時代を読むことのむずかしさ | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

Kumagusu さん。またも弊ブログ記事に対してのコメントをありがとうございました。

コメ返しの代わりに記事にして感想をちょっと……。

第二次大戦中の日本軍の兵士が捕虜となるよりは死を選ぶといった恐るべき相手だったことはアメリカはじめ連合国に知れ渡っていました。それゆえ、米軍は本土決戦となった場合の死者を50万人と見込んだのでした。しかし、ひとたび天皇の御裁可により敗戦を受け入れると、ほとんどの抵抗も無く、アメリカを中心とする連合国による占領を日本国民は受け入れたのでした。

「この度の戦争は一貫して日本を防衛するための戦争だった」という趣旨のことは東条英機が東京裁判での弁明に述べています。しかし、アジアの同胞を欧米の植民地主義から解放するための戦争だった、などとはひとことも述べていません。

有色人種で、白人の欧米諸国を敵に回し戦ったのは日本だけだ、という言葉は、なにか浪漫的でヒロイズムの熱気を感じます。でも、どこか明治の熱血漢を思わせる時代遅れな大言壮語のようにも感じられます。明治の人間、たとえば南方熊楠のような人は、だから英国で孫文と出会うと、意気投合し、孫文が警察につかまり拘置されると救出に駆け付けるなどといった小説そこのけのことができたのでしょう。孫文が神戸で演説した時は、熊楠は貧乏で旅費がないため会いに行けなかったそうですが、とても残念ですね。この時の熊楠の反応を知りたいと思います。

孫文が「欧米の鷹犬となるか」と言っているのは、欧米の手先というより欧米に成り替わってアジアを支配しようとする日本の野望を批判したのだと思います。明治維新の若き志士たちは欧米の植民地主義と戦う気概を持っていました。
高杉晋作が上海で半植民地と化した中国の実態を見て、戦わなければ日本も同じ運命に陥ると周囲の穏健派を飛び越えて蹶起したことが明治維新を推し進めることになった。日露戦争までの日本は、ほんとうに欧米植民地主義と戦ったと思います。

「征韓論」で西郷隆盛は孫文の言う「王道」に則った政治を説きに韓国へ行こうとした。しかるに欧米列強と同じ「鉾と剣」をとって征服すべきと西郷を追い落とし、植民地化の道をとったのは大久保利通でした。

対華21か条も欧米の植民地主義を日本が採り入れ、中国に突きつけた。
孫文のいう「欧米の鷹犬」という言葉には、そう言った歴史的な背景、文脈があるわけです。

ひとつだけ、事実認識で言うと、ベトナムで日本軍は正面切ってフランスと戦火を交えていません。日本軍がベトナムへ進出した時期は、フランスがナチス・ドイツに占領され、ペタン元帥の対独協力政権(ヴィシー政府)のもとで、日本軍は血を流さずにベトナムに侵攻できたのです。

「日本は白人の帝国主義的植民地政策と戦った有色人種で初めての国」。ここまでは事実認識として肯定できます。まあ、それにしても世界中を相手に戦争するなど勝ち目があるわけじゃ決してないのに無謀な戦争をよくやったものだと思いますがね。そして結果的にインドやビルマ、シンガポール、インドネシアやフィリッピンが独立した。これも事実でしょう。結果的にね。

でも、「日本はアジア同胞を植民地から解放するために白人の植民地主義と戦った」と言ってしまうと誇大妄想になります。その証拠に独立した国々のすべて人々から、独立できたのは日本のおかげだった、ありがとう、と感謝の言葉を聞くことはなかったからです。反対に、オランダに統治されていた時代の方が良かった、日本は野蛮で過酷な絞りあげ方をする、と批判の声が上がったのでした。これをも、戦勝国側の宣伝工作だった、というのでしょうか?

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