「サン・ファルジョー:水の歴史」と題した講演が6月17日にあるとチラシが入っていたので聴きに行った。
「故郷と水車の遺産の日」という催しを定期的に行っているようで今回は20回目。場所は市役所の隣の市民会館の一室。
集まった人たちはお年寄りばっかり。じじとばばの割合は3対7くらい。
昨年6月はじめに水害があり、ロワン川の下流のモレやヌムールに多大な被害をもたらした。
サン・ファルジョーはロワン川の水源地、ということはセーヌ河の水源地のひとつなのだ。
会場入り口ではご婦人が入場者ひとりひとりにビラを手渡していて、ビラには昨年の増水でサン・ファルジョーの古い洗濯場↓の
柱の礎石が浚われるなど被害に遭い、修復が急がれるが市の予算は充分ではなく寄付を募るとある。寄付した人には地方税(住民税と固定資産税)の免税措置があるとも。年末の地方税がいつもきついから考えてもいいな、とビラをポシェットにしまった。
講演してくれたおふたりともボランテイアで老後の趣味に歴史研究をされている。
サン・ファルジョーの水の歴史をまずスクリーンに画像を投影して説明してくれた。
ロワン川流域には新石器時代から人が住みつき、火打石や矢じりなど多く出土している。
ローマ時代の貨幣もみつかった。
シャトーが17世紀に今の形に改築される前は城砦があり、城壁の周りは堀が巡らされていた。
ウチがある前の通り(リュ・ド・ムーラン・ド・ラルシュ)も堀の跡だったとわかった。
この通りの名前の起源:ムーラン・ド・ラルシュ(Moulin de l'Arche)は丸い塔が残っていて、てっきり風車とばかり思っていたのだが、水車だった。丸い塔はピジョニエ(鳩舎)なんだそうな。古いデッサンが二枚残っていて画像を映してくれた。
他にも、サンマルタン・デ・シャンには鍛鉄工場(鍛冶場)があり跡が残っている、とか火力発電所が早い時期にできたとか興味ある話を聴けた。
講演者が交代してブリヤール運河とブルドン湖の関係を説明してくれた。
ブリアール運河はつい最近、めのおもウエブサイトで調べてアンリ4世とその宰相シュリーが大西洋と地中海を運河で結ぶ大計画の一環としてセーヌ河とロワール河を結ぶプロジェクトを実行に移したという歴史を投稿したばかりでした。
セーヌとロワールは45m対137mと差があり、しかもその間の165mの高地を超えねばならない。
この難問をいくつもの閘門を重ねることで解決した。問題は閘門は多量の水を消費するので、その水をどこから供給するか?
閘門は船が一隻通過するたびに500m3の水を要する。そのうえ高地の部分の閘門と閘門の間の運河の水位を保たねばならない。
この部分を「ビエフ bief 」と呼ぶらしいが、そこに水を供給するためにロワン川はじめ大小の小川や池の水が利用された。
こうした池の中でもブルドン貯水池が最大のものだが、ダムを造って貯水池とする前は、他の池と同じくらいの大きさの池だった。
ダムによりブルドン湖は9百万m3の水を貯めることができるようになった。ブルドン貯水池が完成したのは1904年のこと。
それよりずっと前の1723年にブリアール運河は開通し、セーヌとロワールとが繋がった。
話は前後するが、最初に画像で説明してくれたのは、サン・ファルジョーがなぜ湿っていて他より寒い土地なのか? だった。
地質学的に砂の層と粘土の層が交互に重なった地層で、粘土の層のため水が浸み込まず、泉や池となって地表に現れるのだという。
フランスの夏は農地が旱魃に襲われる年が多く、地下水をポンプで汲み上げ農作物に散水するのさえ禁じられることが多いですが、サン・ファルジョーとこの周辺は夏も涼しく森の樹々は青々と葉を茂らせているのであります。冬寒いのが難点ですが。
講演が終わって庭に出て来た参加者↓
庭からシャトーの屋根が見えます↓
教会は尖塔が曲がっていたので修復工事中↓
我が家は歩いて3分くらいのところで、途中洗濯場のあるロワン川を渡ります↓
(*'-'*)エヘヘ















