昨日(6月8日)の午後、隠れ里探索の2回目に投稿したブリアール運河の要所のひとつロニー・レ・セット・エクリューズ(Rosny les Sept-Ecluses )へ行った。
前夜の疲れが残っていたが、翌9日は天気が崩れる予報なので晴れてるうちにと奮起した。
7日に通ったブレノー Bléneau を経由する。ブレノーまで12km。ブレノーからロニーまでが8.5kmで往復すると41kmで7日と同じ距離になる。
ブレノーの市庁舎。
広場の西側のプラタナスの並木。おもしろい形に選定されている。
並木に沿って右に上って行った。
ロニーに到着。橋からまず北側の運河の風景。
橋の南側に7段閘門(セット・エクリューズ Sept Ecluses )がある。
これはフランス国王アンリ4世が造らせた閘門の重なりで現在は使われておらず遺跡となっている。
ブリアール運河の標識。
こんな標高差のある場所によく運河を通したものだと感心する。
現在のブリアール運河はそのすぐ脇を通っていて自動式の閘門がある。
フランス国王アンリ4世はフランス国民からもっとも愛された国王でブルボン家、カペー王朝の最初の国王。
アンリ3世と4世の時代はフランスが宗教戦争で血みどろの争いを繰り広げた時代。
アンリ3世は子供がいず、弟で後継者のアランソン及びアンジュー公フランソワも子供がいないまま1584年に死亡。
アンリ3世はカトリック神聖同盟(リーグ)の長アンリ・ド・ギーズ公をブロワ城に招集した会議(エタ・ジェネローdes états généraux )に登城した機会に暗殺させた。
1588年12月23日の出来事で、これが間接的原因となり1589年8月1日アンリ3世は狂信的な僧ジャック・クレマン Jacques Clément により刺された傷がもとで死亡する。
死の床でアンリ3世は、甥にあたるナヴァール公アンリを「サリク法 la loi Salique 」に拠り正式な自分の後継者フランス国王であると認めた。「サリク法」はフランスの王位継承に関し細かく定めた法。これによりブルボン家出身のアンリ4世が王位に 就いた。
国王の戴冠式は普通ランスかパリで執り行われるが、どちらもカトリック同盟が支配していたので、アンリ4世はシャルトルの大聖堂で戴冠式を挙げた。ランスかパリ以外で戴冠式を挙げたフランス国王は3人しかおらず、アンリ4世もその例外的な国王。
アンリ4世は誕生時(1553年12月13日スペインとの国境に近いポーで生まれた)にカトリックの洗礼を受けたが、プロテスタントに改宗、その後もカトリックとプロテスタントを交互に全部で4回も改宗した。
フランス国王の座にあったのは1589~1610年の21年間で、その間プロテスタントをある程度許容する「ナントの勅令」に署名。表面上宗教戦争は終結をみた。が実際はフランス国民の3分の2はカトリック同盟を支持しておりアンリ4世はまずフランス国内を征服しなければならなかった。
そして1610年5月14日パリのフェロヌリ通りで、シャラント地方出身の狂信者フランソワ・ラヴェヤックにより馬車に乗っていたにもかかわらず刺殺された。
アンリ4世はフランスを統一するにあたって各地にある大規模な城砦の取り壊しを命じたり、運河など土木工事に力を入れた。
カナダのケベックなど北アメリカ大陸の進出に力を入れたのもアンリ4世。
1597年アンリ4世は宰相シュリーと共に、地中海と大西洋を英仏海峡で結ぶ運河を開通させ舟の航行を可能にする計画を立てた。
1603年にまずロワール河とセーヌ河を結ぶ運河の工事入札が行われ実現に向け動き出した。ロワールに接する村ブリアールとセーヌの支流ロワン川の要衝モンタルジスを結ぶ60kmほどを新たに運河で結ぶ計画だが、問題はこの間に173mの高地があること。この高地を境に水の流れがふたつに別れる。
エンジニア、ユーグ・コニエが指名され、彼はここロニーの地に全長250m、高さ24mの区間に6段の階段状の閘門を建設するプロジェクトを提案。これが承認され大規模な工事が開始された。1609年には最初の舟が閘門を試験的に通過したが、翌年のアンリ4世の暗殺により工事は中断された。
アンリ4世には9歳の息子がおり、王位を継承してルイ13世となった。
陽射しが強く、写真右上のマロニエの大木の木陰に入って休憩することにした。
木陰から見た運河とロニーの民家↓
閘門が水を吐き出す音が聞こえていたが、しばらくするとボートが二艘トンネルから出て来た。
夏のあいだ、ボートでフランスの各地を、さらにヨーロッパの他の国へも船旅をするのだろう。
先のボートが閘門で停まるのが見えたが、水門の水の上下を観に行く元気はなく、遠くから想像するにとどめた。
帰りは自動車道を避け、裏道を走った。
長い上り坂が二か所あり、途中で力尽きて自転車を押しながら歩いて昇った。
ちょうどその時、4人のフランス人の中年のオジサン仲間が自転車で猛スピードで坂を下るのと行き違った。
顎出して自転車を押して歩くのが恥ずかしかったが、相手は気にせず、挨拶を投げてくれた。
道端の麦の穂が長く伸び色づいていた。もうじき刈り入れなのだろう。
尻の肉が薄くなってサドルに乗ると痛いのでなんども休憩しながら、41kmの距離を
結局5時間かかって走ったことになる。でも、4回走っただけで足腰、首肩腕など痛かったところに元気が甦った。
今日は養生でお休みするが、これからずっと続けるつもり。
o(^▽^)o















