私は、日本の国土に外国の軍隊が侵攻してきたときはもちろん、外国からミサイルが飛んできて日本のどこかに最悪、核攻撃を加えるといった極端な場合にも備えて十分日本の国民を防御できるような体制を整えて欲しいと願っているものです。外からのミサイル攻撃はたった一発でも100%感知して100%撃ち落とす、そういった防御用の地対空ミサイルを開発してほしい。アメリカのミサイル迎撃巡洋艦に頼るのではなく日本で独自に開発してほしい。
そう願いつつも、一方で憲法第九条が引っかかる。
とりわけ、すべての戦争は自衛のためであるという言葉が引っかかる。
「攻撃は最大の防御なり」という孫子の言葉もある。
日本海にたびたびミサイルを撃ち込んで脅威を与えている某国のミサイル基地に特殊部隊を送り込んで事前にミサイルを破壊してしまえという議論を今でさえ公然と唱える人が出てきている。
側近の将軍さえ粛清のための残虐な処刑を怖れるほどの某国の若い独裁者の悪ガキ振りを観ていると、上の様な感情的な発言を理解できない事もない。
現在国会で審議中の安保関連法案については、自衛隊の海外派兵、国連のPKOに参加していても、海外での治安維持活動は日本の憲法上できないから、と中途半端な参加の仕方しかできない現状では、自衛官たちも身の置き場に困るだろう。帰国してから自殺した自衛官が50人近くも居ると知って、やはりこれは憲法の理念と戦場での現実の間に挟まれて苦悩する自衛官たちが可哀想だと思うのであります。法治国家であることを捨て、事実を先に積み上げてしまい、言葉(憲法)など見て見ぬふりをする現実主義に徹する国になるのか? その分かれ目に立ってますね。
今まで、現行憲法でも自衛のための軍備は許される、と拡大解釈を許してきた。しかし、今の内閣が提案し来週にも採決しようとしている安保関連法案に対し、「明らかに憲法違反である」と反対が高まり、危惧が広がっているのは、上に挙げた「自衛のための戦争が、いつのまにか侵略戦争まで拡大されてしまうのではないか? 」との危惧があるからです。
すこし思い切った議論をしてみましょうか。
東京裁判で東条英機は「日本が中国大陸と東南アジア、太平洋で行った戦争はすべて自衛のためだった」と弁明しました。
抽象化した論理だけで議論をすると現実が抜け落ちて空論になりますが、敢てそれを承知で展開します。
仮に、東条英機の弁明が正しくて、日本を断罪し戦争責任者を十数名絞首刑を含めて有罪とした連合国側が間違っていたとしましょう。
すると、外国の土地へ軍隊を送り込んで、時に都市などに軍人と市民との分け隔ても無く無差別爆撃を加えたこと、までも自衛のためだった、という論理が正しいとなってしまう。
そして、今の憲法の下でも自衛のための戦争は許されるのだから、外国へ攻め入って戦争しても自衛のためなんだからすべての戦争を放棄すると謳った憲法と矛盾しないというおかしなことになってしまう。いや、こんな状態に日本を貶めるほど日本人は馬鹿でないことを願ってますが、仮にこんな状態に、キチガイが刃物を振り回すように引き摺って行く指導者が現れたら、という仮定の話ですが、そんな奴にとっては、憲法違反もクソもなく、矛盾しようがおかまいなく憲法なんか無視してしまえ、という建て前より本音が大事だということなんでしょう。
私は、今の憲法は改正すべきだと思うし、平和の理念を維持しながら、外国から不当な攻撃を受けた場合は、断固として国民(国体ではなく)を守ると明記すべきだと思う。正当防衛と過剰防衛との違いは、刑事事件でもたびたび、取り上げられて、かなりな程度まで、峻別できるので、自衛のための軍備ということをしっかりした歯止めとともに明記すべきだと思う。
そして、あくまでも戦争は愚かな行為であって、人類の進歩の先には戦争を放棄し、核兵器や生物化学兵器など大量殺戮兵器を廃絶するに至るまで努力を続ける、と憲法に詠うべきだと思う。でないと、光明が失われるから。でないと、人間の社会は犯罪者を処罰する理由がなくなるから、です。