昨日は自転車で少し遠乗りをトライした。
昼食後、バラを移植した後の穴を広げラヴェンダーを二株植えた。
出かけたのは車の往来も少し減った夕食前の6時半。
昼食が遅かったので、夕食は採らずポタリングしてこようと出発。
初日に走った道を取り、距離をずっと伸ばして着いたのはサン・プリヴェという村。
村の市役所には三色旗とEU(ヨーロッパ連合)の旗が。
ここはサンファルジョーから4.5km。
村の郵便局。時刻は午後7時23分と遅いので閉まっている。
木立の間から教会の尖塔が見えた。
サン・プリヴァという聖人を祀ったものらしい。
百年戦争のあいだ(1420~1440)にほぼ破壊され、16世紀(1530~1540)に
サンファルジョーとサンプリヴェの領主ニコラ・アンジュとブレノーの領主、その兄弟の神父により再建されたと。サン・プリヴァは3世紀の聖人で殉教者だそうな。
教会の横の広場は瀟洒な雰囲気が漂っている。
主としてこの建物のシックなデザインに負ってるだろう。
引っ越して来た当時、村外れの辺鄙な場所にある建築資材の専門店で砂利や砂を買ったが、その店の親切な中年女性がサン・プリヴェに住んでると言っていた。その言葉にほんのり誇らしさを感じたのだったが、この広場を見て、ははあ~と納得がいった。
脚を伸ばして次の村ブレノーへ。ここにはいつも猫たちを連れてくる動物病院がある。
ご主人が馬牛羊など牧畜関係の獣医さんのマダム・ヴァッサロがニャンコを診てくれる。
もう30回はお世話になってるな。写真の時間を見るとサンプリヴェから20分かかっている。
ブレノーまで4.5km。ブレノーはフロンドの乱でマザランに投獄され、オルレアン公や女性たちの働きのお蔭でル・アーヴルの監獄から釈放された大コンデ公が、ボルドーへ行きラ・ロシュフーコーの援軍を引き連れてパリへ上る途中、マザランと幼いルイ14世に国王軍の指揮を任されたチュレンヌ元帥と戦史に残る戦闘をし勝負がつかないままどちらも引き上げた古戦場。
広場の菩提樹の植わってる駐車場とその向うの教会。
教会と広場のあいだに噴水がある。
ブレノーからはブリアールへ行く道が出ており、ロワール河へ約20kmと近い。
町外れに記念碑がぽつんと立っている。
1420年2月20日ジャンヌ・ダルクがここでロワン川を渡った、と読める。
碑の前に植わってるのは「ムラサキ露草」。
碑のすぐ脇に小川が流れ橋が架かっている。ロワン川↓
この浅瀬をジャンヌ・ダルクはお供の兵士と渡ったのだろうか。
この辺も英国に占領され、ブルゴーニュの兵士たちの監視の目が光ってただろうに。
ロレーヌからロワール河畔のシノン城までかなりの距離がある。見つからぬよう夜間移動したらしい。
ブリアールへ行く道の坂を上り切ったところで左に折れ森に入る。
本日の目的地はここ。 真っ白なシャトー。
引っ越してきたばかりの10年前偶然発見したお城。その頃は工事中だった。
いずれどこぞのお金持ちの別荘らしいが、飾らないシンプルな気品のあるお城だ。
近くの村の入口の標識。シャンプレという名の10軒ばかり家があるだけの村。
時刻は8時半。来た道を戻るか、さらに先へ行ってトウーThou という村へ出て県道を帰るか? 日没時間が気になったが6月は10時過ぎまで薄明るい。それに今夜は満月のようなので無理して先へ行った。
人も車も通らず静かな田舎道。途中、耳の長い野兎、そして狐と出会った。写真を撮りたかったが、どちらもこちらに気づくとすぐに藪の中へ隠れてしまった。
牛が放牧されていた。こちらをじっと見ている。
仔牛たちも寄って来た。
肌がベージュの牛は「シャロレ」という種で肉牛として珍重されている。彼等を食べるのは酷だけどね。
帰り道、勾配はゆるいが登りが3つあり途中くじけそうになった。疲労困憊、尻が痛くなんども立ち上がった。どうにか頑張って夜10時半帰着。
走行距離は41kmだった。
(≧▽≦)




















