アーサー王伝説 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

フランスのギュイエンヌ(現アキテーヌ地方、ボルドーが中心都市)伯の娘に、アリエノール・ダキテンヌという女傑がいた。

 

最初の結婚(1137年)の相手がフランス国王ルイ7世だったのだが、国王とともに遠征に加わった第2回十字軍でのいざこざと、帰国してからも国王の愛し方への不満が続き、ローマ法王に近親結婚を理由に結婚を解消してくれるよう申し立てをした。

 

カトリックは離婚を認めなかったので結婚自体を無効にしてもらったのですね。結婚から15年後の1152年に結婚解消の認可が下りるや、その2か月後には、フランスのノルマンデイ地方に領地を持つアンジェ伯のアンリ(ヘンリー2世)と再婚してしまった。ヘンリ2世は後に英国王となりアリエノールは英国王妃となって、息子にリチャード1世と末っ子のジョンなどを産んだ。

 

トウールの近く、フォントヴロー修道院にあるアリエノールの墓

 

しかしアンジェ伯アンリ(ヘンリー2世)との結婚が後に英国とフランスの間に百年戦争を引き起こす遠因となった。アリエノールの末っ子のジョン王は愚か者で、フランスにあった広大な領地をすべて失い、アキテーヌ伯領だけが残った。

 

1328年にフランス、カペー朝の王だったシャルル4世が没し、男子の継承者を失った。従兄弟のヴァロワ伯フィリップはフィリップ6世として戴冠式を迎えたが、イングランド王エドワード3世は自らの母(シャルル4世の妹イザベル)の血統を主張して、フィリップ6世の王位継承に異を唱え、自らに王位継承権があると主張、ここに英仏百年戦争が始まった。

 

アリエノールという女性は十字軍に参加し中東まで遠征したことをみても、頑強な身体の持ち主で、男勝りな気性の女性だった。 アンリ2世と結婚してからも王宮は一か所に固定せずフランスのあちこちを馬または馬車で移動した。

 

フランス国王との結婚を解消するなどアリエノールはまた、初の女権運動家(フェミニスト)でもあった。従来の結婚は女性を子孫を作るための家畜同然に扱い、恋愛感情など無視したしきたりで、「宮廷風恋愛」だけが真の恋愛だとして、結婚している身であっても貴族、とくに騎士たちと愛の詩を交わすことを奨励した。

 

彼女が最初の結婚で産んだ娘、マリー・ド・シャンパーニュとともに吟遊詩人たちのメセナになりに騎士道物語を書かせた。

 

娘のマリーはシャンパーニュ伯に嫁ぎトロワ(Troyes)の街に宮廷を構え、吟遊詩人のクレチャン・ド・トロワに「荷車のランスロ」と「パーシヴァル」を書かせた。このふたつは「アーサー王伝説」に組み込まれ、今日もなお盛んに映画や演劇の下敷きに使われている。

なお、アリエノールの呼称はフランス南部のオック語の読み方で、北部オイル語ではエレオノールと読む。

 

「アーサー王伝説」をプランタジネット朝がその正統性を保障するために利用した感がある。大陸にあった「シャルルマーニュ伝説」 に対抗するためにアーサー王の墓や騎士たちが上下の別なしに座った円卓が見つかったと宣伝した。

 

アーサー王伝説は、ケルトの伝説に起源があるようで魔法使いの「メルラン」に象徴されるように、フランスのブルターニュ地方と 大ブリテンとの共通の民話的土壌の上に、「アーサー王伝説」が形づくられていったようだ。

 

クレチャン・ド・トロワ以前にもイングランドにはジェフリー・オブ・モンマスGeoffrey of Monmouth (1100年頃ウエールズで出生)が 「ブリタニア列王伝」「マーリンの預言」など、「アーサー王伝説の原型」とも見てとれる書を書いており、それを補完または書き直す形で、「トリスタンとイゾルデ」などのエピソードが加わった。

 

アーサーが異父姉で魔女のモルゴースと束の間に交わした愛で出来た不義の息子で悪の化身、モルドレッドに致命傷を負わされ、聖剣エクスカリヴァーを湖に戻すよう忠実な家臣パーシヴァルに言い残す場面など、賢明な国王が理性では統治し切れない下層意識や悪の分野と、王国を立て直すために「聖杯」を探しに出た円卓の騎士たちが、旅の途中でつぎつぎと倒されてゆき、最後にもっとも身分の低い厩番のパーシヴァルが聖杯と出合い、アーサーに聖杯の酒を呑ませ正気を取り戻させる、といったような中世の騎士たちの生き様が活き活きと描かれている。

 

近代になってからはブルフィンチが「中世騎士物語」を書いており(1858年)野上弥生子の訳が岩波文庫から出ている。面白いので是非一読をお薦めします。