TDF 最終日 シャンゼリゼのゴールと表彰式 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

最終日(7月23日)のスタートはモンジュロンというパリから約20km南西の町。

1903年に第一回TDFが開始された時ここからスタートした記念の町。

 

 

和気あいあい。並んだ選手と談笑しながら、途中でシャンペンやビールが振る舞われ飲みながら走る、長く厳しいレースも最終日を迎えお祭り気分だ。

 

 

 

パリまでは何事もなく、ゆっくりしたペースで進んだ。

 

 

フルーム選手のバイクがパンクし取り換えるハプニングがセーヌの橋の直前で起こったが…↑

 

パリはポルト・ドルレアンから入り、セーヌ河右岸の車道を通ってグランパレに近づいた。驚いたことにグランパレの内部を横切った。

 

 

入口も出口もTDFの選手団がくぐるところは映らなかった。最初の映像は床の中央を選手団が走るもの。

 

次の瞬間、パリの2024年オリンピック招致のデモに使われた陸上トラックと水泳のプールが映し出された。

 

 

よく考えると、最初の映像は実写だったかもしれないが、次の陸上トラックとプールはモンタージュ映像だったろうと思う。

 

 

シャンゼリゼをコンコルド広場から凱旋門まで昇り、エトワール広場を一周して、またシャンゼリゼをルーヴルに向かって下る。

 

 

 

 

2週目あたりからぐんぐんスピードを上げ、先行グループとプロトンの差も広がって行く。

 

 

 

今年でプロ生活から引退を決めたトマ・ヴォークレール選手に声援と拍手が送られる。

 

 

 

ヴォークレール選手はアルザス出身の38歳。

 

いつもはシャンゼリゼのゴールで猛烈なダッシュを見せるキャヴェンデイッシュ選手の不在が惜しまれた。テレビ・ゲストに招かれ肩の骨折が複雑で穴が開いてるので痛みは引いたが回復に時間が掛かりそうだと。

 

 

来年は出られますねとの問いかけに、僕はTDFを中心に育ったので、TDF抜きでは人生の意味がなくなる、とまで言った。アクシデントだったので悪意や不正はない、とペーター・サガン選手への友情の言葉も忘れなかった。

 

 

最後の一周の鐘が鳴らされる。

 

 

プロトンが先行グループを呑み込み、ゴール目指して一斉にダッシュ。

 

 

 

ゴール前200mでオランダのグローエンウエーゲン Groenewegen 選手がダッシュ、一着でラインを切った。

 

 

 

レースが終わり、表彰式が行われる。

 

 

赤の水玉ジャージを贈られたワレン・バルギル選手は最高に闘志を燃やした選手に贈られる敢闘賞と二回表彰台に立った。

 

表彰台を降りたところに家族が並ぶ席があり、それぞれ表彰を受ける選手の家族がときに涙ぐんだりして長く厳しい闘いを征したことを喜んだ。

 

イエロージャージを贈られたクリストファー・フルーム選手はこれが4回目の優勝で、奥さんと3歳ぐらいの男の子が迎えた。フルーム選手は男の子を表彰台の上に抱きあげて喜びを振りまいていた。

 

 

日本の新城選手が小さな日の丸の旗を振りテレビに愛嬌を振りまきながら走る姿が一瞬映った。カメラを取り出す隙に映像が変わってしまった。

 

シャンゼリゼのゴール1周前に新城選手が先頭に立ったらしいがテレビにアップでは映らなかった。全ステージを終えての新城選手の成績は109位、トップとは3時間18分16秒差だった。

 

チームの成績は各チームの上位3人の合計タイムで競われる。1位は英国 SKY チーム 259時間21分6秒。英国チームの団結力の強さ、個人の犠牲的精神が発揮された、素晴らしいチームだ。

 

 

2位はAG2R LM で259時間28分20秒。 3位はTrek-Segafredo チーム 261時間5分52秒。

 

7月1日にデユッセルドルフ市内でのタイムトライアルに完走した選手は196名。
それから、2日の休息日を挟み、21日間、合計3540kmを走った後、7月23日シャンゼリゼでゴールラインを切った選手の数は167名だった。

毎年7月になるとTDFでテレビに釘付けになる。TDFの選手が暑さの中、雨にもめげずに頑張る姿が励ましになる。

今年は、カルムジャン、ワレン・バルギル選手、ロマン・バルデ選手と期待できる若手フランス選手が3人も出た。

3週間続いた熱気が来年まで見られないかと思うと寂しいが、めのおも真似事ながら自転車を始めたことだし、来年のTDFを楽しみに待つことにしよう。

 

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