宗教戦争ではない | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

ルーアン近郊の町、サンテチエンヌ・デユ・ルヴレイの教会で26日朝、ミサの最中に神父が殺害された事件は、フランス全土を震撼させた。

昨27日、パリのノートルダム寺院で、またルーアン、サンドニ、ランスの大聖堂でもジャック・アメル神父の追悼ミサが行われた。特にパリのノートルダム大聖堂では、現職の大統領と首相、各大臣のほか、元大統領のジスカール・デスタン氏はじめ政界の重鎮や著名人約2千人が参列の許、大勢の司祭や枢機卿の導く中で厳かに執り行われた。これをみても、一神父の殺害がどれだけフランス社会に衝撃を齎したかが推察できるだろう。


NDのミサ
         27日夜のテレビニュース画面を拝借、撮影しました↑

殺害されたジャック・アメル神父は86歳の高齢。50年間聖職者として職務を全うし、2008年に定年退職し後任に司祭の職を譲った後も、副司祭としてルヴレイの教会で聖体拝受、結婚式、葬儀のほかも住民の抱える悩みを聴き、細やかな心遣いと時に厳しさとともに助言を与え続け、86歳の高齢とは思えないエネルギッシュな活動で街の人々の親しみと尊敬を一身に受けていた。

神父は市庁舎脇のプレスビテール(司祭館)に住んでいたが、地上階には集会所があり、そこで神父はいつも教区の大人も子供とも話をしていた。

「良い日も悪い日も話相手になってくれる友達だった」とマルチンヌは語る。「たびたび会いに行ったものよ。あたしがガンで化学療法を受けてる時も、主人が亡くなった後も……」

先月、神父は教区宛の手紙にこう書いていた。
「この困難な時代に、神のお招きを聴き、私たちが生きてる場所を、もっと温かく、もっと人間的で、より兄弟愛に満ちた世界にするために尽力できますように……」。

神父は、上ノルマンデイー地方のイスラム教協議会議長でサンテチエンヌ・デユ・ルヴレイのモスクの管長でもあるモハメッド・カラビラとも交流を深め、異なった宗教が共生することにつき対話を進めていた。「彼は他人のために人生を捧げる人であり、私は彼に友を見ていた」とモハメッド・カラビラ氏は語る。


ここでルーアンという街について少しご案内をします。
パリを横切るセーヌ河がノルマンデー地方を蛇行しながら下り、英仏海峡に流れ込む河口にはル・アーヴルという大きな港があり、ルーアンは、その50kmほど上流に位置する古い中世からの旧市街と周辺に工業地帯とを抱える産業都市でもあります。

セーヌ河は水深が深く、ルーアンまでは大型貨物船が遡れるので、ルーアンの港は材木の他、周辺の工業団地の原料と石油化学製品の積み下ろしで賑わう。

プチ・ケビリとグラン・ケビリ、プチ・クロンヌとグラン・クロンヌなどがルーアンを取り巻く工業団地の代表で、ここの市長は長年社会党で、ミッテラン大統領の時代、フランスで最年少で首相を務め、オランド大統領の時代は外務大臣として昨年のパリCOP2015 の議長を勤めたローラン・ファビウスだった。ファビウスは現在、憲法評議会の議長に就いている。

歴史的にルーアンと切り離せないのは、ジャンヌダルクが英国に売られルーアンの石の塔に閉じ込められ宗教裁判を受け魔女と判定されこの街の広場で火刑に遭ったことだろう。

文化的には、ルーアンのカテドラルの正面を陽が移り行くに従い色調が変わる様を何枚ものキャンバスに描いたモネの連作が有名。

文学の世界では、19世紀自然主義文学の巨頭、「ボヴァリー夫人」を書いたフローベルが医者を務めながら住んだ街。ほかに日本の僕らより前の世代で有名だった評論家のアランが高校の先生をしていた街。さらに17世紀の古典時代にはラシーヌ、モリエールとともに3大劇作家の一人として今日も演じられるコルネイユを生んだ街。

今回の事件と関係が深いのは、近隣の工業地帯の存在で、サンテチエンヌ・デユ・ルヴレイも労働者の街であり、伝統的に共産党が強い市。人口は2万8千人。

テロに見舞われた教会が警察の鑑識で入れない為、住民は市庁舎にジャック・アメル神父への追悼の言葉を書きこみに列を作った。事件直後、市長は涙をこらえながら途切れ途切れの言葉で集まった住民に、意志を強く持てと呼びかけた。

イスラム国は犯行直後に声明を出した。教会に6人の人質をとって立て籠もったテロリスト2人は、人質の一人のシスターが隙を視て脱出し警察に駆けこんで通報し、速やかに駆け付けたBRIが説得を試みるも聴かず、教会の裏口から外へ出た所を射殺された。

射殺されたテロリストのうち一人はただちに身元が判明した。足首に電子発信器を着けていたからである。

アデル・ケルミッシュという名の19歳の青年。1997年3月、ルーアン郊外のモン・サン・テニャン市で生まれた。前科は無いが、二度シリアに入ろうとして収監され当局の監視を受けていた。

2015年の最初はドイツ経由で、この時はまだ未成年で兄の身分証明書を使った。二度目はスイス経由で、成人になったばかりだったが、トルコ国境で逮捕され、スイスに送還後フランスに連れ戻された。

フランスでは、テロの企てをする犯罪者と関係を持とうとした廉で尋問を受け、仮拘留された。

その後、判事の判断で電子発信器を着用し自宅で午後以降外出禁止、監視される状だった。週に一度警察に出頭するが、朝8時半から12時半までは外出を許されていた。その時間内に自宅の近くの教会で犯行に及んだのだった。

火曜の朝のミサの時間、共犯者とともに教会の裏口から凶器の刃物を持って侵入。6人を人質に取り、ミサを執り行っていたジャック・アメル神父をひざまづかせ、喉を掻き切って殺害した。もう一人の人質は重傷を負った。

「教会をやるんだ」とアデル・ケルミッシュは2か月前に友人に漏らしていた。
「イスラムについて語り、こういったことを教会でやるんだと言った。僕は信じなかったけどね……。自分で脳みそを狂わせたんだ。やつがやったことはイスラムとなんの関係も無い。あいつ自身の問題で、馬鹿やったんだ」と友人は語った。

教会が標的にされる、とは前から言われていた。しかしフランスには4万5千の教会がある。そのすべてを警備することは不可能だ。政府は警備を強化すると発表した。

教会は、このような凶悪事件が重ねて起きる危険があると知ったあとも、
「教会は門を閉ざさない」と発表した。「祈りを捧げに来る人に対し、門はいつも開かれています」。

折から、ポーランドのクラコヴィルでヨーロッパ中のカトリックの若者が集まりローマ教皇を中心に祭典が催されている。祭典に参加している若者に神父殺害のニュースが伝わると一様に激しいショックを表明し、「怖いけれど、神を信じるからより強くなって今までどおりの生活を続けます」とインタヴューに答えた。

ある聖職者はこう言った。「どの神を信じるかです。生の神か? 死の神か?」

「戦争だけれども、宗教戦争へのワナに陥ってはいけない」
と識者は語りかけている。