フランスと日本人画家 その⑦ | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

フェノロサと岡倉天心が攻撃した西洋画の中には、「北斎」も含まれているので、和紙に岩絵の具を使って描いた日本画であればなんでも良いというワケではなかったらしい。

「北斎」の絵には西洋の遠近法が使われているからダメだという訳の分からない理由なのだ。事実、江戸末期の浮世絵画家北斎は、すでに西洋画の技法を取り入れ銅版画も作っている。

北斎が天才的なデッサン力を持っていたことは、その素描のいくつかを見ればすぐにわかることである。

西洋画はダメで日本画はいい、という理屈はまったく根も葉もないことではないか。対象を把握する力、それを2次元の画面に再現する表現力。紙か木かカンバスか? 支持材の違い。岩絵の具かパステルか水彩か油彩か? 絵の具の違い。材料の違いで絵の良し悪しを決めるのは馬鹿げている。

フェノロサと岡倉天心が評価した日本画は狩野派の装飾的絵画だったというから、雪舟や丸山応挙などは低く評価された。浅井忠が8歳で師事した黒沼槐山は丸山応挙など文人画の流れを汲む画家だったから、岡倉の槍玉に挙がったのだった。

ならば、西洋画と日本画の基本的な違いはなんだろうか? どこが違うのだろうか?

このブログにもミラネーゼ・トッシーナさんがミケランジェロのデッサンを
投稿しておられるから見てみよう↓

MICHELANGELO 天才の軌跡 ミケランジェロ展

デッサンは対象をどのように見るかの表現だから、見方の違いがあからさまに出てしまう。

北斎のデッサンですら、細い線で輪郭を捉えている。
西洋のデッサンは「マッス(塊)を面で捉えなさい」と初歩のデッサン教室で先生に必ず言われる筈である。

3次元の対象を輪郭だけの線画で2次元に置き換えてしまう日本画。対して2次元の面に3次元のものらしく描くのが西洋画と単純化すればそんなことになる。

西洋人は物事、自然を構造的に捉え、東洋人、日本人は対象物の輪郭、対象物が他の物質と区別される境界線のみを捉えて線で面を表現する。対象たる世界、自然の「観方」が基本的に違う。

明治初期に、この西洋的観方が出来た日本人画家が安井曽太郎だった。彼が通っていたパリのアカデミー・ジュリアンでは毎月コンクールを実施して優秀者に賞金を授与していたが、安井は煩瑣に入賞している。


フランスの田舎暮らし-dessann



ご覧の通り安井のデッサンは非の打ちどころがなく、裸婦を構造的に面で捉え、濃淡の諧調も美しく、圧倒的なヴォリュームと安定感で表現している。

安井はパリでポール・セザンヌを発見し、終生尊敬の念持ち続けた。1907年のサロン・ドートンヌの特設会場でセザンヌの回顧展が開催され、藤島武二、萩原守衛、有島生馬、それに安井が、見たことが分かっている。

セザンヌの回顧展よりも、パリ郊外にあったオーギュスト・ペルランのコレクションでセザンヌを見たことの方が強烈な体験を安井に与えた。

当時、このコレクションを日本人が観るためには、ノルーウエイ大使館を通じて見学申込みをし、許可を得る必要があった。

このコレクションを観た時のことを、30年後に安井は、次のように回顧している。

「そのコレクションを見て、外へ出まして、そこは確かボア・ド・ブローニュでしたかよく記憶しておりませんが、とにかくボアのそばだったので、一緒に行った友人とブラブラ散歩しながら帰って来ましたが、その辺の樹や人や道や、総てがセザンヌの絵のように見えるので、なんだかまだセザンヌの絵を見ているような気がしたことを記憶しています。その後、セザンヌの絵が始終頭にあって、何を見てもセザンヌの絵のように見えるので困りました」(脚注↓)

この述懐は、安井にとってセザンヌを見たことの衝撃がいかに大きかったかを物語っている。外界の、世界の「観方」そのものが変わってしまったのだった。

有島生馬は、1909年に帰国した翌年、創刊したばかりの雑誌「白樺」に「画家ポール・セザンヌ」を発表し、日本で最初のセザンヌ紹介者となった。

ペルラン・コレクションのセザンヌを見た日本人には

1913年 島崎藤村、山本鼎、小林万吉
1923年 前田寛治
1924年 佐伯祐三、里見勝蔵

がいる。

(脚注:貝塚健 「パリと日本の洋画家たち 1900-1945 ブリジストン美術館テーマ展示カタログから引用させて頂きました。)


  (つづく)