7月14日 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

今日、7月14日はフランスの革命記念日。


パレード



1789年7月14日のパリ市民によるバスチーユ襲撃を記念する日とばかり思ってる人が多いと思うが、翌年1790年の7月14日にシャンドマルス(現在のエッフェル塔と陸軍学校の間の広場)で国王ルイ16世参列の許、革命派と王党派の和解(reconciliation)を目指して催された国民集会を記念しての祭日ということだ。

この日は、ちょっとした誤解からアメリカの独立戦争を援助しフランスへ帰国し国民軍司令官となったラファイエット将軍指揮する軍隊が民衆に発砲し多数の死者を出した日でもある。

今年のシャンゼリゼとコンコルド広場の軍事パレードは、オーストラリアとニュージーランドの特別参加があり、顔に刺青をほどこしたマオリの戦士たちが裸足で行進した。


マオリ1


マオリ2

テロによる多数の犠牲者を出したフランスは今回、陸海空の特殊部隊、情報部隊、消防、警察など市民に危険が及ぶ際の救急体制を示すパレードを行った。

毎年観ていて飽きないのは、華やかな近衛騎兵隊と……



近衛騎兵1



近衛2

外人部隊のパレード↓


外人1


外人2

明治の日本に騎馬兵を導入した秋山好古(よしふる)が明治20年から4年間留学したサンシール士官学校は現在も健在でパレードした。


サンシール

サンシールもグランゼコル(特にポリテクニック)もナポレオン・ボナパルトが作った。軍消防隊もナポレオンの創設という。


ポリテク

司馬遼太郎は、世界で国民皆兵を創始したのはナポレオンだと書いているが、フランス革命を潰そうと周辺国の君主が一斉に軍隊を派遣したのに対し、国民を戦場に総動員して革命の危機を救ったのはダントンだったという。

しかし、プロシヤ軍がパリに接近しながら攻め込まなかった裏には、フランス王室のダイヤモンドなど宝石類が盗まれ身代金として支払われた為という。


トウール・ド・フランスは、今日は南仏のモンペリエを出発、レース最高峰で最難関のヴァントウール登坂レースが予定されていたが強風のため、頂上から6km下をゴールとした。ところが、観戦者が大勢押し寄せ、ゴール前をパネルで囲まなかったため、並走のバイク(単車)が阻まれて停止。

バイクにイエロージャージ(個人総合トップレーサーが着る黄色のジャージ)のクリストファー・フルムはじめ二人のレーサーが衝突。フルムのバイクが壊れてしまった。フロムは自転車を捨て、驚いたことに群衆の間を縫ってゴールへ
向け走り出した。走りながら代わりのバイクを要求し代車が与えられたがフルムは長身で脚が長すぎて合わない。もう一台と取り換えてようやくゴール。トップと1分40秒
の差がついてしまった。

レース中、観戦者の規制線はみだしによる事故により自転車が壊れてしまい、
待てなくなったチャンピオンがマラソンランナーよろしく走り出すという前代未聞の事態をどう扱うか?

レース規律委員会が長時間協議の結果、フルムはイエロージャージ、総合一位を保持することとなった。

細身のフルムが群衆をかき分け山道を走る姿はトライアスロンのようだ。マネージャーは来年はパリマラソンに出場するか、と冗談に言った。