洪水の跡と決勝戦 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

8日金曜は34℃の夏日。電話しても出ない美容院の様子を観に行ったのだが

あまりの暑さに、セーヌ河畔に足を浸しに寄った。


セーヌ1

子供たちが水際で遊んでいる。


セーヌ2


一月前の洪水は土手のポプラ並木の足元まで濁流が洗った跡を残していた。


洪水の跡


毎月のようにカミサンが行っていた美容院は洪水のため設備がやられ営業を停止すると張り紙がしてあった。

10日は日本の参議院選挙。フランスは午後トウール・ド・フランス。ピレネーの山岳戦だ。ところに寄り40℃を越す酷暑。初日と2日目に2回転倒したスペインのアルベルト・コンタドールがこの日は発熱し、今回のトール・ド・フランスから棄権するという悲しいニュース。


そして夜は、サッカーのEURO、ヨーロッパ選手権の決勝戦だ。


「熊を獲らぬ前から毛皮を売るな」という諺がカナダにはあるらしい。

「獲らぬ狸の皮算用」とおんなじ意味だね。


準決勝でドイツに勝ったフランスは、もう優勝が決まったようなはしゃぎぶりで
試合前に連日、テレビはユーロ杯優勝でもちきりだった。

試合もしないうちからこんな騒ぎっぷりでいいのか? と他人ながら気遣ったくらいだ。

フランス人ののぼせ癖、なにかにつけ有頂天になり、フランスが一番と思いこむうぬぼれ。

他の番組を見ていてチャンネルを回したときはすでに試合は始まっていた。ポルトガルとフランス両国の国歌斉唱など厳粛なセレモニーを見逃したせいもあるが、どこか決勝戦の高揚感が抜け落ちた試合開始振りのように感じた。あるいは逆に緊張が高まり過ぎてのぎごちなさだったかもしれない。

開始から10分、フランスのデイミトリ・パイエットがポルトガルの国民的英雄、キャプテンのロナルドに体当たりを食わせた。

苦痛に顔をゆがめただけでなく、手で覆った顔からは涙が流れた。

前から傷んでいた左膝の腱のねじれが衝突でぶり返し、傷みをこらえられないだけでなく、ここ一番の試合で全力を出し切れなくなった悔しさに泣いたのだろう。

いったんはプレーを再開するようにみえたが開始後20分、ついに芝生に倒れ泣き崩れた。担架で運ばれ退場するロナルドを会場は静まり返って見送った。

敏感な応援者はこの沈黙に不幸の予兆を感じたかもしれない。

ポルトガル応援団はエースの退場で勝利の女神から見放されたと感じただろう。しかし、フランスにしても、エースの不幸な退場を、これで勝利が確実になったとは感じなかっただろう。相手の不幸により勝利を勝ち得たとしても後味が悪いだけだ。ドイツ戦の最中にもたびたびロングパスを決めておびやかしたボエタンが足首を痛めて退場した。しかしフランス選手の反則によるものではなかった。

体当たりしてエースの古傷を甦らせてしまったフランスのパイエットはロナルドに謝りに寄ったが力み過ぎて過剰な防御をしてしまい、敵とはいえ期待が一身に懸るエースを競技不能に陥れてしまったことに悔恨を抱えながらプレーをしなければならなかったろう。

もともとデイミトリ・パイエットは攻撃専用の選手だ。それがボールを奪おうとして相手に身体ごとぶつかり倒してしまうという防御としては無様なプレーをしたということは、ドイツ戦からフランスチームがとった戦術、つまり攻撃も防御も全員で行うという戦術に無理があった、と言える。

敗戦後の批評でも、ドイツとポルトガルではチームの性格が違うのだから、勝ったからといって対ドイツと同じ戦術を変えなかったデシャン監督の誤りが指摘された。

ポルトガルは専守防衛型のチームだ。フランスはもっと果敢に攻撃を展開すべきだった。チームワーク重視とうたい文句でいいながら、グリスマン、パイエット、ルヌーの3人の攻撃選手による連携プレーがひとつも見られず、グリスマンの個人プレーに終わり、パイエットはロナルドを退場に追い込んだ悔恨を負ってかプレーが冴えず早々に交替させられた。

パイエットは予選の対ルーマニア戦で苦戦を強いられていた時に、15メートルからのゴールを決めてフランスを救った英雄ともてはやされた選手。レユニオン島出身。攻めが専門で防御はあくまで付随的なものだ。それが期待が強すぎて慣れないタックルに過度な力みを与えてしまった。

決勝ではかならずゴールを決めてくれるだろうと期待がかけられていたグリスマンは開始直後のロングパスを見事ヘッデイングしたのだが、ポルトガルのキーパーは背が高くクロスバーすれすれの球を弾かれてしまった。

つき、というか運というか、サッカーにはほんの2・3センチの違いでゴールに収まらないことが度々ある。延長戦で交替で出たフランスのジニャックはボールを巧くさばいて左コーナーに蹴ったがポールに当たった。弾かれたボールを
グリスマンが追ったが遠すぎた。

ポルトガルはリーダーのロナルドの負傷という不幸に見舞われたが、この事故はかえってポルトガル陣の士気を高めた。

ロナルドのために必ず優勝杯を獲ってみせるとペペは誓ったという。

フランスはつきという幸運の女神に見放された。

試合は均衡状態のまま延長戦にもつれこんだ。

延長前半もどちらも得点ならず、後半へ。フランスの選手に疲れが目立った。ポルトガルは3人を入れ替えた。

体力気力ともにポルトガルが新鮮な力を示した。そして、あまり目立たず、デフェンスのマークを抜け出たエデールが20mから右足の強烈なロングシュートを放った。唖然として見守る中、ボールは左コーナーに突き刺さった。あっと言う間の電撃のようなシュートだった。残り時間は10分でフランスは力尽きた。

翌11日月曜、チーム全員はオランド大統領に招かれエリゼ宮の庭で昼食会に連なった。どん底にあったフランス人の心をここまで勇気づけてくれたみんなに感謝する。決勝に負けたとはいえ恥じることはない。大統領はサッカーが
国民を連合(federer)させてくれたとスピーチで言った。

テロの脅威の最中、数千人の警官、軍隊を動員しての警備体制は、千数百人の要注意人物を国外退去させた。

パリ近郊のマントラジョリ付近で警察官夫妻が刃物で殺害されるテロがあった。

決勝戦当日はエッフェル塔下のシャン・ド・マルス広場に設営された巨大スクリーンによる観戦会場も9千人の入場制限を超え、詰めかけた観衆が入場できずに暴徒化する事件が起きたが、大勢、警備は無事危機を乗り越えサッカーヨーロッパ選手権という一大イヴェントを成功裏に終わらせることが出来た。

木曜14日は、フランスの革命記念日。カトルズ・ジュイエの軍事パレードは数千人の警備の元、恒例のシャンゼリゼとコンコルド広場で繰り広げられる。