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ポール・ヴァレリーは、社交界でばかりもてはやされ、侯爵夫人の家で毎夕晩餐に預かり、いつも自分のみすぼらしい過去を最大限利用して社会を軽蔑することによって寄食者の役割を称賛する。
彼の理想は、根底に皮肉屋のシニスムがあって、学者ぶるのだが、ラ・ブリュイエールを典型とするような年金受給作家なのだ。
いろいろある精神の中でも、彼のはもっとも明晰で、もっとも軽蔑的な精神だ。明瞭な文によって、その覚醒した明晰性を表現しようと努める。そのために投げやりなシニスムを楽しんでいる。彼の詩をみても、それは「遊び」のようだ。彼の作品は、スノビスム(俗物根性)によって大いに読まれている。―― というのも、彼が書くこと、彼のアフォリズム(警句)、彼の悪戯めいた冗談は、誰にも何にも不安を与えないからだ。遊興として、彼の軽蔑を共有したい大衆が、気晴らしに彼の作品を奪い合う。
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この節の直後に、ロマン・ロランは比較としてクローデルについて書いています。クローデルの作品が美しい詩情に満ちているにもかかわらず、大衆からは無視され、劇場は観客が三分の一も入らず、教会は最も偉大なカトリック詩人であるクローデルに怒りを抱いている。ある日、ジャン・リシャール(ブロック)が見たと言うクローデルの様子をロランは書いています。「黄金の頭」の上演の時、閑散とした劇場の一階席の薄暗がりに身を隠すようにしたクローデルが、自分が書いた詩節を聴きながら、むせび泣いていた、と。
ポール・ヴァレリーの晩年の顔↑
ヴァレリーが生まれたのはパリ・コミューンが起った1871年。ロランは1866年生まれでロランの方が5歳年長です。ヴァレリーは1945年に74歳で亡くなり、ロランは1944年、78歳で亡くなっています。ほぼ同じ時代を生きた文学者ですね。
ヴァレリーは、地中海の港町セット(Sette)の税関吏の息子に生まれ、先祖に父方がコルシカ、母方がジェノアというイタリアの血が流れている地中海人です。
ある日、街を日傘を差して通りがかった「マダムR」を一目見て恋に陥り、恋文を書きますが出す勇気もなく机の引き出しにしまったまま。ジェノアの叔母の家に泊まりに行った夜、激しい雷鳴が轟き稲光が寝室にまで差し込んで眠られぬまま、恋愛と自意識との葛藤が一晩中続き、青年ヴァレリーの内面で、ついに理性が勝利を収め恋情を葬り去る決心をします。
これが有名なジェノアの夜なんですが、それ以来、知性を感情の優位に置き、詩作も放棄して、閑職に甘んじ、パリへ出た後も、「テスト氏」に見られるような絶対自我の追求に時間を捧げ、20年間アバス通信社の社長秘書をしながら、印象派の画家のマネとベルト・モリゾの親戚の娘と結婚した後も、毎朝4時起きして、自分でコーヒーを入れ、出勤までの数時間を思索に費やし手帖に書き留めます。
その膨大な手帖(カイエ)は死後出版されましたが、思索の対象は、時代の先端、特に科学、量子力学や電磁気論、分析的な数理哲学、言語学などあらゆる事象に渡っています。
第一次大戦中、遊びの積りで始めた詩作が「若きパルク」という長編詩となって完成し、大戦終了後、発表されるや、T.S.エリオットと並び、20世紀前半を飾る長編抒情詩としてもてはやされます。
ロランがここで「社交界ばかりにもてはやされ」と書いているのは、「若きパルク」が最初、侯爵夫人を含めた社交界で朗読され脚光を浴びたからでした。小林秀雄もヴァレリーの詩は面白くないと書いているし、ロマン・ロランが評してるように確かに「遊び」と感じられる深みのない言葉の音韻の音楽的な美しさだけのようにも感じられます。フランス人にはラシーヌなど古典を踏まえた現代詩として意味を感じ取るのでしょうが……。日本人の僕らが読んで啓発されるのは彼の評論ですね。
「狂おしいまでの理解したいという欲求」とヴァレリーは自分のこの理智による認識の欲望を語っていますが、デカルトを尊敬し、いくつか論考を書いています。ヴァレリーにはデカルトのコギトが生涯つき纏って離れなかったのです。ライプニッツの「モナド論」に興味を示してるところからみても、ヴァレリーは分析的、数学的、近代的合理主義的思考を極限まで推し進めようとする執念に執り憑れていたのです。「正確さへの病的なまでの執念」と自分でも書いています。
ヴァレリーの散文の文体は数学的な論理性を感じさせますね。それが地中海的明証性、明晰性、で貫かれています。
これに対して、ロマン・ロランは思春期に「スピノザ」の倫理学を読んで陶酔感を味わい「大洋的感情」と自分で名付けた万物とアジアの異民族も含めた人類への共生感情をカトリックへの信仰に代わるものとして抱くようになります。
ヴァレリーの文体は数学的抽象的であり、ロランのそれは土着の農民と繋がる国民的な感情を多分に含んだ音楽的なものが感じられます。言葉は、ロマン・ロランにとっては、そういう土と結びついた歴史的、民族的習慣から出来た具体的なものだったに違いありません。1919年にロランは17世紀のブルゴーニュの農民の男「コラ・ブルイニョン」を主人公としたユーモアに満ちた小説を書いています。
ヴァレリーの詩には、合理的思考の果てに理性を突き破った、あるいは理性が制御しきれない超越的な自然の働きというものが詩人の直感で捉えられているのですが、(たとえば「風立ちぬ……いざ、生きめやも」の句が出て来る詩(海辺の墓地)のように)その辺の考察は、また機会が訪れてから書きたいと思います。
