エル・シド(ル・シッド) | 雷神トールのブログ

雷神トールのブログ

トリウム発電について考える

フランスの貴族制度は非常に古くからあり、フランク族の一部族のクロヴィスが北方から侵入してきて、現在のフランスのシャンパーニュ地方のランスのカテドラルで聖油による秘跡を受けフランスの国王の座についてからフランスの王朝とカトリックとの結びつきが始まるが、クロヴィスは古くからあるフランク族の貴族制とローマの貴族制度を合体させフランスの貴族制度とした。

 

ローマ法には「ポテスタス potesta 」という家父長権などの個人に属する権能があり、原義は「力」という意味らしいが、これを公的に拡大してpotesta publica 公権力とした。この公権力は必ずしも世襲制ではなかった。

 

またボッシュの作か他の画家の作かが議論されている「手品師」の項にも出て来た「パトリキ」(patrici)は、古代ローマの血族貴族が起源で、王政期から元老院を構成し、王を合議で指名していたらしい。

 

フランスに限って「騎士」をみると、フランク王国における土地知行政の発達とともに、農民層から法的に分離し、封建社会における支配層を形成した。その特有な精神類型と行動様式を「騎士道」と呼んだ。

 

 

「騎士道ではキリスト教的倫理の影響が強く、イスラム教徒との戦いは、騎士最高の義務のひとつとみなされ……」と(ブリタニカ)にあるのをみると、今日の「ダエッシュ、IS、イスラム過激派」への対応の仕方を想起してしまう。異民族間の闘争の歴史を引き摺ってる 国とそうでない日本とでは、人々の深層心理での反応は違うだろう。

 

昔見た映画で、チャールトン・ヘストン、ソフィア・ローレン主演の「エル・シド」はまさに、ここに書かれた騎士道の見本のように描かれていたが、「エル・シド伝説」のモデルになった実在の騎士ロドリゴ・デイアス・デ・ビバールはイスラムとも組んでキリスト教徒とも戦った。

 

キリスト教=善、イスラム=悪とカテゴリックな勧善懲悪主義でなく少数の邪悪なキリスト教徒と少数の善良なイスラム教徒というプラグマティズムで臨んだのだろう。バレンシアを取り戻した後は、キリスト教徒もイスラム教徒も同様にエル・シドの臣下として扱われ、エル・シドはカステイラ、サラゴサと共に狂信的なムラビト朝と戦い、死後もミイラとなって数十年間バレンシアを守り続け、ムラビトの軍勢が再度バレンシアに攻め寄せた時は、遺体を愛馬の背に括りつけて出陣させ、敵兵が怖れをなして逃げ出したため、妃以下廷臣が無事城を抜け出すことが出来たという。

 

エル・シドが使った剣テイソーナは、1999年の分析によりコルドバでダマスカス鋼を使って造られたと判明し、現在はブルゴス博物館所蔵となっている。

 

叙事詩では妖精によって鍛えられたとあり、アーサー王伝説の聖剣エクスカリバーが湖の妖精に守られるのと似たところがある。

 

フランスでは三大古典劇作家のひとりコルネイユが「ル・シッド」という作品を書いている。