中央の教壇を挟んで左右にそれぞれ二人ずつパネラーが座り、中央に司会役が居た。正面のボードに南太平洋の地図が貼ってあった。ムルロワを中心に、オークランド、シドニー、ロサンジェルス、リマと周辺の都市への距離が書き込まれていた。その横には地下核実験の構造を示す断面図があった。参加者の数は全部で四十人くらいで最前列にいま座ったばかりのジャンリュック・ケバウの縮れ毛がみえた。
たった一発で一瞬のうちに数十万人を殺戮できる核兵器を幾つかの国が所有しているということ自体が宏和には、何か途方もなく冷酷でシニカルな人間の側面を象徴しているように思われた。
「核を持っているのは前の大戦で勝った連合国の国々でしょう。それに、インド、パキスタン、イスラエルなどが持っている。そうだ。北朝鮮を忘れてはいけない。それに南アもね。(注:南アはこれを書いた数年後、自ら核兵器を廃棄しました)
核兵器は他の兵器と違って敵の軍隊のみならず一般市民を殺す。敵だけでなく味方も破滅させてしまう兵器だ。人類と地球の存続と破滅のカギを握る恐ろしい兵器をほんのひと握りの人間だけが持っていることが、どうにも許せない。不条理だと思う。こういう、なんてったらいいか、絶対的な悪が許されてる現代って時代は、どんな小さな悪も許されてしまうって思うやつがたくさん出てくる。わかるかな。僕の言いたいこと」
ジャンヌと並んで座った宏和は言った。
「包括的核実験禁止条約を国連で採択しようとしているのよ。フランスはその提唱国のひとつだわ」
「それなのに、なんで核実験をやるんだ?ひどい矛盾じゃないか。」
「その辺の事情を良く理解して、おかしいと思えば反対する。そのためにここに来たの」
集会は始まったばかりらしく、司会者が壇上に立って説明を始めた。
「一九九六年秋の国連総会をメドに包括的核実験禁止条約が採決されようとしています。フランス語でTICE、英語でCTBTと呼ばれているこの条約にフランスは積極的に多数の国の批准を得るようイニシアテイヴを発揮しています。ただし、フランスは
英国とならんで、ある条項をこの条約文中に挿入することを提案しています。それは、フランスと英国は、五年または十年というある一定期間ごとに、両国が保有する兵器の確実性と安全性を検証するために、弱い破壊力の爆弾の一連の実験を許容するという条項です。しかし、この提案は今のところ、提案国だけからしか支持を得ていません。来年の秋の国連総会で、この条約が採択にかけられるまで、現在ジュネーヴの軍縮会議で交渉が続けられています。そこで簡単に現在までの交渉の問題点を要約し、その後、実験に賛成と反対の立場の代表から意見を述べてもらうことにしたいと思います。
まず、核実験全面禁止の考え方の基礎は、一九五九年のインドによる発議に遡れます。核のあらゆる形の爆発の完全かつ最終的な停止、つまり“オプションゼロ”を国連で決議しようというのがこの軍縮会議の目的です。いくつかの代表は臨界前核実験をも禁止すべきだと唱えましたが、核保有国は強く拒絶しました。
フランスと英国が現在保有する核兵器の確実性と安全性を検証するための五年か十年毎の実験を容認せよという要求を出した事は、いま申しました。他方、中国は、自国領土上での“平和的な核爆発”を行う権利を要求し、長期に渡り軍縮会議を中断させました。平和的実験と称するものが軍事的実験をカモフラージュする場合があるので、この中国の要求は最終的には否決されました。
最後に、インドが核実験禁止条約は、核保有国による核の全面廃棄を法的に行わせるスケジュールとリンクさせるべきだと提案しました。インドはこの要求を条約署名のシネ・クワ・ノン(必要条件)としたために核保有国は断固として反対したのみならず、インドはもしやこのような提案をすることによって核実験禁止条約の法案そのものを廃案に追い込み、インド自身が核武装のオプションの可能性を保持しておきたいのではないかとの疑いを抱かせました。なぜなら、このような条件は核保有国には絶対受け入れられないし、多数決によればこのような条件は余りにも容易に賛成を得られることが明白だからです。
すでに皆さんお解りのように問題は核の保有国と非保有国の立場の違いにあります。さらに困難なのは条約が採択され批准されたとして、核実験が行われていない事をどうやって監視し検証できるかという技術的な問題です。このような、技術的、実際的問題があるからこそ、核保有国であるフランスは核実験全面禁止の実現へむけてイニシアテイヴを発揮しながらもその条約の発効直前に一連の実験を行わなければならないという矛盾した立場を取らざるをえないわけですが、実験の必要性についてはこの後マイクをペルグラン氏に譲り、中立的立場の私としては、実験を必要と認める人々も、核実験は自由と平和を守り維持するための必要悪だとしていることを強調しておきたいと思います。
人間は人類全体と地球そのものを破壊し得る兵器を持つに至った。しかも一回だけでなく、何十回と破壊できる量を所有している。何人もこの状態が正常とは思わない。狂気と紙一重の、恐怖の均衡の上に成り立っている平和が本当の平和と言えない。それはみなが思っている。人類全体の恐怖の源である核兵器をこれ以上増やさず徐々に減らして行こうという願いは万人のものだと思います。ただ、そこへ行くまでの過程、どうやって不慮の事故なく核兵器の廃絶を実現できるか。その具体的方法と過程が問題なのです。
今年(注:1994年)の国連総会は、国際司法裁判所に対し、質問状を提出しました。その質問とは“核の使用または脅威は合法か?”というものです。史上はじめて、核兵器はもはや単なる政治的抗議を超え、法的な正当性を疑われる対象となっています。
国際司法裁判所の判決はまだ出ていません。果たして、このような問いに司法裁判所が判決を下し得るか?疑問がないわけではありませんが、このような形で今、国際社会の中で核兵器そのものの正当性、合法性が問題にされている事実が重要だと思います。それでは、ペルグランさんお願いします」
司会役の背の高い青年は、彼の左脇に座っている、少し太った四角い顔の年齢四十五六と思われる栗色の髪の男を見やって会釈をした後、最前列の席に戻った。
(つづく)