冬の宿 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

今年の一月に帰った時に兄の家に預けっぱなしだった本を船便で送った。大小の段ボール箱に10個あった。着いて開梱はしたけど居間に放置したまま、ほぼ1年が経ってしまった。ゲストハウスを止めて二階に空き部屋があるので、そこへ移しながら整理をした。筑摩書房の「現代日本文学大系」の比較的新しい時代の作家の選集にはまだ読んだことのない作家が何人もいる。戦後文学の作家はかなり読んだ。野間宏、椎名麟三、梅崎春夫、武田泰淳、三島由紀夫……。その前後の作家たちをまだ読んでいない。第三の新人とか、芥川すらまだ十分に読んでいない。こんど、取り出したのは「阿部知二、田宮虎彦、丸岡明、長谷川四郎集」。

阿部知二の「冬の宿…… ええ、わあ~」寝転んだままでNが言った。いつもこんな調子で、自分が読んだ本を感覚的に、分析も解説もせず、ただ感情を籠めて「ええわあ~」と言うだけで、薦めるのだった。「風立ちぬ」もそうだったし、ハイネの「歌の本」もそうだったし、倉田百三の「青春を如何に生きるか」もそうだった。「冬の宿」も読んだ記憶があった。しかし、こんど読み返してみると、まったく初めて読む本のように思える。15・6歳ではなにも解っていなかったのだ。中学時代は文芸書を一冊も読んだことのなかった僕は、Nに薦められままに何冊もの本を読んでいった。高校の図書室が僕のお気に入りの場所になった。


図書室の書架は一方の壁の全面を覆い、本が並べられている。本は十進分類法に従って分類され並んでいる。最初が「0 総記」、次が「1 哲学・宗教」、続いて「2 歴史・地理」、「3 社会科学」、「4 自然科学」……といった順に並べられている。そのころ僕は何故、哲学と宗教が分類の最初にあるのかを分からなかった。また何故そうなのかを考えてもみなかった。

いまはそれがやや分かる。特に西洋においては、哲学と宗教がどんな学問・知識よりも重要であり根幹をなすと考えられているからである。ヨーロッパの大学はどこも神学部を持っている。いや神学部がなければ大学と見做されなかった。同窓生たちが哲学・宗教の本を借り出した形跡はまったくなかった。本の後ろのカバーの内側に挟んである貸出カードを見れば一目瞭然で、みんな自然科学、数学、技術、産業、といった実用に役に立つものばかり借り出している。せいぜい社会科学の本、文学、言語に関する本が読まれてるくらいで、哲学に関心を持つ生徒などいなかった。一世代前だったら、田辺元だとか西田幾多郎とか旧制中学・高校の学生たちは読んでいたのに。朴歯の下駄に羽織袴、「デカンショ節」を高歌放吟して歩いた寮生たちのイメージは伝説としてまだ残ってはいた。デカンショ? デカルト、カント、ショーペンハウエルの頭文字をくっつけたものだ。

昨夜はYou Tube で佐藤優の「危機神学入門」を聴いた。1時間30分とちょっと長かったが非常に興味深かった。日本にこういう人が出て、その人の話をYou Tubeのような媒体で外国に居ながら聴けることは大変有難いことだと思う。佐藤の以下のリマークがとても秀逸で啓発された。

「眼に見えないけれども、はっきりと在ることについての体系が神学」

「平行線は交わらないというユークリッド幾何学の公準を疑い、平行線が交わるという公準から矛盾しない曲面状の幾何学体系を組み立てたリーマンは牧師の子だった。神と人間は、ユダヤ教、イスラム教では決して交わることのない平行線だが、キリスト教のみがキリストという神と人間の接点を主とする考えを持つゆえ、平行線が交わるという発想ができた」


リーマン
                       ベルンハルト・リーマンの肖像↑

「福島第一原発事故はわれわれ現代の文明が生み出した機械、設備が人間に害を及ぼす典型的な事例。こういう時に、同胞を救うために命を投げ出す人間がいる。(わたしたちは、津波の襲来を村民に告げ避難を最後まで呼びかけ続け津波に呑み込まれて亡くなられた市役所の女性のことを知っている)東電の現場所長はじめ自衛隊員にもわが身を犠牲に投げ出した人たちがいた。が大部分の政府、東電関係者は危機に際して一身を投げ出し、周辺の住民を救おうとした様子が見られない。佐藤優は三浦綾子の「塩狩峠」を例として挙げた。脱線しそうになった客車に身を挺した職員により事故は食い止められた。

      ***            ***           ***

「その真ん中のあたりに来たと思うとき、昔の武蔵野の名残とも思われる高い欅の樹立がそびえていて、いまは秋の落日のなかに、黄色に染まった空から黄金色の枯葉を雨のふるように落していた。そのかげに、屋根に落葉をためた小さな古びた二階家が一かたまりになって崖に寄りそい、そこだけはひどくしずかなおもむきがあった。」

阿部知二の「冬の宿」はこんなふうに始まる。このひとかたまりの二階家の一軒に「かしま」と細々とした女の手で書かれた半紙がかかっていて、その家(霧島嘉門が主人)の二階には六畳と四畳半の二部屋があり、主人公の私は六畳を下宿に借りるのだ。

下宿に移ってすぐに私は霧島嘉門の家が普通ではないことに気付く。肥大漢で粗暴な嘉門はなにかと大声を挙げひ弱な妻のまつ子に暴力をふるって八つ当たりするのだが、この男は地方の旧家に生まれながら落魄し、今は守衛をしながら「内閣調査局に勤務しています」と誰にでも見栄を張る男なのだ。

「霧島家は、瀬戸内海に向かって北に山を負った地方の旧家であった。昔は、田地と、広大な塩田と、廻送船を持っていて、嘉門はそこの長男に生まれて思うままの栄耀をして暮らした。」

没落の動機になったのは、ある人におだてられて県の生糸を全部買占め、それが欧州大戦後に遭遇して暴落し、財産を失った。財産整理をし、親せきからいくらかの金をあてがわれて禁治産者になり、東京へ出て、全盛時代に保護してやった画家たちが名高くなっていたので、彼等と相談し画商となった。それにも失敗し、とうとう残った金を全部持って、京都、奈良、別府、長崎とあそびほうけてあるき、帰った時にはまったく一文もなくなっていた。

嘉門はあまりばかなことばかりするので、親戚から無理やりまつ子と結婚させられ、そのまつ子は今は、夫の僅かな給料、それもほとんど飲んでしまうので、自分とふたりの子供を養うために編み物を習ってその稼ぎで細々と暮らしを立てねばならない。まつ子は人のすすめで基督教の教会に行くようになった。彼女は無理に嘉門まで改宗させてしまって、酒と煙草をやめることを誓わせてしまった。
「いままで、僕の言うままになって、人形みたいな女だったんですが、クリスチャンになったと思うと性格が一変しましたよ、神様神様と言いだしたかと思うと、僕を逆に叱りとばすようになってしまったんです。耶蘇教は恐ろしいもんです。でも僕は散々苦労させたんだから我慢しています」

子供もまた、兄は隙をみては妹をいじめ、妹はいつも「ひいひい」泣いてばかりいるのだ。とてもドストエフスキー的な家庭に主人公は迷い込んでしまったのである。

ある日、主人公は、まつ子から聖書を借りて読んでみるのだが、そのときの感想を引く。
「日本人で、この聖書のとりもちのようなものと強烈な匂いとに平気で入って行ける人というのはどんな連中だろうか。それは彼自身西洋人のように強靭で心臓と観念力との肥大した人間であるか、それともそうした感覚など少しも分からぬ鈍感な人間であるか、その感覚に揉みぬかれて痴呆状態のようになった人間であるか、であろう。これに比べると近代文学などはよほど淡泊だ。」

主人公が下宿に居ついて間もなく、彼の前に同じ部屋に下宿していた増居という、今は医学博士になっている男が、指導している高君という朝鮮から来た医師で、いまも朝鮮人の労働者の病人を献身的に世話している青年を連れて来る。そして、いま煩雑な関係がその身辺に起こっているので、しばらく、どこか独りの処にいたいと頼むので連れて来た。そうして主人公の部屋の隣の4畳半に高君が寝泊まりするようになった。

「君は唯物論者ですか」と高はちらりと皮肉な笑いを浮かべた。
「君はクリスチャンですか」と私はいった。
「おや、これはお互いに反対のレッテルがついたようだな」と高はいった。「この部屋をみると君は芸術家、―― ブルジョワ芸術家らしいし、僕はこれでも科学者なんですがね。ははは」彼の言葉には絡んでくるようなところがあった。



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