アナーキズムが宗教と深い関係にあることを吉高志堂さんも感じておられ、めのおが初期キリスト教や、レミゼラブルで、銀の燭台と食器を盗み出し警察に捕まったジャンバルジャンを司祭が庇ったり、アンリ・ド・リュベックという枢機卿が「プルードンとクリスチャニスム」という本を書いていることなど挙げたことから、吉高さんの思うところと通じるというコメントを頂きました。
吉高志堂さんの作品「アルプスの谷」は、最近のオペラついてのご投稿でむべなるかなと納得したのですが、演劇にも映画にもオペラにも容易に脚色できる、考え抜かれた構成により書かれた完成度が高い小説なので、是非ご一読をお薦めします。
「アルプスの谷」で取り上げられているのはキリスト教の異端弾圧の事件で、めのおも「カタリ派」の弾圧、いわゆる「アルビ十字軍」に興味を持ち、モンセギュルーにまで登ったくらいなので、吉高さんの御作にも興味を持って拝読したのでした。
吉高さんはコメントにカタリなどの異端とアナーキズムとの関連を指摘されています。時の権力に楯突く、異議を申し立てる意味で、確かにアナーキズムと関連はあると思うので、初期キリスト教をめのおが挙げたのですが、今のところキリスト教も誕生当時は反権力だったという程度の枠をはみでていません。
めのおが、「カタリ派」に興味を持ったそもそものいきさつは、1956年にドウニ・ド・ルージュモンというフランスの詩人の「愛について」という題(副題は「エロスとアガペー」、鈴木健郎、川村克己の訳で岩波書店から出版)の本を、めのおは題に魅せられて学生時代に買ったのですが、その中の「宮廷風恋愛――トルバドールとカタリ派」という一節を読んだからでした。このことは拙作「アンナがいたパリ」にも書いたので、騎士道と愛についての深層心理を探りたい方は是非ご一読を願います。
カタリ派がたてこもったモンセギュールの岩山と頂上の砦↑
カタリ派は12~13世紀にかけて、北イタリアや南仏、特にトウルーズ、アルビ、カルカッソンなどで急速に広まった宗派で、主に既成のカトリックの腐敗に疑義を抱いた人々が簡素で純真な教えに感化されて入信したのですが、ローマ教皇はこれを異端として棄教か火炙りかの徹底した弾圧を加え、最後、信徒はピレネー山中のFoix 周辺の山に砦を造って立て籠もり、北フランスからの軍隊に攻め落とされますが、一人として棄教せず全員火の中に飛び込み殉教します。
この事件は伝説を生み、カタリ派は砦の中に「キリストの宝物、特に聖杯」を隠していて、陥落の前夜数人の男が崖を縄で伝って降り、どこかに隠した、という話が伝えられます。ルージュモンは上に挙げた本で、カタリ派の信徒たちの中には砦の陥落の後も生き延びた人たちがいて、吟遊詩人トルバドールとなり、カタリの秘密を暗号(コード)化したものを詩句に織り込んで歌い、かつての同志たちを訪ね秘められた信仰を確かめながら北へと進んだ、と書いています。
そしてなお興味深いのは、吟遊詩人が伝えた伝説は、一部「アーサー王伝説」に取り込まれ、ヨーロッパ中に広まったという。事実、アーサー王伝説の中の「ランスロット」を創造したのは吟遊詩人のクレチャン・ド・トロワだったし、「聖杯」を見つけて瀕死のアーサー王の許に持ち帰り王を救う「パーシバル」(ペルシファル)を創作したのもシャンパーニュに宮殿を置いたアリエノール・ダキテンヌの娘マリー・ド・シャンパーニュの命を受けたクレチャン・ド・トロワでした。
「カタリ派」が興味深いのは信徒たちが菜食主義者だったことと輪廻転生を信じたこと。まぎれもなくキリスト教でありながら東洋的な、なかでも「マニ教」の影響が認められるという点です。また、カタリ派と「グノーシス」との類似性を指摘する学者もいます。
彼等が異端と見做され弾圧されたのは天地創造に際し、善なる神すなわち光に対して悪の根源である闇すなわち悪魔を善なる神の対立者の存在を認める、つまり二元論を採ったためで、あくまで宇宙の創造者にして全能なる神の存在のみを認めこの世に悪が存在するも、それは堕落した天使リュシフェール(堕天使)の仕業である(天使は神の使い)として一元論を説くローマカトリックに異を唱えたためでした。
グノーシスという言葉は古代ギリシャ語の「認識」や「知識」を意味するΓNΩΣIΣという普通名詞。「キリスト教グノーシスの『知る』『認識』の対象は、イエス・キリストが宣教した神(=至高神)とユダヤ教(旧約聖書)の神(=創造神)は違うということ。創造神の所産であるこの世界は唾棄すべき低質なものである。人間もまた創造神の作品であるが、その中に、ごく一部だけ、至高神に由来する要素(=「本来的自己」)が含まれている。救済とは、その本来的自己がこの世界から解き放たれて至高神のもとに戻ることなのだ、といった事柄である」(筒井賢治著「グノーシス(古代キリスト教の異端思想)講談社選書メチエによりました)
この「本来的自己」というものは、心理学者ユングの言うNo2パーソナリテイーと通じるのではないか? とめのおは思うのです。人間は社会へ出て、さまざまな制約から生まれ持った様々な特性、可能性を押し殺し、抑圧して意識下に隠し、限られたパーソナリテイだけを社会に適応するため特化して成長しますが、実は深層部には幼少年期にやりたいと思って出来なかったり、置かれた環境の伝統や慣習や経済的条件のために抑圧しなければならなかった、成人して社会から認められたパーソナリテイー(No1)とは別の、No2パーソナリテイーを持っている。仕事から解放された老年期に、No2パーソナリテイーを見出し解放することにより、人間は本来的自己を見出し、救済に至ることが出来る。ユングの考えを自己流に簡素化して言えば、こういうことになります。
ユングは西洋中世の錬金術の研究を放棄した後、「グノーシス」の研究に入っていきました。ユングはグノーシスの優れた研究家としてハンス・ヨナスをあげています。ハンス・ヨナスはハンナ・アーレントと同時期にハイデガーの教えを受けましたが、ナチスに母親を殺されたことを悲しみ、師のハイデガーさえナチスを防ぐことができなかったと哲学の限界に絶望し、ドイツを去って、イスラエルに移住しました。
「アウシュヴィッツ以後の神」(法政大学出版局)というヨナスの著は、日本人の僕には難しいですが、殺されゆく600万人ものユダヤ人たちの絶望の叫びを聞き届けずなにもしなかった新旧キリスト教とユダヤ教が讃える神は、絶滅収容所以後はもはや有効ではないのではないか? 「アウシュヴィッツ以後」を生きるわれわれは、その神の概念を見直さなければならないというヨナスの深い実存に発した動機には素直に同意できます。
浅学のめのおは「グノーシス」と呼ばれる思想は、ヘレニズムの中東世界にキリスト教が生まれたとほぼ同じ時期に起こった思想で、キリスト教にも影響を与えているといった程度の知識で、まだなにも知りません。
ここまでグノーシスについて書きましたが、アナーキズムと宗教の関係というと、めのおが理解するアナーキズムには、ボルシェヴィスムなどイデオロギーが持つ自己犠牲の要請に対し、アナーキズムは人間が持つ生物学的条件を擁護し、禁欲とか自己否定とかから食・性などの欲望、絵画音楽などの直感や感覚の喜びを擁護する面があるのではないか、と今のところその一点に気づいている程度です。
どんな人間も食べて飲み、眠り、性愛の営みを求めという生物学的条件から逃れることは出来ません。革命とか戦争とかの極限状況にあっても人は食べ飲み排泄し、眠り愛することをせずに生きてはゆけない。ところがイデオロギーも宗教もたいてい自己犠牲と禁欲を求める。革命のため、よりよい未来のため、同胞への愛のため、歴史的必然という客観的法則のため、自由という人間の条件のため……戦闘に参加し死に向かって敢然と闘え、たった一回だけの、たったひとつだけの己の命を犠牲にせよと命じる。命じた者は犠牲者をヒロイズムによって讃えます。
時代の権力に対抗する勢力としての見地からはアナーキズムには、歴史的には教会も、それから例えば日本の「駆け込み寺」といった寺院にも、時には権力に異議を唱える少数派を保護する役目を果たす面がありますね。ソ連崩壊の底流にも、ポーランドの連帯に教会が果たした役割は大きかった。
ああ、それから思い出しましたが、1917年のロシアでボルシェヴィキ革命が成功した際も、民衆はマルクス・レーニン主義なんか信じてなかった、あの革命の根底には「ロシア正教」への信仰があったと、ロシア通の佐藤優さんが指摘されてるのは興味あることです。
イデオロギーへの忠誠を求める厳格主義、リゴリズムには、生への抑圧を正当化し、官僚主義に陥る欠点があると思います。官僚主義とソ連の崩壊は無関係ではないでしょう。
信仰が禁欲を奨めイデオロギーが自己犠牲を求めるのは、ある程度肯定できますが、イスラム原理派のように他宗教の人々や無信仰の人々をテロで殺害するのを神への忠誠の証のように奨励するとなると、もはや宗教とか信仰とは無縁の、憎悪と殺戮を正当化するため洗脳に信仰を利用してるとしか思えません。
人間が生まれついて持った感覚、生の営み、眼や耳の感覚を喜ばせる絵画や音楽を許容し、食べること(グルメ)を許容し、性愛にも寛大で、環境にも配慮を欠かせない生き方、理性の働きの論理だけでなく直感や意識下の(例えば暴力など暗い欲望をも含めた)広い意味の認識を深めてゆく、必要があれば時には既成の知識や慣習や規則を否定したり破ったりもするが、自らの、そして他者の生物的条件を認め許容しながら「緩い前進」を目指すのが人間として好い生き方だと思います。「自己流アナーキズム」といった呼び方がいちばん近いかもしれませんが、おおよそ、それが現在のめのおが信条としてるところのものなんです。
(つづく)
