ルーアン覚書 その② | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

奴は夏の暑い日を避けるのにパナマ帽を被り白いスーツなど着ていかにも洋行帰りといった洒脱な格好をして現れた。奴が日頃説く政治的主張は御上を冒涜する不埒なもので、私のように御上を尊崇おかざるものとし、御上の僕として働くことに誇りを感じている者にとって世に捨て置くことは出来ない。それで逮捕に踏み切ったが、不埒な思想とはいえ、コソ泥や刑事犯と違い、まがりなりにも政治的主張を持った思想犯なのだから別の扱いをすべきなのだ。はじめから出ていた「やっつけろ」という命令を、曹長などの下っ端は「殺せ」と受け取って、即座に実行してしまったのだ。彼等は、御上への忠誠を盾に、上からの命令を暴力を存分に振える良い機会にした。

裸にされた奴の腹と胸には靴で蹴り、踏み押した赤黒い陥没があった。最後は柔道の締めで息の根を止めたのだ。奴の愛人は女だてらに憲兵に生意気な口を利いたのだろう、これも顔に殴られたあざがあり、腹には蹴られた跡があった。やはり首を絞められて息絶えていた。

子供も一緒に3人の遺体を菰にくるんで庭の古井戸に投げ込んだ。新聞は奴が突然行方知れずとなったと報じた。この子が普通の日本人の子だったら、行方知れずのままうやむやに葬り去られていただろう。しかし偶然この少年がアメリカ人との混血だったために、やっかいな問題が降りかかった。日本の憲兵隊に日米の混血少年が殺されたことが国際問題に発展したため、形だけでも軍法会議に掛ける必要が生じたのだ。形だけの軍法会議が開かれ、そこで私がすべて一存でやりましたと自白し有罪判決を受けた。私の他に4人の憲兵。私は懲役10年の実刑を受け、M憲兵隊本部付曹長が懲役3年の実刑判決を受けた。

実際に手を下したM曹長と下っ端の憲兵3人を有罪にしただけでは上官の責任が問われてしまう。上官の責任を追及し出したら、上の上まで、つまり日本の陸軍そのものに責任が及ぶことになる。適当な地位にある者が彼独りの一存で行ったことにしなければならない。その役目を私が負わされたのだ。責任を負わせて私の一存でやりました、という形に収めねばならない。

実際は、私などには雲上の人といえるほどの高みから下った命令であったが、幾つかの部署を兼任している私が好都合とされ、逮捕したのも私だったため、私一人の判断で殺害したと証言することとなった。私自身も私一人がいっさいの責任を負うことで陸軍が責任を免れるなら御上に忠誠を尽くすことになるので、罪を被る決心をした。軍法会議での私の証言は、そのまま新聞に発表され世間は報道を鵜呑みにして疑おうともしなかった。

理屈でそう判っていても、どうしてこうも気が重く、沈んでしまうのだろう? 馬鹿者どもの身代わりになったという気負い、部下を庇った誇りは虚栄にすぎず、実際は上の者にいいように利用されただけではないか? そういう自虐の念が気を重くし沈鬱にさせる。私個人だけでなく私の家系、Aという家の名を永遠に辱め、汚名を末代までも残してしまったという悔恨が我が心を苛むのだ。


ルーアン


遅い朝食をとった後、広場を横切り、また時計塔の下を潜ってカテドラルを見に行った。パリではチュイルリー美術館にモネの絵が展示してあり、絵が好きな私は存分に楽しむことが出来た。日本では外光派または紫派とか呼んで、影を黒を使って描くなとか指導してるらしいが、フランスの光の中で影を観察してみれば、ちゃんと紫色に見えるのだ。それは独創でも発明でもなく現実を観察する眼をより繊細にして忠実に写しただけのことなのだ。日本の光では物の陰はやはり黒が主体だから黒を使って一向におかしくはない。クロを使うなと最初に日本の洋画の師匠になったクロダとかいう絵描きは西洋への忠誠心を持ち帰った西洋かぶれ以外のなにものでもない。

 (つづく)

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