岡鹿之助という画家は、最初のフランス滞在が15年。1939年に、第二次大戦の勃発で強制的に引揚げ船、日本郵船鹿島丸に乗せられ、多くの在仏画家とともに帰国。戦後になってからも1953、1969年(71歳)と訪仏し、フランスとは非常に縁の深い画家ですね。
岡の最初の渡仏は1925年、27歳の時で、1月31日マルセイユに着き、2月1日パリ到着、2月17日には藤田嗣治に会い、その後も様々な示唆、指導を受けています。パリでの最初のアトリエは、モンパルナスのドランブル街の元ガレージを改造したもので、藤田嗣治が前に使っていたものでした。
岡はフランスへ着いた翌年(1926年)6月に、友人の画家鈴木龍一に誘われ、ブルターニュのトリガステルへ行き3か月滞在します。この間初期の「信号台」「水門」「村の一隅」「マデイック氏の別荘」などを描き、4点がサロン・ドートンヌに入選します。ブルターニュ滞在のこの時期に、独自のスタイルを確立してしまう、画家のうちではかなり早熟ですね。
岡鹿之助がスーラについて論じたものから引用します。
「自然というものは実に散漫雑然として、無数の偶然性や断片的な様相に満ち満ちているものだ。だから、われわれはその中からなんとかして、確固とした統一のある事実を描き出さなければならない。それには体系が必要になってくる。
スーラはスーラの状態に一致する体系を発見したのだ。つまり、スーラの感覚機能とスーラの精神とが関心を持つことができる体系を築き上げることに成功したのである。
(めのお注:ここで岡が言う体系とは、ある個人の感覚機能と精神とが関心を持つことが出来る主題、モチーフの全体を整理し秩序付け体系化したものというくらいの意味か…)
最後に付け加えたいのは、スーラが豊かなイマジナシオン(想像力でなく独創力と岡は書く)の天稟に恵まれていた点である。イマジナシオンとは、視覚世界から画家が受けるショックを、絵によって、再び視覚世界に向かって抵抗する能力にほかならない。スーラはその抵抗の力を強く内に湛えていた。」
以上は、「みずゑ」1949年2月号に掲載の岡鹿之助「スーラの素描」によります。
「造型言語以外のなにものにもたよらないで」視覚世界に形を作るのが画家の仕事だと岡は言います。言い換えれば、画家は、絵によって視覚世界に向かって抵抗する。作家や詩人は文字によって文章世界に抵抗する。
たいていの画家は口下手で寡黙ですが、制作に対する考え、姿勢、秘密を、これほど的確な、しかも美しい日本語で書いた画家は珍しい。岡鹿之助は画家だけれども、文才がありました。父親の岡鬼太郎(筆名、本名は嘉太郎)が歌舞伎作家(脚本家)で、花柳小説も書いた作家だったと知れば頷けます。
祖父の岡喜智は、佐賀藩の藩校で朱子学、葉隠れ精神の薫陶を受け、ついで蘭学を、さらに長崎の海軍伝習所で、砲術ならびに科学一般を学び、英語も習得して文久元年(1861年)の遣欧使節の一行に加わり、明治に入ってからは技術官僚として社会(公)のために尽くす士としての生き方をしました。
鹿之助の感性と精神の関心が向いた外界の対象(灯台、海、掘割、発電所、教会、パンジー、雪、村落など)の体系を具象化する時の、画面の力学的構成は祖父から受け継いだものだろうし、美しい日本語は、父親から受け継ぎ、鹿之助が敬愛し、フランス留学にも携えて行った永井荷風からのものでしょう。
鹿之助は画家であることに天与の才と天職を感じていました。
もう少し、上に引いた「ひたすら造形のことばで」を読んでみましょう。
「私は形をつくりだすことに興味がある。それは色のマスによって形を定めてゆくやり方で始めるから、色が形に先行するともいえる。色面が広がってゆくうちに、形が整い、一つの形からもう一つの形へと積み重ねて、空間の組み立てを構成する。動きに均衡を与えて静的な浄福を獲得しようと願う。(そうだ。岡鹿之助の絵は、静謐で、清らかで美しく、永遠の時間を感じさせる)
形のうえではことさらに、私たちの知識が連想する「類型」をやぶろうとは考えない。
(注:人間は社会生活、教育やテレビなどを通じて、画像が頭の記憶に蓄積され、犬だとか猫、猿、クジラ、イルカなどの言葉を聞いただけである形を連想する。それは類型であり、個々の具体的な姿、実体とは違う。お定まりの概念によって一般化された形、木なら木、リンゴならリンゴといった通念によった類型を、だれしも知識として持っており、前衛画家は、この通念として大衆が持っている「類型」をぶち壊して、これがほんとうの姿だと実態を示そうとする。岡は類型をやぶろうとは考えないというのだ。一見保守的であるが、それには理由がある)
「既製品の形象のうちにでも自然の創造過程の本質はさぐり出せるはずだ。渾沌の底ふかくひそむレアリテを純粋に線と形と色と、それらの組合せの具体的手段で――造型言語以外のなにものにもたよらないで――表現する方法をたえず探しているだけだ。奇異な様相を呈さない状況の中で、自然の想像力の産物よりも、形を与える力がまさっているような、自然の事物より精気にあふれた、しかしカチンと手ごたえをそそるようなものをつくり出したい。」
(「美術手帖」208号、1962年8月 「ひたすら造形のことばで」岡鹿之助)
なんという大胆な、しかし敬服を覚えざるを得ない、創造者としての画家の、自然すなわち神にも勝ろうとする意志の表明でしょう。
「渾沌の底ふかくひそむレアリテ」
作品は現実よりもレアルである。これは、絵画だけでなく、小説など文学の世界でも言えることですね。創作者として銘記しなければならない。美しくも厳しい言葉です。
(つづく)