愛と虚無 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

チビクロが死んだ。熱中症から肺炎を起こしたらしい。

三日間姿を見せないので、車に轢かれたか、公園の向う側に出来た工場の狩猟好きの労働者に殺されたのか? とカミサンと話していた。

土曜の夕方7時過ぎになって、庭の芝生の隅に蹲っているチビクロをカミサンが見つけ、獣医さんの診断時間は過ぎていたが救急用の番号にカミサンが電話し、50kmほど離れた村の獣医さんのところへ連れて行った。


ちびくろ1

若い女性の獣医さんは妊娠中で顔色もまっ白で、なんとなく頼りなげだった。
打ち傷や骨折など外傷がないか、四肢を動かしたり、腹に異物が無いか押してみたりの後、体温を計り熱が高いと確認した。

診立ては水分補給が足らず熱中症ということだった。太い注射器の針を抜いて水を口をこじあけて飲ませ、抗生物質とコリザ(風邪に似た感染症)に利く薬を2錠飲ませた。

注射器をくれて夜中も何度か水を上げなさい。明日の夕方、2錠を一度に呑ませること。もし症状が悪化するようだったら、明日の朝電話してください。ペルフュージョンperfusion (点滴注入)をしますから、と処方箋を書きながら獣医さんは言った。

家に着いてすぐ、チビクロは嘔吐した。緑がかった濃い灰色の吐瀉物に白い泡が混じっていた。早めに寝ることにしてチビクロを二階に上げ、一緒に床に就いた。シャトーでは夏のフェステイバルの野外劇が上演されていて、最終場面の花火が打ち上げられる頃には、うとうと眠りに就いていた。劇を観終わった客たちの帰りの車の音がなにやら高速道路の脇に寝ているかのように激しく聞こえ、暑くて寝苦しくもあったので、部屋の両側の窓を開けて寝た。しばらくするとベッドの上に居たチビクロが床に降り、嘔吐する音が聞こえた。明かりをつけてみるとチビクロは夕方と同じ緑がかった濃い灰色の吐瀉物を前に蹲っていた。

その後なんども寝返りを打ったり、寝る場所を変えるのにドアを引っ掻いたり、廊下の板敷の上に寝たりしていたが、明け方までは、鳴き声も立てず大人しくしていた。朝食をとりながらカミサンと、やはり具合いが悪いようだから獣医さんに電話して点滴注入をしてもらったほうがいいんじゃないかと話し合い、日曜なのに獣医さんに頼んでもう一度50km離れた村へ連れて行った。

行きの車の中でチビクロは篭を引っ掻いたり腹を上にして苦しみ始めたのだった。この時、すでにカミサンは、掛かり付けの獣医さんでなくて残念だ、彼女の方が経験を積んでるし、救急だから仕方がないけど、今の獣医さんは若くて、それに妊娠中で診断もどことなく浅いように感じると言っていた。

チビクロは家を出る時には四肢が冷たく、力が抜けて階段から転げ落ちたほどだった。前足の毛を剃り、カテーテルを差し込んで点滴注入の準備をしてから、獣医さんはチビクロを檻に入れ、すぐ点滴を始めますので家で連絡をお待ちください。夕方迎えに来てもらいます、と言った。村には朝市が立っていて、帰りがけにイチゴとあんずとメロンを買った。

先週始めた、貯水槽の屋根の骨組みの木工細工を続けながら、夕方五時過ぎても獣医さんから連絡がないので「もしや」と疑念が胸を過った。電話が鳴り、すぐに出ると、「猫は亡くなりました。点滴をしたけどダメだった」と言うのだった。「死んだ!」と繰り返した声を聞いてカミサンが泣きだした。電話が終わってからも5分ほどカミサンは庭に出て声を立てて泣いていた。

「昨日、すぐに点滴をしてれば、こんなことにならなかったのに。マダムR(掛かりつけの獣医さん)ならそうしてたろうに残念だわ。経験って大切よ。」

「土曜の7時過ぎに見つけたんだから、仕方ないだろ。急患獣医さんしか診てもらえないんだから」

「金曜に隣の庭の草の陰にチビクロらしい黒猫が蹲って呼んでも動かないから、隣の塀のブロックを動かして見に行ってくれと頼んだのに、あんたはテレビに夢中で、真に受けてくれなかった」

「呼んでもこないんだったらチビクロじゃないだろ。隣が頼んだ庭師の年寄りが摘んだブロックを取り除いて隣の庭に侵入するするってのが倫理上、てか民法上ひっかかってやりたくなかったんだ」

「庭師っても、掃除するだけだし、家主のムッシューDは去年から不在だし、あの年寄りは自分の犬がウチに入り込まないようブロックを積んだんだから、無視していいわよ。病気の飼い猫を捕まえに隣に入るんだからムッシューDだってぜんぜん問題にしないわよ。あんたは、わたしが頼んでるのに横目で見るだけで上の空だった」

「ちょうど、ウクライナで撃墜されたとされる旅客機と、マリで墜落したアルジェリア航空と台湾の事故のことをやってたんだ。ネコより人間の命のほうがだいじだろ」

「動物だっておんなじ命よ」

こんな応酬をしたあと、互いに攻め合うのは止めよう。チビクロは1週間前位から夜も家に帰らず外で寝た。木曜は雨が降って、草の下で濡れながら寝たのが悪かったんだろう。コリザというヴィールスは恐ろしいね。呼吸器をやられると命を失うらしい、と冷静に返って話した。

カテーテルを入れる前に、診療台の上で、抑え込まれたチビクロが挙げた叫び声が甦った。あれは、通常の鳴き方ではなかった。どこか断末魔の恐ろしい叫び声だった。家で待っている時も、あんな叫び方をしたチビクロはもしかしてダメかもしれないと感じた。その予感が当たった。

「隣の庭で独り苦しんでるチビクロを、頼んだのに連れに行ってくれなかった」とカミサンが責めたことを反芻してみた。

なるほど暑い日の木工工事で疲れて動く元気がなかった。夜寝る前に呼んでも来ないとすぐに戸を閉めて寝に上がってしまった。


ちびくろ2

チビクロはいちばん僕に懐いていた。いちどは日本に連れて帰ってもいいとさえ思ったほどだ。でも、猫エイズ持ちでは検疫で撥ねられるだろうし、引越で大変な時にやっかいなのは確かだな。いつかは別れねばならないのだし、深入りすると辛いから、惻隠の情の範囲で世話しとくのがいいと思っていた。雌ネコのミクロ黒の跡を追いまわし、兄弟のプチトラに噛みついて深い傷を負わせたのも多分チビクロだ。ミクロ黒は半野性なので捕まえられず、カミサンが避妊ピルを呑ませるのに失敗して、妊娠し3週間ほど前ついに6匹の子猫を生んだ。ミクロ黒とチビクロは仲が良くて、出産後も仔猫が寝静まると、部屋を這い出し庭へ出て、チビクロが来ると喉を鳴らしてすり寄り、チビクロも両手でミクロ黒の頭を捕まえ耳を舐めたりの睦まじい光景を見せていた。

でも、仔猫が6匹も固まって部屋の隅に居るのを見たチビクロの表情は、驚きというか、理解できない当惑の表情で僕を見た。


仔猫


夜も家に帰らなくなったのはそれからだった。カミサンによれば、猫はエクスクルーシヴなんだそうな。愛情を独り占めしないと我慢できないらしい。

暖かいせいもあった。秋冬の間は、書斎に入って鳴き声を上げ、パソコンに向かっている僕の腿に爪を立てたりして相手になってくれとせがみ、寝る前に必ず、オイチニと両前足を交互に毛布に押し当て、僕が脇を離れパソコンに向かうと、ソファーを飛び下りて来るので、寝つくまでは身体に触れていてやらないとだめだったのだが、夏に入り、仔猫が生まれてからは、僕の処へ寄って来るのも珍しくなった。

猫は好きなように暮らしてるんだし、夜帰りたくなければ、好きにするがいい。そもそも、君たちがここへ来たのも偶然。通りがかりに寄って見たら住み心地が好さそうなのでそのまま居着いちゃったってだけだろ。僕がフランスに居着いたのと似たようなもんだ。遠く離れていた命がたまたまある時間だけ出遭った。一期一会、人と人、人と動物の出会いと別れなんて、そんなもんじゃないのか。

わんわん声を挙げて泣いているカミサンにデイナが死んだときは「たかがネコごときに、声を挙げて泣くやつがあるか」と叱ったものだったが、こんどはそうはできなかった。それなりに僕も悲しかった。夜中に嘔吐したあと、黒く瞳孔が開いた眼で一瞬僕を見た眼が浮かんだ。なにかを訴えようとする眼でもなかった。諦めと別れの悲しみがほのかな光の中に湛えられていた。

どうして、もっと愛してやらなかったのか? 日本人の僕には西洋人のねちっこい愛し方ができない。生きとし生けるもの、いつかは必ず死ぬんだよ。愛に関して淡泊に、ということは生きることに関しても、物心ついてからずっと淡泊に、冷淡に、突き放して、言い換えれば虚無的な見方で対処してきたと思う。虚無的でありながら生きる方に対してやれることをする。今、貯水槽に屋根を作ってるのも、生まれて来た6匹の子猫が落ちたりしないよう、未来の生に対してのことだ。

「西洋にはグラチチュードいうもんがあるやろ」数十年ぶりにカナダで再会した高校の親友が言った。「アフリカの子供を抱いて、こうして、こうして愛撫してやってるとこみると、ああ、日本人と西洋人と愛の形が違うな、思いよんねん」右手で子供の頭を愛撫する仕草をしながら親友は言った。

床のなかでそういうことを思い出した後、胸の底から「愛」とよばれる感情がこみ上げて来た。青春の頃、この情愛の感情の捌け口が見つからなくて世界を放浪したくて日本を出たのだった。あの頃は「愛」の感情を多分に持っていた。が、その一方で、唯物的なものの考えに捉われてもいた。愛なんてリビドーっていう性衝動、性欲が引き起こす感情さ。ねちねち、ぐじゅぐじゅ、粘っこい西洋人の性愛の形を、おれたち日本人は真似できないし、真似する必要もない。ラブシーンを見ると、また始まった。チュウチュウ、蛸かいな、好いかげんにしたらどうや、という声がつい胸のうちに沸いてしまう。

無常感というのを実感したことはない。
が、「あはれ」「もののあはれ」を中学生の頃から感じ始めたと思う。
生き物が好きで、釣って来た魚を貯水槽で飼い、十姉妹、文鳥、鳩を飼った。半分ノラの三毛猫に懐かれ膝にのせて蚤をとった。生き物が死ぬということを知り、幼少期に田舎で二人だけで暮らし育ててくれた祖母が死んだとき、生きることの「はかなさ」と「むなしさ」を感じた。「あはれ」の情感は「あはれ はなびら ながれ おみなごに はなびら ながれ」などの歌に感じる。

無常観は、芭蕉の「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり」の言葉に代表されるように、観念として理解できるが、実感として日常的には感じられない。毛沢東が死んだ。ソ連が崩壊した。ベルリンの壁が壊された。……など世界の重大事件があると、「世の中変わっていくなあ~」と実感するけども、日常的に始終感じるものではない。

今日の午後、チビクロの遺体を引き取りに行って、その時火葬にしてくださいと頼むか、連れて帰って庭の隅に土葬にするか、決めねばならない。猫の死を「あわれ」と感じて、煙と灰にして自然へ還してやるか、土葬にして暫く傍に存在を感じられるようにしておくか? 猫の死を機に、また肉体と魂の問題を考えねばならぬ。


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