核についてのデベート その② 22年前の小説から | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

司会役の背の高い青年は、彼の左脇に座っている、少し太った四角い顔の年齢四十五六と思われる栗色の髪の男を見やって会釈をした後、最前列の席に戻った。

 

兵役がないのがあたりまえだった日本から兵役と軍備があってあたりまえと考えるフランスの青少年のただ中にいきなり混じった時の衝撃を宏和は今も忘れない。日本では戦争について考えるだけで悪とみなす風潮がある反面、子供達はコンピューターゲームで戦争を楽しんでいた。それも自分たちは絶対に戦争なんかに行かない、行くはずはないと信じているからだった。
フランスへ来て宏和は戦争や防衛がもっと身近な問題なのだという事を肌身で感じた。フランスの級友の中には、日本の憲法第九条が軍隊の放棄と国際紛争の武力による解決の放棄を謳った平和憲法で、世界はこれに見習わなければならないと
日本人の宏和をみんなの前で称賛する者もいたが、大半はそのような平和憲法を持ちながら東洋一の軍隊を持つ日本の、建前と現状の甚だしい乖離にシニカルな批判をした。その頃から宏和は、遠からず日本は防衛問題と憲法を正面から取り上げざるを得なくなると感じて関心を寄せ、自分なりの意見を持とうと考えてきた。日本は世界で唯一、原爆を落とされて何十万という市民を失った国だなとある日級友が言った。原爆の被害の実態を宏和の口から聴くことをこの級友は期待してたかもしれないが、宏和は原爆について、広島や長崎について何ひとつ知らなかった。

 

司会者の話を聴いて感じたのは、彼も指摘したとおり、核を保有する国と保有しない国の利害、立場の違いというものは基本的に理解し合えないほどに深いのではないかということだった。核保有国は権利を温存して他の国には持たせない。自国の実験は正しいが他国のそれは悪だ、と考える。これは、万人の平等という原則に照らした場合インドの主張の方が正しいではないかと宏和は感じた。自分たちは武器を捨てるから、あんたらも武器を持つのはやめよというなら話はわかる。オレたちの武器は正義を守るための正しい武器でお前たちのは征服を志す邪悪の武器だというのは、世界政治の舞台で恒久的な優位を保とうとする戦勝国のエゴイズムじゃないのか?

 

核の五大保有国は第二次大戦の戦勝国、連合国だった国々だ。他の国に実験を行わせないのは第二次大戦後の体制を永久に維持したいからにちがいない。だが、連合国のうち、ソ連が崩壊し、歴史的な大転換が起きた。ソ連が管理能力を失い、核兵器の大量流失の危険が噂された。核実験の全面禁止条約が国連へ持ち出される前に、米ソ間で核の廃止、縮小から、廃棄を謳うナンタケット条約が署名された。

 

核武装に巨額の金を注ぎ続けなければならなかった米ソ二極体制はどこか間違っていたのだ。軍縮がきっかけでソ連が崩壊したのか、ソ連が崩壊したから軍縮が可能になったのか宏和には良く解らなかったが、ベルリンの壁の崩壊から世界は音を立てて変わった。

 

「世界史の経験から見ますと軍縮が叫ばれ実行された直後に大きな戦争が起っている」
続いて立ったペルグランは冒頭にそう切り出して危機意識をあおった。

「日清、日露戦争から第一次世界大戦しかり、第二次世界大戦しかりです。平和というものは軍事的均衡の上に成り立っている。私はレアリストですからそう見る。
軍拡競争に経済的に耐えられなくなり、強大国のどちらか、あるいは両方が音を上げて軍縮が始まる。軍縮は保たれていたバランスをくずします。軍備を大きくする方向でバランスを求めるのは、金さえ掛ければ出来ることなので比較的容易だ。
経済を上向きにする利点もある。ところが、縮小均衡を求めるのは非常に難しい。全員が一致して一斉に武器を捨てれば良いとみなさんはお考えになるでしょう。簡単な話だと。しかし、軍事に限っては、そのような、ユートピアは通用しないのです。
縮小均衡、ましてや武装放棄には信頼というやっかいなものが関わっている。相手を信じてやられるか。信じる振りをして相手をやっつけるか。相手がひとりならまだやりやすいでしょうが、複数だったり、全世界が対象だった場合、非常に複雑になる。
ましてや、全員一致などということは、ほとんど不可能です。
監視装置も違反者の処罰制度も整っていない状態で、武器の廃止を行うほど危険な事はありません。しかもそれが核兵器ならなおさらです。おおむね、現在、行われている紛争、また紛争の可能性を孕む緊張を複雑化し深刻化する方向でしか、それは役に立ちません。
今、第二次世界大戦後の二極体制が崩壊し、世界は次第に自由主義の方向へ流れを大きくしています。二十世紀はナチズムや超国家主義という軍事独裁政権と共産主義といういずれも全体主義的体制と自由主義とが対決し、世紀末に至ってようやく自由主義が大勢を得、優位に立ちました。しかし、イラクやイラン、リビアや北朝鮮といった国々が未だに専制的な独裁体制を保っています。」

 

  (つづく)