次もこのパルリーの教会を背後から見たものです。ふたつの祭室が壁から出っ張り、その上の八角形の鐘楼にも円形アーチが見られます。
メッセージボードに広告してます「アンナがいたパリ」には、この教会をモデルに使いました。主人公の日本人青年は、教会内部の壁に中世に描かれ傷んだままのフレスコ画を修復するために修業を積んでいます。ある日、消えかかったフレスコ画の中に「聖杯」の形を見つけ、喜んで、彼をこの仕事に導いてくれたアンナに手紙を書きます。
さて、12日(水)は3日続いた雨が止んだので、パルリー村の近くのサントーバン・シャトーヌフ St-Aubin-Chateauneuf という村へ行ってみました。トウッシー村からエヤン・シュル・トロン Aillant sur Tholon へ向かう県道955の脇にあります。先日、ギュイヤールの街を見に行った時に横を通り、写真を撮りたかったけれど、路幅が狭いうえに崖になってるので停められず、出直して、村に入り写真を撮りました。
下は、サントーバン村の遠景です。やっぱり教会が中心にあります。
村は大きな窪みの中の小高い丘の上に在り、古くて立派な石造りの民家がぱらぱらと庭の中に建っています。車がなければ暮らせない村ですが、その車は稀にしか通らず、静かな村で、ここなら猫も轢かれる心配なく落ち着いて暮らせるとカミサンが評価を下しました。
教会の背後にはこんな風景が広がってます。
こんな海のような畑はたぶん近世に入って森林を切り倒し、農地開拓をして出来たに違いない。こんな景色の中を、ジャンヌダルクが2・3人の従者に付き添われて歩いたら、いっぺんに見つかり捕えられてしまう。
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生活は激しく多彩であった。生活は、血の匂いとばらの香りをともにおびていた。地獄の恐怖とこどもっぽいたわむれのあいだ、残忍な無情さと涙もろい心のやさしさとのあいだを、まるで子供の頭をもった巨人のように、民衆はゆれうごいていた。この世のさまざまな楽しみの完全な放棄と、富、歓楽へのあくなき執着とのあいだ、陰険な憎しみと笑いを絶やさぬ気のよさとのあいだを、民衆はゆれうごいていた。極端から極端へとゆれうごいて生きていた。
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これはホイジンガの「中世の秋」第一章「はげしい生活の基調」の中の一節です。(中公文庫、堀越孝一訳 47ページ)
この書は著者自ら緒言で述べているとおり、「ファンアイクとその弟子たちの芸術をよりよく理解したい、時代の生活全体との関連においてとらえたいと望み、ブルゴーニュ社会をこの目にとらえたいと望んで」書きはじめられました。
「14・15世紀を、ルネサンスの告知とはみず、中世の終末とみようとする試みである。中世文化は、このとき、その生涯の最後の時を生き、あたかも咲き終わり、ひらききった木のごとく、たわわに実をみのらせた。」
それで、この書が「中世の秋」と名付けられたんですね。
14・15世紀といえばフランスでは、百年戦争の最中で、ロワール河以北を占領していたイングランドとブルゴーニュが結び、パリはブルゴーニュ派とアルマニャック派の苛烈な市民戦争の中心となり、アルマニャック派のシャルル王太子はブルジュに逃げます。イングランドはポワチエ、ついでアザンクールで未だに中世の騎士団の戦闘様式と忠誠心を残していたフランス軍を破り、最後の砦、オルレアンを包囲し、オルレアンを陥落させればイングランドは一挙にロワール河の南に攻め入りフランス全土を手中にするのは時間の問題というところまで追い詰めていました。オルレアンの公はアザンクールの戦いで捕虜となりイングランドへ連れ去られていました。この時出現したのがジャンヌダルクで、この奇跡的な少女の出現により、フランスはイングランドを大陸から追い出し、やがてフランソワ1世がイタリアからレオナルド・ダヴィンチを招き、シャンボール城を建設するなどルネサンス文化がフランスにも花咲く時代へと移ってゆきます。
サントーバン村の教会の窓と瓦についた苔 ↑ 窓もアーチも舟形になっている
その2世紀の間を主にブルゴーニュ、現在のフランスのブルゴーニュ地方より遥かに広い、フランドルから北海に達するネーデルランドを含むブルゴーニュ公国を舞台に、沈みゆく中世の夕陽と、次に巡りくるルネサンスの朝日とを描こうと試みたのがこの本らしいです。
僕らには「中世」と聞くと教会に支配された「暗黒時代」というイメージを想起します。でも人々は、何も信じることが出来なくなった現代人と比べると幸福だったかもしれない。パリのノートルダム寺院を築いた職人たちは、おのれ個人の名誉や名声など考えもせず、ただ黙々と神の栄光の為、神に捧げる大聖堂を築くために石を削り積み重ねていった。
むろんカトリックの神だけでなく、彼ら独自の信仰とか迷信とか世界の終末とかについて考えを持ってはいたらしいけれど。
この時代の実際の、普通の人々の生活がどんなふうだったか? それに興味があります。地方では教会と領主とに農民と町民はどんな形で属していたのか? 彼らの日常生活は具体的にどんなだったのか? そういったことを知りたくてこの本を手にしました。
昨年帰郷した折に、昔からいろいろ世話を焼き、気を利かせてくれた千葉さんに、ホイジンガの「中世の秋」を読みたいんだと言うと、「はい」と即座に中公文庫をくれたので、少しずつ読み進めてきました。
それと、オークセールの古本屋で見つけた「シャルル6世と7世下のパリの一ブルジョワの日記、Journal d'un bourgeois de Paris sous Charles VI et Charles VII」がちょうどこの時代のパリを書いていて面白そうなので平行して読もうと思います。古いフランス語で書かれてるのでどこまで読み取れるか、保証はありませんが……。
この本は筆者不明。イングランド占領下のパリでブルゴーニュ派に組していた一パリ市民(ブルジョワ)により書かれたと判っているだけ。日記は1405年、ルイ・ドルレアン殺害の前から始まり、恐れ知らずのジャンがブルゴーニュ大公となり、オルレアンとガスコーニュのベルナール・ダルマニャックが組んで、イングランドと結んだブルゴーニュ派と内戦が始まり、アザンクールの戦い、フィリップ善良公、トロワ条約、シャルル6世とベッドフォード摂政の死、ジャンヌダルクによるオルレアン開城後のフランスの勝利、アラス条約、シャルル7世戴冠後のパリ入城……そしてボルドーがイングランドの支配下に入った1449年で終わっています。
こうした文字による歴史的事件の記述を、現地の地理的状況の中に身を置いて、どんな風だったんだろうと想像する楽しみがあります。ブルゴーニュの首都デイジョンからは少し北寄りですが、同じブルゴーニュに住んでる地の利を活かして、この目で見ておきたい。
もうじき、1年か2年後には、この地を去ろうとしているので、いまのうちにしっかり見て記憶に留めておきたいと思うのです。
(つづく)





