らず真珠湾を不意打ちした野蛮人に西洋人の力、正義というものを思い知らせてやる。自業自得で招いた地獄をじっくり味わいたまえ。そんなふうにアメリカはリトル・ビッグマンをおっことしたんだ。根にあるのはやっぱりジャップへの恐怖と軽蔑だ。肉体でいどんでくる相手へを同じ肉体で迎え撃たず頭で作った核分裂の熱と光と風で消したってことだ。
おれはヒロシマの写真をみたことがある。顔も胸も背中も焼けただれて皮膚がべろりとむけた男や女や子供が幽霊みたいにうろついている。石に人影が焼きついた写真もあった。影が残ったのはひとりだけど、いっしゅんにして数万の人間が蒸発して
しまったんだ。その時蒸発した人間の命ってものをおれは考える。骨と皮と肉と血とリンパ液や神経と脂肪と繊維で出来てる人間の身体というものが一瞬の熱と光で気体と化しちまう。影が残ったってことは光が当たった瞬間はそれを遮った物質があったってことだ。影が石に焼きついたっていうか、影のまわりの石が熱と光で変化したっていうべきだろうが、その瞬間に人間は消え失せてしまったのだ。気体となって空中に霧散した。微粒子と化して空中へ四散した。数百兆の分子、素子、中性子、アルファ線、ガンマ線、なんていう爆弾が発生するのと同じ要素となって拡散した。
じゃあ肉体が蒸発した人間の魂はどうしたのか?ちゃんと宇宙の所定の場所へかえることができたのか?肉体から脱け出す時間もなくいっしょに消し飛んじまったんじゃないか。真空ってことを考えるとおれは心が虚ろになる。核爆弾の発明で人間は人間そのものの存在を空虚なものにしたんじゃないのか。生命そのものを空虚なものにしてしまった。そうじゃないか? おれには空でないなにかが欲しい。おれの人生を満たしてくれる生き甲斐が欲しい。崇めたいようなあの子への想いが、いまのところおれの虚ろな人生に意味を与えてくれている。おれにはあの子が必要なんだ。
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「ジョンさんいかがですか?」
司会役はジョンの顔を覗きこみながら言った。ジョンは俯いたまま壇へ歩き静かな口調で言った。
「技術者の良心、科学者の良心と言われました。あなたがたの良心を疑うわけではありません。ただ人間は自然に対してもっと謙虚になるべきだと言いたい。
今から二十年ほど前、原子力発電所がアメリカ、ソ連、フランス、英国、日本で造られ始めました。技術者は絶対に安全だと主張した。原子炉を製造するメーカーも材料は絶対に安全だ。設計にミスは無いと技術者達は信じていました。しかし、
たった二十年の間に何が起こったでしょうか?スリーマイルズアイルランド、そしてチェルノブイリ。フランスのスーパーフェニックスや日本の“もんじゅ”でも事故が発生しました。ゼネラルエレクトリックスのエンジニアが絶対安全と保証した炉心を保護するステンレス製の円筒にヒビ割れが発見されました。一つの原発だけでなく、同じタイプのステンレスを使った世界中の原発四十基近くで発見されたのです。
これらの事実をどう考えるべきでしょうか?人間の技術に百パーセント安全は有り得ないのです。人間の科学は未だ真理を見極めたわけではありません。自然について未だ研究中なのです。技術は科学を追いかけるものです。もう一度繰り返します。
技術に絶対安全など有り得ないのです。私達人類は自然の驚異の前に敬虔であるべきです。汚染は一度放出したら拡散するのみで回収は不可能なのです。エントロピーの法則を知らずに、知っていても眼をつぶって汚染を垂れ流して来たのが世界の技術者たちではないですか?」
(つづく)