貴族と騎士道 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

ヨーロッパでなにが興味深いかと言えば、それは歴史、とりわけ日本人の男の子にとっては、封建時代、中世の貴族と騎士の存在だろう。 はじめてヨーロッパへ来た年にあちこちを見て回ったが、どこでも古いシャトーやミュゼアムには、銀色の光沢を放つ甲冑と太く長い剣が展示してあった。英国ではウインザー城とかロンドン塔とか大英博物館とか、もうどこだったか記憶は朦朧としているが、大広間の壁際いっぱいにずらっと甲冑が並べられてるのには圧倒された。

 

騎士( Knight, chevalier ) ヨーロッパ中世の武装騎重戦士。広義には国王と全封臣団を含み、狭義には下級貴族をさす(ブリタニカ)。

 

 

「神の思し召しによってこの世に生をうけるのは、平民ならば働くため、地を耕し、仕事にいそしみ、生活に必要なものを生み出すため、 聖職者は、信仰の仕事のため、そして、貴族ならば、徳を高め、正義を維持し、みずからを正しての立ち居振る舞いによってひとの 鑑となるためである。教会の保護、信仰の宣布、圧政からの民衆の救済、公共の福祉の維持、暴力と暴政に対する闘争、和の擁立、これら国家の最重要事は、(とシャトランはいう)、いずれも貴族のつとめである。」 (ホイジンガ「中世の秋(上 Ⅲ 身分社会という考え方 p111 堀越孝一訳 中公文庫)

 

これを読むとへえ~とほんまかいなとため息が出てしまう。が、本来はそうした役柄をもっていたものなのだろう。江戸時代の日本の武士、赤穂浪士が民衆に讃えられたのも、失われたと信じられていた武士の本道を示して見せてくれたからであろう。(その意味でも、 堀部安兵衛が説いた「武士の分」は正しかった)。


日本では貴族といえば、平安貴族、平安末期から江戸時代にかけて「公家」と呼ばれ、手早くいえば天皇を補佐する高級官僚。 後醍醐天皇の時代、足利尊氏と楠正成、新田義貞などの南北朝の時代の「お公家さん」は顔に白粉を塗り口紅すら差して、公家言葉を使い、いくさの現状など無視して、ひたすら正成に尊氏を成敗せよとせまり、結果正成を犬死させてしまった。

 

ブリタニカ百科事典を続けて見ると、ヨーロッパの中世・近代初期では、「領主階層、騎士階層と、貴族階層とを同義に用いたこともある」

どうりで、ほとんどが映画から得たイメージなので、貴族と領主、騎士とがごっちゃになってて、よくわからん、どうなってんだろ? と好奇心が働くので、ちょっくら整理しておこうと思うのです。

 

 (つづく)